夜、小腹がすいた時、スルッと食べられる麺類が欲しくなることはありませんか?そうした思いは江戸時代も同じでした。今のようにインスタント麺はなかった当時、どうやって麺類を食べていたのでしょうか。
江戸時代では、現代の我々が利用する出前や即席めんのようなお手軽な麺料理が、今回の主題である夜鷹そばでした。ここでは、夜鷹そばにまつわる豆知識をご紹介します。
遊女と鷹匠が名前の由来?
夜鷹とは、夜間に往来で客引きをしていた私娼つまり個人経営の娼婦で、夜に活動することから夜行性の鳥「ヨタカ」に因んでいます。夜鷹そばも、夜に売られる気軽で安価なものであることから、その名で呼ばれるようになったともいわれています。
また、夜間を主な仕事の場としている彼女達が好んで食べたから、という『守貞漫稿』の説や、夜鷹そばの値段と夜鷹の花代の最安値が同じ10文(普通は24文)だったからという説もあります。
一方で三遊亭円朝が唱えた『御鷹匠』つまり狩りをするための鷹を飼い慣らす人が、寒さで冷えた手を温めるために食べた『お鷹そば』が訛ったという説もあります。夜鷹は往来で男性客を待つのがメインの仕事なので、冷える屋外で働く点が鷹匠と共通しています。この共通点が語源となったのかも知れませんね。
文学や小咄にもなって浸透した夜鷹そば
夜鷹そば=安いと言う概念は川柳にも浸透しており、『客二ツつぶして夜鷹三つ食い』と言う一句があります。24文だった夜鷹の代金2人分=48文あれば夜鷹そばが3杯食べられると言う意味で、夜鷹そば、街娼の夜鷹いずれもが安価であったことを物語っています。
また、現代のように食品衛生についての取り締まりが無かったために不衛生な蕎麦屋もいたらしく、江戸小咄には夜鷹そばを商う夫婦のやりとりがあります。
帰宅するなりご飯を食べさせて欲しいと言う親父さんに、おかみさんが
「やだ、売り物の蕎麦があるじゃない。それを食べればいいじゃないの?」
「母ちゃん、こんな汚ねェものが喰えるわけねえだろ!」
少々下品なオチですが、親父さんは不衛生なのを知っていてお客に売っていたということなのです。
いつでも食べたいものを求める一方で、安価なサービスには何かしらの問題があると危惧していたのは、現代人も江戸時代も変わらないですね。