野獣が王子に変わるのは”真実の愛”なのか

映画「パシフィック・リム」などで知られるギレルモ・デル・トロ監督の最新作「シェイプ・オブ・ウォーター」が3月1日から全国公開される。

幼い頃のトラウマで声を失ってしまった女性と、アマゾンの海から連れてこられた半魚人のような生き物(クリーチャー)が織りなす、種族を超えた愛の物語だ。

ファンタジー要素が強く、突飛な設定のようでいて、見た人に大きな共感を残す本作は、映画賞でもひときわ目立っている。

2017年度ヴェネツィア国際映画祭では、最高賞にあたる金獅子賞を受賞。続く2018年度ゴールデングローブ賞、アカデミー賞では、ともに最多ノミネート作品となった。

自らを「オタク」と名乗り、日本の漫画やアニメ、特撮に精通しているデル・トロ監督だが、満を辞して世に放った最新作は「恋愛映画」。

53歳の監督が今、恋愛というテーマにチャレンジした理由は? そして、異種族間のロマンスを通じて伝えたかった「愛の本質」とは...。来日したデル・トロ監督にインタビューした。

おとぎ話じゃない、リアルな愛を

《デル・トロ監督が描いたロマンスには、これまでのおとぎ話が見せてきた「綺麗な愛」へのアンチテーゼがあった。》

これまでのおとぎ話というのは、「人とはこうあるべきだ」という固定観念の再確認をするだけで、見る人が新しい自分に出会えるようなものではなかったと思います。

例えば『美女と野獣』の中で、ヒロインは純粋で無邪気な存在でなければならない。一方「野獣」は野蛮な存在として描かれ、最後は「王子様」に変わらないといけない。野獣が"変身"して物語がハッピーエンドになることがよしとされています。

今作の主人公・イライザは、囚われの身である彼(クリーチャー)を解放することで、自分自身の心も解き放ちます。お互いを自由にし合う、これが愛なんですね。

ポイントは、物語を通じて彼は一切、変わっていないということです。「美女と野獣」では、野獣は、王子様に変わらなければいけなかった。でもそれって本当の愛でしょうか。この作品では彼も変わらないし、彼女も変わりません。

自分とは本来どんな存在であったのか、それを気づかせてくれる相手こそが、真の愛する者だという仕立てにしています。

日々の営みとしての自慰行為

「これまでのおとぎ話を変えたい」という意欲は、性的描写にも及んでいます。

彼女の登場シーンでは、浴室での自慰行為を描きました。普通の男性監督なら、モデルみたいに美しい20代の女性が、蒸気と光をまといながらバスタブに佇むようなフェティシズムを感じさせるシーンになっていたと思います。

でもはそうではなくて、ありのままで日常の姿を描きたかった。毎日の中にあるセクシュアリティ、それはフェティシズムでも何でもなく、単なる日々の営みです。

イライザは、従来のおとぎ話のプリンセスが備えていた固定化した像を超えて、もっと色々な側面を持つ女性として描きたいと思いました。

1962年という舞台を通して映し出した「いま」

《映画の舞台は、アメリカが大きな恐怖に包まれていた1962年。ソ連との核戦争への恐れが頂点に達する一方、国内では公民権運動の緊張が高まっていた。トランプ大統領の就任から1年が経ち、奇妙な緊迫感が続くアメリカの「いま」に重なる部分もある。》

今、恋愛映画を描こうと思ったのは、現代が大きな恐怖に包まれていると思ったからです。今はソーシャルメディアがあって人と人が簡単につながる。これまでのどの時代よりも人々は活発にコミュニケーションをしています。

だからこそ、個人は孤立を深めている。世の中には、自分の本当の気持ちをさらけ出すことへの恐れが充満している。今や、距離感を十分にとって、皮肉やユーモアを交えなきゃコミュニケーションが成り立たないくらい、僕たちは臆病になっています。

例えば、今、「僕は53歳です、そして僕は愛なんて信じていないよ」と言ったら、人は僕のことを知的な人間だと思うでしょう。でも僕が「僕は53歳です、そして愛を心から信じている」と言ったら、何か裏があると思われてしまう。それぐらい、愛を語るのは難しい。

だから今回僕は、歌のような映画を作りたかったんです。あれこれ考えないで、感じて欲しい。もし考えるとしても、まず感じてから考えてみてほしい。

「愛する」の反対は「一言で片付ける」

《デル・トロ監督にとって、リアルな愛の本質は?》

愛の方程式は、すごくシンプルです。

愛することは、理解することとイコール。それだけです。ありのままのあなたを受け入れる。それは複雑でぐちゃぐちゃなあなたを、そのまま受け入れるということ。

その反対は、レッテルを貼って一言で片付けるということです。例えば「メキシコ人」。あるいは「女性」、「ユダヤ人」ーー。

あなたは本当は、すごくすごくすごくすごくたくさんの側面からできているのに。それを無視して一括りにする行為が、愛の反対であり、イデオロギーの怖さです。

今作に出てくるクリーチャーは、一つの存在がたくさんの側面を持つことを象徴する存在でした。彼は、それぞれの登場人物にとってそれぞれ違う意味を持つ存在です。科学者にとっては、自然の美しさを感じさせる生き物だし、彼を殺そうとする軍人にとっては、南米から来た汚ないヤツ。イライザにとっては自分が誰なのかということを思い起こさせてくれる存在です。

監督だって、色々な側面を持っている

《特撮・怪獣好きで知られるデル・トロ監督が描く純愛。少し面食らったファンもいるのでは?》

僕がこれまで手がけてきた映画というのは、どれもとても似通っている部分もあれば、とても違っている部分もある。

多くの人は「この監督はこういうジャンルだ」とか「オタク監督だ」とか「芸術肌だ」とカテゴライズしたがりますよね。

でも僕は全く気にしません。あらゆるものに美しさを見出し、吸収しています。

これまで人生をかけて色々な作品を作ってきました。

ゴシックホラー映画「クリムゾン・ピーク」は、怪獣を描いた「パシフィック・リム」とは全然違う。「パンズ・ラビリンス」も「ヘルボーイ」も、それぞれ表現したかったことがある。全部違うし、同時に、全部リアルな僕自身なんです。

大事なのは、何を描くかではなくて「僕がそれをどう見たか」だと思っている。

例えば僕は、怪獣は恐ろしいものではなく美しくて感動的なものだと感じています。それは1950年代の怪獣の描かれ方とは多分違っていると思う。でも僕にはそう見えている。

インスピレーションを得たものを元に、僕自身の解釈で物語として紡いでいけるのが、僕たち表現者の権利なのです。何も自分を縛るものはない。あらゆるひらめきや喜びが、全てが僕の身になっています。




映画「シェイプ・オブ・ウォーター」は3月1日(木)から全国で公開。最多13部門ノミネートされているアカデミー賞の結果発表は3月4日(日)(日本時間は3月5日(月))。

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宇多田のプロデュースは「美味しいラーメン」、小袋成彬。

宇多田ヒカルが、初めて新人アーティストをプロデュースするーー。

そのニュースを聞きつけた多くのマスコミ関係者が、東京・乃木坂のソニー・ミュージックエンタテインメントビル内のライブスペースに押し寄せた。

集まった人々の前に現れたのは、どちらかといえば小柄で、華奢な青年。

小袋成彬(おぶくろ・なりあき)、26歳。


緊張感が充満し、しんと静まり返った空間に響く小袋の声。みんなの時が止まった。


「この人の声を世に送り出す手助けをしなきゃいけない。そんな使命感を感じさせてくれるアーティストをずっと待っていました」。宇多田ヒカルにそこまで言わしめた小袋成彬って、一体どんな人なんだろう。

小袋成彬とは一体誰なのか。宇多田ヒカルとの共通点は? 彼に話を聞くため、後日、再び乃木坂のソニー・ミュージックを訪れた。

小袋成彬って誰なの?

1991年生まれの26歳はこれまで、R&Bユニット「N.O.R.K」を結成して楽曲を発表したり、インディーズの音楽レーベル「Tokyo Recordings」を設立・経営したり、様々な音楽活動をしてきた。

世間に広く知られるきっかけになったのは、宇多田ヒカルのアルバム『Fantôme』の収録曲「ともだち」でゲストボーカリストとして共演したことかもしれない。同性愛をテーマにした切ないラブソングで美しいファルセットを披露した小袋の存在は、私たちの記憶に焼きついた。

小袋のソロデビューアルバム「分離派の夏」に、宇多田はこうコメントを寄せている。

「私と出会うまでレーベルオーナーとして主に裏方作業に徹していた小袋成彬の表現者としての真の目覚めに立ち会えたこと、そしてソロデビューアルバム『分離派の夏』の完成をこうしてみなさんに伝えられる幸運に感謝します」

2人を引き合わせたEPICレコードの沖田英宣は、宇多田が自ら小袋のプロデュースを買って出たことを明かし「透徹としたふたりのまなざしは驚くほど似ている」とコメントしている。

宇多田の、プロデュース。

2人の共通点は、作詞・作曲・編曲の全てを自分で手がけるという点だ。世の中に、シンガーソングライター多しといえど、編曲まで自分でやりきるアーティストは珍しい。しっくり来なくて歌詞の一節を変えたら、メロディや演出も変えなければいけない。途方もない作業だ。

「宇多田さんからは、彼女が20年間培ってきた修辞的な表現を学びました」と小袋。イギリス・ロンドンに住む宇多田と、東京を拠点にする小袋のやりとりは、基本メール。データを送り合って作品をつくり上げていった。

「例えば、おいしいラーメンを作りたいっていう時に、麺だけちぢれ麺に変えたらうまくなるかっていったらそうじゃない。麺への油の絡み方を調整するとか、チャーシューは何枚にした方がいいとか、きっと色々あるじゃないですか。歌も同じ。全てが複合的かつ複雑に絡み合っている。それをしっかり理解した上で、テコ入れしてくれるのは彼女ぐらいしかいなかった」

宇多田ヒカルのプロデュースをラーメンに例えるとは(笑)。

頭の中にある概念を、とても楽しそうに、例えたり、言い換えたりして言語化する。それが小袋成彬だ。

一番になったことがなかった。

子どもの頃は「とにかく器用貧乏だった」。

中学・高校では野球に明け暮れたが、万年ベンチだった。彼が通った中学は野球の強豪校で、チームは県大会2連覇を果たしたが、小袋はレギュラーには選ばれず、もっぱらサポートに回った。

「何かの一助にはなってるんだけど、自分がヒットを打ったわけでもないし...。不思議な感覚でした」と振り返る。

「とにかく、何かで1位になった記憶がないんですよね」小袋は繰り返し、そう語った。

そんな彼に転機が訪れたのは、大学3年生だった。就職活動に行き詰まった。

何となく興味のあった雑誌の編集者を目指し、出版各社や広告代理店を受験するも全敗。どうやって生きていくかを考えた時に、頭の中に何度も浮かんだのは「自分は1位になったことがない」という強烈な記憶だった。

「自分の得意なことで勝負したことがないんだって思いました。野球も、得意かっていったら得意でもなかったし。せっかくここまでやったなら最後までやり切ろうっていうぐらいの情熱だったんで」

音楽で、メシを食う。

自分の得意なところで、勝負に出たいーー。そして、小袋は音楽の道へ進んだ。

高校生の頃から、歌のうまさは同級生の中で群を抜いていた。仲間内でカラオケに行くと、明らかに自分はうまいと気づいた。放課後、友人がたむろするマクドナルドに合流すると「あいつが来たからカラオケ行こうぜ」と行って連れ出されることも度々だったという。

大学時代には、誰も知らない海外の音楽を見つけてきては、友人に薦めていた。その審美眼にも自信があった。

音楽で食べて行こう。

そう決めた小袋は、R&Bユニットを結成。そしてレーベルを立ち上げた。とにかく親から経済的に自立しなければと、ひたすら音楽活動に打ち込んだ。楽曲制作はもちろん、営業やプロモーションなど"DIY精神"で全てやってみた。

レーベルを大きくしたい。常に新しいことにチャレンジし続けたい。「野望めいたもの」を抱いて、技術を磨き、経験値をあげるためにガムシャラだった。

そして、柴咲コウや"水曜日のカンパネラ"といった有名アーティストのプロデュースを手がけるまでに上り詰めた。

順調に見えた"音楽でメシを食う生活"。しかし小袋の中では、早くも次なる違和感が膨らんでいった。

自分の野望に、未来はあるのか。

「未来が見えなくなった」と小袋は振り返る。

このままレーベルを大きくして、その先に何があるのだろう。

「お金をいっぱい稼ぐとか、いい車に乗っていい女の人を抱いて、みたいな、いわゆるステレオタイプ的な成功への憧れが、ゼロに近づいていく感覚がありました」

「売れる曲を作ることが、自分の人生の大義なのかって言われたら、そうではない。むしろそんなものは一切無視して、もっと大事な、僕の人間的な部分でやらなきゃいけないことがだんだんと浮かび上がってきた時期だった気がします」

稼ぐために「得意なことをやろう」と決めて音楽の道を選んだ小袋はもう、次の意義を求めてはじめていた。日雇いの仕事で食いつなげば、死にはしないじゃないか。自分が音楽をやる意味は何だろうか。

レーベルを立ち上げて2年が経っていた。

歌いたいことを探すなんて間違ってた。

葛藤の中にいた2016年初夏、突破口が開けた。ちょうど、宇多田ヒカルの楽曲「ともだち」のレコーディングでロンドンを訪れた直後だった。

「僕はずっと、歌いたいことを、探していた。歌いたいことがはっきりと見つからなかったから、歌手として踏み出せずにもいた」

「でも気づいたんです。歌いたいことを探すっていう時点でそもそも大間違いだってことに」

近代の詩人・萩原朔太郎は、著書『詩の原理』の中で「音楽は『旋律』と『リズム』からできている」と定義し、「音楽ほどにも、感情の意味を強く訴え、詩を感じさせる表現はない」と論じた。

小袋は、萩原の言葉をなぞった上で、先の問いにこう答えた。

「歌じゃないと消化しきれない気持ちや思い出。そういうものがあるんだって分かってきて。僕はそれを表現しなきゃいけないって強く感じるようになった」

「人間は心臓が脈を打っている限りリズムに支配されています。だからやっぱり、単なる言葉じゃなくて、抑揚やメロディがついた言葉、つまり歌の方が明らかに神秘的で、普遍的に伝わることがあるんじゃないでしょうか」

歌わなければならないから、歌う。その境地に至った小袋がつくりあげたソロデビューアルバムが「分離派の夏」だ。

やりたいことは「ない」。やるべきことだけがある。

宇多田とデュエットする「Lonely One feat.宇多田ヒカル」を含む全14曲。歌うと決意した2016年初夏以前から温めていた曲もあり、制作期間は3年近くに及んだ。


「みんなであの世界を見に行こうぜとか、もっと高みを目指していこうとか、聞く人を鼓舞するような音楽は作らない」と断言する小袋の作品は、とても内省的で切なさがある。

「筋トレとか野球とかしながら気持ちを盛り上げたい時は、僕も自分の音楽なんか絶対聴きたくないですよ」。冗談っぽく言いながらも、究極まで自己と向き合って生まれた自分の作品に、一定の自負をのぞかせた。

野暮かもしれない。それでも小袋に聞いてみた。

「分離派の夏」を通じて、世の中に伝えたいことはーー?

「ないです」。きっぱりとした答えだった。

「伝えたいことは、ないです。ないですし、込めた思いもない」

「音楽家としてどうなりたいとかの夢も一切ないですね。僕の中に『何々したい』は一切ない」

「それでも...」と彼は切り出し、少し笑った。

「曲を書き終わったときは、これで出し切ってスッキリと思ったんですけど...。今は、一回吐き出したものを改めて人前で歌ったりすることで、作品が別の意味を帯びるんじゃないかという期待が、すごくある。とても楽しみですね」




デビューアルバム「分離派の夏」は4月25日にリリースされる。


▼小袋成彬 1stアルバム「分離派の夏」ティザー映像


(小袋の歌声が聞けるのは1分20秒くらいから)

出典: YouTube

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女性の人生を殺してきたセクハラ、日本はどう向き合うか

シンディ・ギャロップさん、58歳。


30年以上広告業界の第一線で活躍してきたビジネスコンサルタントで、世界各国の企業に影響力を持つ。「ニューヨークの女王」とも呼ばれるギャロップさんは、2月23日、東京・渋谷で行われたイベント「Mashing Up」のオープニングセッションに登場。世界で起きている#MeTooムーブメントで可視化された「セクシュアル・ハラスメント」(性的嫌がらせ)について、解決への糸口となる向き合い方を語った。

セクハラ解決へ企業が真っ先に取り組まなければいけない理由

私は世界中の女性から、辛い状況を告白するメールを日々受け取ります。そこには、「セクハラを受けたので、仕事を辞めます」という一行。


セクハラは、女性の夢や野心を殺し、キャリアをつぶし、能力ある人々を管理職から遠ざけます。業界から女性を結果的に追い出す行為なのです。女性が会社の方向性を決めるポジションにいないことで、平等や多様性を重んじる判断が少なくなります。


しかし、企業にとってより利益を生むためには女性の参画が必須です。セクハラはどの企業にとっても、真っ先に取り組まなければいけない問題です。

① 女性は起業するべき

セクハラがなくなるには、どうすれば良いか。答えは2つあります。

1つは、会社内でジェンダーギャップを少なくすることです。機会の平等が与えられることで男性も女性も働きやすくなるでしょう。男性はもう、「彼女か秘書」という2つの役割で女性を見なくなるでしょう。

しかし、長年日本のビジネス業界を見てきた私はそれがとても難しいこともよく知っています。

もっと簡単な方法があります。起業することです。

起業することで、自分の理想とするオフィス環境に変えられます。セクハラをする上司はいなくなりますし、信頼できる人たちとだけ働くことができます。さらにお金を稼ぐことができるのです。

管理職に女性が増えることや意識改革が進むことを長い間待つ必要は全くありません。起業は、特に日本の女性たちにすすめる解決方法です。ジェンダーギャップがまだまだ埋まりそうにない社会では、自分の理想の会社を作る方がよっぽど手っ取り早いのです。

② もっと性に対する価値観を共有すべき

「あなたが性に関することで大切にしていることは何ですか」。私は、たくさんの人にこの質問をしてきました。しかし、誰も答えられません。答え方や考え方を教わっていないからです。

私たちは、運が良ければ小さい時に親や周囲の大人から「礼儀作法、仕事における倫理観、責任感」について教わります。どれも生きていく上で大切な価値観です。しかし、私たちは「性に対する価値観」は教わっていません。それが何を意味するのかをまずは分からないという人の方が多いようです。

性に対する価値観とは、性的発言や行為に関して、自分はどうしたいのか、どうして欲しいかについて認識することです。誰もが語ることによって、社会の中で一定の認識ができあがります。

共感性、感受性、寛容性、やさしさ、正直さが大切にされてきたように、性に関する行動や価値観も含めてもっと議論されるべきだと思います。そうすることで、相手が何に対して嫌がっているのかわかるようになります。セクハラをなくすためには、性的なことから目をそらすのではなく、より活発に話し合っていくことが大切なのです。

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「授乳フォト」を渋谷スクランブル交差点で撮った理由

女性には無理。女性はモノを言うな...。そんな、"男女差別"は過去のもの? でも、世界のジェンダーギャップ指数で、日本は144カ国中114位だ。


3月8日は国際女性デー。 #女だから 直面した違和感。みなさんの体験を聞かせてください。ハフポストも一緒に考えます。


......


マタニティーマーク、出産、電車内のベビーカー、待機児童問題......。


家庭や人によって、それぞれの形があっていいはずなのに、子育てにまつわるトピックは、何かにつけて炎上しやすい。


そして、授乳もその1つだ。


2017年9月に第一子を出産した櫨畑(はじはた)敦子さんは、渋谷のハチ公前で授乳をしている写真をFacebookに投稿した。

授乳と大都会のギャップから、何らかのメッセージがあることは読み取れた。しかし、写真からはそれ以上に、底抜けの笑顔で授乳をする櫨畑さんの魅力がひしひしと感じられる。


――この写真はどうして撮られたのだろう?


何かの媒体で大きく発表することもなく、ひっそりとFacebookに投稿された迫力ある写真の舞台裏を知りたくて、櫨畑さんと、カメラマンの望月聡子さんに話を聞いた。





「授乳は赤ちゃんの食事なのに、どうして隠す必要があるの?」

――2人はどうやって知り合ったんですか?


櫨畑さん(以下:櫨畑):望月さんがSNS上の共通の知人づてに私の存在を知ってくれて、メッセージをくれたのがきっかけです。


私は子どもは欲しかったのですが、結婚はしたくなかったので、結婚をせずに子どもを授かって育てていく方法をずっと模索していて。ありがたいことにこうして今、望んだ形で子育てをできているわけですが、そのプロセスをSNSやイベントで公表していたのを見てくれていたんじゃないかと。


望月さん(以下:望月):私は職業としてカメラマンをしているのですが、ライフワークとしては既存の社会に囚われない活動をしている方を作品として撮っていて。そんなとき、知人のSNSの投稿で櫨畑さんの存在を知ったんです。


私自身も、結婚について考えたり、婚活をしてみたりしていたのですが、結婚するのはハードルが高いように感じていました。でも、「子どもはいつか欲しいな」と漠然と思っていたときに櫨畑さんのことを知って、「あ、子どもって1人で産めるんだ」というのが新鮮でした。希望というか、突破口のように感じて。





――2人の感性が共鳴したわけですね。そのあと、すぐに授乳フォトを?

望月:いえ、最初に会ったのは、まだ赤ちゃんがお腹の中にいる2017年8月で、そのときはマタニティフォトを撮らせてもらいました。授乳フォトの話が出たのは、11月に美術館で会ったときですね。


櫨畑:ある施設で写真を撮ってもらって、「そろそろ授乳の時間だな」と思って周りを見渡したら、ゴツゴツした1人掛けの不安定な椅子ばかりで抱いた赤ちゃんを授乳できるようなソファ席が全然なくて。


授乳用のケープを広げられるスペースがないので「不便やな」って呟いたんですよ。そしたら、望月さんがその言葉に反応してくれて。


望月:「そもそもね、これは赤ちゃんの食事だからケープで隠さなくてもいいと思っているんだけど」と言っていたのが特に印象的で。「大人は好きなときにご飯を食べられるけれど、赤ちゃんはそうじゃないし、授乳はこの人(子)にとって生きのびるための食事なんだから」って。


私には子育ての経験はないけど、隠すのが当たり前だという意識は身についていたので、櫨畑さんの言った「赤ちゃんの食事」というのが新鮮で。だけど、素直に「そうだな」と腑に落ちたんです。


櫨畑:そこから「授乳フォト撮ろうよ」と望月さんが言ってくれて、私も「やりたかってん!」って。


特に大それたことをしたいわけでも、何かのためにやったわけでもなく、撮りたかったから撮ってもらって、きれいに撮れたから(Facebookに)投稿したって感じなんですよね。


――渋谷のスクランブル交差点で撮影したのは、何か意味があったんでしょうか?


望月:特に意味はなくて、シンプルに似合っていたんですよ。櫨畑さんって、今の婚姻制度とかが整った社会では発揮しにくいものを体現してくれるイメージがあって。


結婚せずに1人で産んで育てちゃうのもそうですけど、自分の中の"野生の勘"をみたいなものを大切にしていると感じていて。「都会の中の野生」という言葉がよく似合う人なので、それを表現できるのが渋谷かなと思った、という感じです。

子どもの存在を"自分には関係ないもの"にしようとしている

――写真自体に強いメッセージ性はないとのことでしたが、先ほどお話した授乳の不便さなど、子育てする中で、社会に対して何かを感じることはありますか?


櫨畑:出産するまで知らなかったんですけど、「授乳を見て気持ち悪いと思う」という意見がネット上にあって衝撃を受けたことはあります。


「授乳室に行け」という意見もあったのですが、百貨店の高層階やショッピングモールなどの商業施設にはあるけれど、私が住んでいる下町にはほとんどなくて。


実際にお腹が空いてギャンギャン泣きわめいている子がいるのに、わざわざ建物に入って、エレベーターに乗って、高層階まで行かなきゃならないなんて不自然だなと思っているんです。





――泣いたら泣いたで「早く泣き止ませろ」という視線を向けられることもきっとありますよね。


櫨畑:そうなんです。授乳だけじゃなくて、おむつ替えも「トイレのおむつ替えシートでするのが当たり前」という人も多いと思うんですが、おむつ替えシートも増えてはいるものの、どこにでもあるわけじゃない。


おむつ替えシートを探している間におむつから便がはみ出して背中に漏れてしまうこともありました。でも、ちょっと長い椅子や、ベンチなんかがあればサッと替えられます。


子育ての現場、たとえばおむつ替えや授乳を見えないところに追いやることで、子育てや子どもに対しての免疫がどんどんなくなっていく。





――子育ての免疫がなくなった先にあるのは「無関心」でしょうか?


望月:「自分には関係ないから存在しないもの」のような扱いをしようとしていることやイベントに「子連れで行ってもいいですか?」って聞かなくちゃいけない状態にも違和感があります。


そもそも少子化で子どもの数も少ないのに、これ以上子どもに触れる機会が減ってしまったら、「子育てしている人」「子育てしていない人」の間に、大きな隔たりが生まれたまま、その溝がどんどん深くなっていって、より一層神経質になってしまう状況があるんじゃないかなって。

――妊娠自体も、デリケートなトピックになっている印象です。


櫨畑:不妊の人が傷つくからSNSに子どもの写真を載せることは良くないという議論もありますが、たとえばミュートすることもできるし、フォローを外して見ないようにすることもできるのに、そこまで人の視線を気にしなければいけないのって何だか不自然な気がして。


私も長いこと不妊だったので、気持ちはわからなくはないけれど、否定したり攻撃したりするのはちょっと違うかなって思います。


「そんなこと言ってたら、家から出られへんようになるやん」って(笑)。だから今回はそういう違和感に向き合うつもりで、写真を撮ってもらったんです。


望月:櫨畑さんがそういう率直な姿勢でいるからこそ、私みたいな人間は反応したし、便乗できた。この写真が誰かを傷つける可能性もあるけれど、誰かの希望になる可能性もある。とりあえず出してみないとわからないなと思って出しました。





「泣くのがうるさい」と思ってもいい

――今の社会で子育てする大変さを聞きましたが、そういった社会に対して、2人はどうアプローチしていきたいと考えていますか?


櫨畑:(写真は)いろんな人にやわらかく届いたらいいなというくらいで、実はあまり大きなメッセージはないんです。たとえば今回の写真は、言葉が刺さりにくい人や活字を読む時間や習慣のない人には届きやすいかもしれない。


望月:これは私が櫨畑さんに共感していることでもあるんですけど、「子どものいる人VSいない人」や「独身VS既婚」みたいな感じじゃなくて、「あっちもいいし、こっちもいいよね」みたいな社会が生きやすいんじゃないかな。


櫨畑:みんな自分の意見を伝えたいんだと思うんですけど、生き方や暮らし方、人付き合いの仕方を含めて、他人のことにそんなに口出しするなよと思うよね。個人の選択に対して、否定的で攻撃的な発言をする人が多い。


あとね、この人(子)の養育にはできるだけ多くの人に関わってもらって、小さいうちはどういう風に抱いたらいいのかとか、どうやったら泣き止むのかとかを知ってもらって、少しでも身近なところに小さな人が存在していることを感じてもらえたらいいなと思っています。


お友達に抱っこをしてもらうこともよくあります。この間も知り合いのシェアハウスに滞在していたのですが、住んでいる若い男の子が「いや~、もうずっといてほしい」って言いながら、離乳食を買ってきてくれたり、一生懸命にあやしてくれたりしていました。





――機会が少なすぎて、子供とどう関わっていいかわからない人も多そうです。


望月:今の時代ってとても極端になってる気がして、子供が泣くとうるさいと怒る人もいれば、そういう気持ちを思っちゃいけない、と罪悪感を持って子供を避けてしまう人もいる。どちらも過剰ですよね。


でも、「うるさいな」と思うこと自体は悪いことじゃないと思うんです。そんなの苦しいじゃないですか。「うるさい!」と攻撃するのはおかしいけど、「うるさいなあ、でも泣き止むために私も手を貸すわ」くらいがちょうどいいんじゃないかなって。


うるさいと思うネガティブな感情も、もちろん子どものいる空間を楽しむポジティブな気持ちも両方を共有していくのがいいんじゃないかな。今回の写真は、そういう"ゆるい意識改革"に使ってもらえたらうれしいなと。


櫨畑:だって育てている人でも、泣きわめく子どもに対して「うるさい」って思っちゃうこともあるし。でも、それに対しても「自分の子どもなのにうるさいって言うなんてひどい! 虐待だ!」というバッシングもあるから言いにくいくらい。


「子育てしているんだから、周りに迷惑をかけて当然だ!」とも思わないし、かと言って萎縮させられるのも何か違和感がある。その間くらいで、ゆるく、やっていけたらいいなと思っています。

(取材・文:佐々木ののか / 編集:笹川かおり)

仲間由紀恵さんが赤ちゃん授かる 妊娠4カ月

女優の仲間由紀恵さんが、夫で俳優の田中哲司さんとの間に初めての赤ちゃんを妊娠中であることが明らかになった。デイリースポーツなどが報じた。


同紙が関係者の話として伝えたところによると、仲間さんは現在妊娠4カ月で、今年の夏に出産を予定している。


日刊スポーツによると、仲間さんは現在テレビ朝日系ドラマ「相棒season16」レギュラー出演しているが、撮影はすでに終了している。司会を務めるフジテレビ系音楽番組「Music Fair」は、体調を見ながら続けていき、良いタイミングで産休に入る見込みだという。


仲間さんは2014年9月に田中さんと結婚。以前からママになることを強く望んでおり、結婚4年目で授かった子宝を夫婦で喜び合っているという。


2016年1月に舞台「放浪記」の千秋楽を迎えた際には、報道陣から子供について問われると、「まだ計画を立てておりませんが、個人的には考えてもいいかな」と話していた。


女優・佐々木希さんが2月28日、お笑いコンビ「アンジャッシュ」の渡部建さんとの間に第1子を授かったことが報じられたばかりで、芸能人の妊娠が続いている。

増殖した野生ウサギをウイルスで駆除へ ニュージーランド

増えすぎた野生のウサギを駆除するため、ニュージーランド政府が3月から国内各地で殺傷ウイルスをまくことになった。BBCなどが報じた。ウサギの食害に悩む農家などは歓迎するが、環境に悪影響を及ぼしかねないと反対する人たちもいるという。


BBCによると、ニュージーランドでは1830年代にウサギが輸入されたが、その後増殖。これまでに狩猟、毒殺、柵を作るなどの対策をとってきたが歯止めが効かず、農作物などが食い荒らされるなどの被害に農家らは悩まされてきた。


第1次産業省(MPI)によると、被害額は年平均で5000万ニュージーランドドル(25億円以上)にのぼるという。


今回使われるウイルスは「RHDV1-K5」。ウサギだけに効果があり、ウイルスに感染したウサギは発熱やけいれん、多臓器不全などを引き起こして、2〜4日以内に死亡する。


ウイルス散布の決定をめぐっては賛否が二分している。農業関係者は歓迎しているが、ペットのウサギへの影響を心配する人もいる。ワクチンを接種すれば死ぬことはないとされているが、環境へのダメージを懸念する声は絶えない。

ニュースキャスターが1週間すっぴんでテレビに出てみたら

毎日メイクをしている人にとって、すっぴんは勇気のいることだ。まるで裸になったように感じる人もいるだろう。
ましてや「テレビに出る」となれば、ふだん化粧をしない人ですら入念にメイクしたりする。
そんな中、アメリカのニュースキャスター、ケメディー・ラッドさんが、1週間ノーメイクで番組に登場。その体験をインスタグラムで報告すると、勇気を讃える声が多く寄せられた。

ラッドさんは、視聴者からネガティブなコメントが届いたり、番組を降板させられるのではないかと心配していたが、そういったものは一切なかったという。
彼女は朝のニュース番組に出演するため、午前2時半に起きて、ファンデーション、アイシャドウ、アイライナー、つけまつげ、眉、パウダー、チーク、そしてリップをつけていると女性向けメディアGlamourに話す。女性ニュースキャスターには、どんな状況でも「完成された顔」を保たなくてはならないという、プレッシャーがあるそうだ。

出典: Instagram

メイクをしているケメディーラッドさん

「私は、ニュースキャスターという仕事を誇りに思っています。しかし、いまだに、ニュースキャスターに一番大事なのは見た目で、仕事の中身ではないという人がいます」
インスタグラムでは、「実験用モルモットになりました!1週間ノーメイクで人前に出ることで、どれだけ自分に自信をなくすか、どれだけ人にネガティブな反応をされるか試してみたかったのです」と、宣言。
「大丈夫!みんなとっても優しかった!私はいつもと変わらず、自信満々に仕事をして、正直に言っちゃえば、すっぴんだったのも忘れてしまいました。結果は...、(私にとっては)すっぴん=何も変わりません 」と続けた。

出典: Instagram

見た目で判断されがちなテレビ業界で、彼女の行動は、多くの人に勇気を与えた。
Glamourのインタビューで、ラッドさんはこう話している。
「見た目を気にすることなく、内容に重点を置きながらニュースを伝えられることを証明したい。大切なのは、内容だから。どんな見た目であっても、ニュースを届ける最大限の努力をしたい。仕事が見た目よりも優先すべきだと証明したい。化粧をしてもいいし、しなくてもいい。見た目をどうするかは、あなた自身が決めるべきです」

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「里親・養子縁組」家族の写真から伝わる愛

血のつながっていない子どもを、家族に迎えて育てる人たちがいる。

彼らの日常をうつした写真展「フォスター」が始まる。

写真展では、血のつながりも法律的な関係もない子どもを育てている、里親や養子縁組家庭の日常を紹介する。

企画したのは、長年里親・養子縁組の支援に関わってきた、静岡大学教授の白井千晶さんと、写真家の江連麻紀さん、そしてNPO法人「Umiのいえ」代表の齋藤麻紀子さんの3人だ。

里親や養子縁組の写真展は非常に珍しく、彼らは日本初ではないかと話す。

これまで、里親講演会などに何度も足を運んできた白井さん。里親のトークがあまりにも素晴らしく、聞き手が「里親になれるのは一部のすごい人。私には無理」と距離を感じてしまうのではと、気になっていた。

「だけど、その"すごい人"たちが、子どもの前では"変顔"している写真をみたら、里親や養子縁組がもっと身近に感じられて、『私にもできるかもしれない』と思えるかもしれません。日常を伝える写真展には、そんな力があります」と白井さんは語る。

「ファスター」の写真とともに、それぞれの家族の温かい日常をのぞいてみよう。

里親の日常1:稲垣さんのお家

広島でファミリーホームをしている稲垣家。てんちゃんはお父さんが大好きで、撮影中もついついお父さんの方を見てしまう。

お父さんはとても几帳面。お母さんが干した洗濯物を、お父さんが干し直してまわる。りつ子さんは「洗濯物を干しても、どうせお父さんが干し直すんだけどね」と笑う。

晩ご飯を待つ子どもたち。こういう日常が、子どもにとっては大事。「今日はお父さんはぴりぴりしてるな」「喧嘩したのかな」など、家庭で人と人との関わり合いを学ぶ。

この日は体調が悪かった。あいにく日曜で病院に行けなかったので、お父さんが一晩中寝ないで体をさすってくれた。

台所で始まり、台所を撮る

写真家の江連さんが大切にしているのは「生活感」だ。なかでも、「食」を担う場である台所の風景をたくさん撮影している。

「うどんやお雑煮を食べているところなど、台所のシーンをたくさん撮影しています。『うちの子は、ご飯を食べる時にとってもいい顔するんですよ』っておっしゃる親御さんもいるくらい、台所には生活や幸せがあふれています」

「あと、他の家庭がどんなものを食べているんだろうってみんな興味があると思いますし、写真を見て、こんなもの食べているんだってわかると、もっと里親家庭を身近に感じられるんじゃないでしょうか」

「うどんの鍋をどーんでおしまい、みたいな手を抜いている食事もあるんですが、そんな写真は『ああ手抜きしたっていいんだ』って思えて、ほっとすると思います」

里親の日常2:齋藤さんのお家

東京都の齋藤夫妻は、実子ふたりを育てながら里親をしている

生後4ヶ月のときに齋藤夫婦の里子になったのんちゃん。今は生みのご両親の元に戻り、時々齋藤家にも遊びにくる。

里親の日常3:向谷地さんのお家

北海道にある社会福祉法人「べてるの家」の理事をしているソーシャルワーカーの向谷地さんも、実子と一緒に里子を育てた。

右から2人目の女性は、中学生の時に向谷地家にやってきた。向谷地家の娘さんはある日突然、通っていた中学校の先生に「この子はあなたのお家に行くそうだから一緒に帰りなさい」と言われて、ともに下校したそうだ。向谷地さんも"すごい里親"ではない。仕事が忙しい時には、近所の家に子どもを預けてご飯を食べさせてもらうことも。「うちって里親してたっけ?」と言うくらい肩の力が抜けた里親さんだ。

大変なこと

江連さんの写真の多くは、家族の笑顔があふれている。しかし、里親家庭が抱える悩みや苦しみを感じることはなかったのだろうか。

白井さんや江連さんによると、どの家庭や子育てにも悩みがあるように、大変なことが無いわけではない。

中には、トラウマを抱えて家庭にやってくる子もいる。過去の恐怖や心の傷を、現在のことのように感じる子どももいて、人を挑発したり、関係性を破壊するようなことをしてしまうこともある(試し行動とも呼ばれてきた)。

ある里親さんのひとりは、その状況を「トラウマを抱えた子たちは、時にこちらの引き金をひかせようとする」と表現するそうだ。

ただそれは、その子が傷を抱えているから起きること。

その里親さんは引き金をひかせないようにするための勉強やトレーニングを続けて、挑発的な行動を乗り越えられるようになったという。

家庭によって悩みはそれぞれあるが、どの家庭も、里子を迎えたこと自体を後悔している人たちはいないそうだ。

「フォスター」はなぜ日本初なのか

里親や養子縁組を撮影することは、簡単ではない。子どもたちのプライバシーに配慮するのはもちろん、里親や子ども自身だけでなく、児童相談所や実親など色々な関係者に理解と許可が必要だからだ。

今回のプロジェクトでは、白井さんが長年お付き合いしているご家庭の中から写真撮影を打診して実現した。江連さんは、そのプロセスの複雑さに、これまで里親・養子縁組写真展がなかった理由がわかったという。

厚生労働省は2017年夏に「就学前児童の里親委託率を7年で75%以上に引き上げ、特別養子縁組数を5年以内に2倍に伸ばす」という目標を掲げたが、まだまだ里親家庭が足りていない。

里親・ファミリーホームは、夫婦でやるものと思われがちだが、白井さんによると娘と母親で里親をしている家庭や、男性ふたりの施設職員と補助員で運営するファミリーホームもある。そのかたちは様々だ。

子どもと親の人生が交錯してできた、ひとつひとつの家族の物語。

今回の写真展ではそんな物語の中から、12家族を紹介する。「どの家族のストーリーも魅力的なので、ぜひ多くの人に見てほしい」と白井さん、江連さんは口を揃える。「地域のあり方やコミュニティのあり方を考える場にできたら嬉しい」という。

写真展は、3月5日に、横浜市のumiの家でスタートする。写真展に先立ち、3月5日には実際に撮影した家族を迎えて、「フォスター」という血縁や法律を超えて家族をつくっていくあり方を話し合うイベントも開く(詳細は下記)。

白井さん、江連さん、齋藤さんの3人は、これからも里親・養子縁組家庭の撮影を続け、子どもたちの成長も記録する予定だ。里親さんからの写真も、募集もしている。

日本初の写真展「フォスター」。色々な家族のかたちをうつした、里親・養子縁組がつくる家族のかたちを、これまでにないやり方で伝える機会になるだろう。

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すれ違う二人の気持ちをいかに埋めるか?性加害の根源探る

<谷村一成・NPO法人greenbirdアンバサダー兼多摩支部長/中央大学変人学部学部長>

2016年の夏休みのこと。私は夏休みの旅行費用を稼ぐために、渋谷のイベント会場で派遣アルバイトをしていた。ある日、同い年の女性と一緒にホールを担当することになった。休憩中、大学生活や趣味の話などで盛り上がり、私はもっと彼女と仲良くなりたいと思った。アルバイトも終わりに近づいた頃、「疲れた~!」と言って彼女は腕を回していた。私はすぐさま肩を揉んであげた。すかさず近くにいた1歳先輩の女性スタッフの方が、「いいなー!私もやって!」と近づいてきた。アルバイトも終わった帰り際、私は思い切って連絡先を聞いた。ちょっと戸惑った顔をしたような気がしたが、すぐに教えてくれた。渋谷駅のホームで「バイバイ~!」と言って別れた。
 帰宅後、派遣会社から連絡が来て、匿名でセクハラ被害の訴えがあったことが伝えられた。私は厳重注意処分となった。「ただ、仲良くなりたい一心だったのに・・・。」私は衝撃を受けた。セクハラをしているつもりは全くなかった。
 ここのところ話題となっている#MeTooの動きの中で"加害者"とされた方々や、その抗議の声に異議を申し立てている方々の声を私は非常に興味深く感じている。どういった声かというと、セクハラと訴えられた行為を、「悪気はなかった。」「好意を表しただけ。」と弁明する声だ。この弁明はまさに私がセクハラだと訴えられた時に私が最初に感じたことと同じであった。
 このような弁明の声は、私のような「悪気のない加害者」が私以外にもいることを表している。BIGLOBEが2017年11月に行った『セクハラに関する意識調査』によると、セクハラをされた時に特に何も行動しなかった人のうち、25.9%が「相手が気づいていないので言いづらい」と回答している。これは、性的被害に関して被害者と加害者の間に大きな認識のズレがあることを客観的に示していると言えるだろう。
 この「悪気のなさ」は非常にやっかいだ。加害者は無意識、あるいは親切心や好意に基づいて行動している。そのため、加害者は自ら行動を改めることはほぼ無いだろう。訴えられたとしても、自分の親切心や好意が踏みにじられたと感じてかえって怒り出す場合もある。セクハラや強姦等で訴えられた方の中に、まるで開き直ったかのように自己正当化する方がいるが、私はもしかすると加害者は開き直っているわけではなく、心から自分は間違っていないと思い込んでいるのではないか?と考えている。
 この加害者と被害者との認識のズレが大きな悲劇につながるのが、性行為に関する"同意"である。相手の望まぬ性行為は強姦罪などの重い罪となりうるだけでなく、被害者の人生を台無しにしてしまう。内閣府の平成26年度調査によると、女性の15人に1人が異性から望まぬ性行為をさせられた経験があることがわかっている。また、そのうちのおよそ7割が誰にも相談しなかったと回答している。多くの加害者が、自分が加害者であることにすら気づいていないのである。(この調査は男性が被害者であるケースや、同性が加害者であるケースを含んでいないため、もっと多くの悲劇が存在すると考えられる。)
 この被害者と加害者の認識のズレをいかに埋めるかが、セクハラや望まない性行為などの一連の問題を減らす大きなカギとなるだろう。とはいえ、言うは易く行うは難しである。これまで何度か私が在籍している中央大学において、友人らとともに啓発イベントを開催した。だが、参加者の顔ぶれはいつも見覚えがある人たちばかり。すでに性に関する問題にしっかりと向き合っている人々に対して、性に関する問題を啓発するというなんとも滑稽な状況になっているのだ。本来「啓発」とは、その問題に興味関心が低い人々に対して理解を促すものであるべきなのだが、そのような人々は性に関する問題に興味がないので通常のアプローチだと参加には至らない。性行為の同意に関するワークショップを全国で開催している一般社団法人ちゃぶ台返し女子アクション共同代表の大澤祥子さんにこの現状をお話ししたところ、「正直、私たちもその点は課題だと感じています。」とおっしゃっていた。私たちに限らず、多くの啓発団体が直面する課題のようだ。

 ところで、普段漫画を読まない私が珍しくはまっている作品がある。吉田貴司さんの『やれたかも委員会』という作品だ。今年1月からAbemaTVで実写版の放送もスタートするなどいま話題の漫画である。ストーリーは単純だ。毎回、相談者(男性であることが多い)が現れ、過去の「性行為に至りそうだと思ったが、結局至らなかったエピソード」を赤裸々に語る。それを3人の審査員(男2女1)が、「やれた(=相手は性行為に同意していただろう)」か、「やれたとは言えない(=必ずしも相手は性行為に同意していたとは言えない)かを判定するというものだ。
 漫画には様々な女性が登場する。「クリスマスの夜に際どいサンタクロースのコスプレ姿でデートに現れた後輩」や、「酒に酔って手を繋いできた同級生」など。それをすぐに相談者は性行為の同意のサインだと短絡的に考える。だが、オチは「身体に自信があったから見せびらかしたかっただけ」であったり、「好きな人の気を引くための当て馬として利用しただけ」であったり。面白おかしく、でも鋭く男女の認識の違いを描いている。(今後、同性どうしのテーマも扱われるかも?)「これは使える!」この漫画に出会ってすぐに私は思った。

 昨年12月のこと。私が在籍する大学の仲間と共に立ち上げたイベントサークルで、作者の吉田貴司さんにご協力いただき、この漫画の実演イベントを行った。題して「リアル『やれたかも委員会』@中央大学」だ。これまで、「性に関する啓発イベントをします」というと、どうしても難しくて堅い話をするのだと敬遠されてしまい、性に関する問題についてもともと関心が高い人々しか集まらなかった。そこで今回は、「やれた」か「やれたとは言えない」かといった居酒屋で盛り上がるようなネタを扱い、話題のハードルを下げた。当日、会場は多くの「性に関する問題に興味の低い学生」で埋まった。
 イベントでは私が相談者として架空の「やれたかも」エピソードを披露する役割を演じた。また、中央大学の後輩である小菅涼平さん、今井瑠々さん(公益財団法人ジョイセフ公認ピアアクティビスト)、足立有希さん(一般社団法人ちゃぶ台返し女子アクションメンバー)という、いずれも性に関する問題を積極的に学んでいる3人に、漫画の登場人物さながらのコスプレで審査員を務めていただいた。
 はじめに漫画の実演を行い、そのエピソードで描かれた性行為の同意に関する両者のすれ違いを、会場も巻き込んでディスカッションした。「一緒に泊まったということが、イコール性行為の同意ではない。手を出してくるのを待っていたのかもしれないし、寂しくて添い寝がしたかっただけかもしれない。あくまで、そこにあるのは一緒に泊まったという客観的事実だけだ。」「キスをしたからといって、最後まで性行為をしなければならない義務が生じるわけではない。途中で気持ちが変わることだってあるし、その時は途中で行為をやめたっていい。」議論を通して、参加者は自分自身がいかに短絡的に相手の行為を性行為の同意だと判断していたか、同意のサインだと考えていた相手の行動にいかに様々な解釈の可能性があるか、といったことに気づき、はっとして過去の自分の行為を振り返っていた。性に関する問題が遠い別世界の事柄から、まさに自分自身に関わることへと変わっていった。

 セクハラや望まない性行為といった性被害を減らすために、人々のセクシャルな事柄に関する認識のずれを埋めることが大きなカギとなる。だが、そのことがいかに難しいことか痛感する日々でもある。日頃から性に関する問題に取り組む諸先輩方と比べると、何度かイベントを開催しただけの私の経験は到底及ばない。だが、そのわずかな経験の中で何か感じたことがあるとすれば、一つだけ。もともと性に関する問題に興味がない人々が関心を持ち、自分に関わる大切なこととして考えるようになるためには、このような難しいテーマをいかに日常レベルまで落とし込めるかがカギとなるだろう。

外部リンク

インターネットはかつての教会のような役目を果たしている

<杉本穂高・映画ブロガー>

『愛、アムール』で自身二度目のカンヌ国際映画祭パルム・ドールを受賞してから5年、ミヒャエル・ハネケ監督の最新作『ハッピーエンド』が3月3日より公開される。
 移民問題を抱える街、フランスのカレーを舞台に、白人の中産階級の家族を描く本作。ともに暮らしているにもかかわらず、なにをしているのかわからない、コミュニケーションの断絶した一家を通じてモラルの崩壊やコミュニケーション不全などを描いている。一見悲劇的に見えて、どこか滑稽さも滲む家族の姿は、観客それぞれに全く異なった感想をもたらすかもしれない。ちなみにハネケ監督本人は、本作を笑劇であると語っている。
 病に倒れた妻と介護する老いた夫婦の愛を描き、前作に続き本作でもジャン=ルイ・トランティニャンが出演しており、前作の延長線上にある要素も見られ、またスナップチャットなどのSNSツールを登場させるなど、若者の新しいライフスタイルも取り入れている。
 また昨今、移民を題材にして欧州映画が増えているが、本作にも移民問題は遠景として描かれている。監督が、今回カレーを舞台に選んだのは、移民問題への目配せがあるからのようだ。
 ミヒャエル・ハネケ監督に本作について聞いた。

出典: YouTube

自らの犯罪をネットに公開するのは懺悔の意識だと思った――本作はコミュニケーションの不可能さや無関心などを描いた作品と受け止めました。本作を撮ろうと思ったきっかけはなんだったのでしょうか。
ミヒャエル・ハネケ監督(以下ハネケ):直接のきっかけはもう一度ジャン=ルイ・トランティニャンと仕事がしたかったということです。なので撮影場所はフランスにしました。ロケ場所にカレーを選んだのは、この街は難民の問題などを抱えているからです。もしドイツやオーストリアで撮影していたとしても、やはり難民などの問題に直面している街を選んだでしょうね。

――前作の『愛、アムール』からテーマを引き継いでいる作品になるのでしょうか。
ハネケ:そうですね。前作は、メタファーに富んだ終わり方で散文的でした。愛する人を手にかけてしまった時にどう感じるのかを描きたかったというのはあります。

――前作は愛する人を殺す老人を描きましたが、今回はさらに母親に薬を盛る少女が登場しますね。この少女は日本のタリウム少女をモデルにしているそうですが、この事件のどんな点に興味を持ちましたか。
ハネケ:自分の犯す犯罪を公開するのはなぜなんだろうと思いました。よくある答えとしては、注目を浴びたいということや承認欲求などが挙げられるでしょうが、私はもっと重要な理由があると思っています。自分の罪に対する罰を受けたいという欲求があるのではと思ったんです。
現在のインターネットは、かつてのカトリック教会が果たしていた機能を担っているのでは思います。いわゆる懺悔ですね。インターネットに投稿するというのは、無意識に懺悔するような気持ちの現れなのではないでしょうか。
ただ、この映画の少女、エヴが母親を殺したかどうかははっきりとは描いていません。事故か事件かは、映画としては自由に解釈可能にしています。

今起きていることは何百年も前から始まっていること――本作では、SNSのような新しいコミュニケーションツールを採り入れるため、監督もリサーチのために実際にアカウントを作ってみたそうですね。実際に体験してみてどんな発見がありましたか。
ハネケ:退屈でしたね。(笑) フォーラムや掲示板などで若者の悩みや危機感なども勉強できましたし、若い世代のコミュニケーション方法がわかって興味深かったことは確かですが。

――本作は、ひとつの家族を通してモラルの崩壊を描いているように感じます。監督は現在の社会にモラルの崩壊を感じているのでしょうか、また社会のどんな点を見てそれを感じるのでしょうか。
ハネケ:日常を過ごすなかで、他者に対する共感や敬意がどんどん失われていると感じます。消費社会が蔓延し、利己主義的になっています。こうした変化は今に始まったことではなくて、ニーチェが「神は死んだ」と言った時から起こっていることかもしれません。
この映画は、難民についても少し触れていますが、この問題についても、突然始まったことではなく、その原因は過去何十年、あるい何百年も前から存在するものです。今起こっていることは過去から続いたことが延々と続いた結果です。
人間同士共感を持って、人道的にやっていくことを美徳だと考えなくなっている人が増えています。美徳が社会で意味を持たなくなり、社会がどんどん利己主義的になっていると感じますね。

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