2018年7月の本誌の取材に、グラビアアイドルの「オシリーナ」こと秋山莉奈(33)は、「家でご飯を作って待っていてくれる “夫向き” な男性」とノロケた。夫は、競艇の後藤翔之選手(32)。2015年に結婚、2歳になる男の子がいる。そんなオシリーナを悲しませる出来事が、2018年に起こった。
20代のタレント・Rさんが、後藤選手との思い出を、本誌に語り始めた。
「彼と出会ったのは、2018年3月、あるパーティの席でした」
出会いから7カ月後のある日、Gカップのバストが魅力的な彼女に、後藤選手からの誘いが届く。
「男友達と飲んでいた彼から、いま来ないか、という誘いの電話がありました。夜中の0時前でしたね。渋谷のダイニングバーで飲んで、彼の門限に合わせてお開きに。彼はタクシーで送ってくれました。
私を降ろした後、彼は自分のマンションの前から、電話をかけてきたんです。『彼氏にしてほしい。彼女になってほしい』と言われました。
秋山さんのことは知っていたので『奥さんや子供は大切にしてほしいけど、それ以外の女のコのなかでは、いちばんにしてほしい』。そう答えて、つき合うことになりました」(Rさん)
8日後には渋谷で、2人で食事をした。そして翌月、2人は徳島県に「密会泊」に出かけたのだ。
競艇選手は地方のレースの際、前々日に現地に行き、ホテルなどに泊まって、前日に競艇場入りすることが多い。Rさんは後藤選手と同じ飛行機で徳島に行き、同じホテルに泊まった。
「人目を気にして飛行機には別々に乗りましたが、席は隣。選手仲間に会わないように、いちばん後ろの席にしたのに、同じ列に選手がいたのを覚えています(笑)。部屋は別でしたが、彼が決めた店で一緒にご飯を食べました」(同)
Rさんが驚いたのは、後藤選手と秋山のテレビ電話だ。
「ホテルに着いたよ、食事に行ったよ、寝るね、おはよう。いちいち彼は奥さんに、携帯のテレビ電話で報告するんです。でもその夜、おやすみのテレビ電話の後で、彼は私の部屋に来て、そこで関係を持ちました」(同)

直撃時の後藤選手
12月には、同じように広島県へ。また福井県でのレースの前日に、石川県にも泊まった。飛行機や宿泊費は彼が出したが、チェックアウト延長の料金や、空港への移動費は、彼女が自分で払ったという。
「彼は、奥さんに内緒のカードで支払いをしてましたね。どちらのときも、私の部屋で関係を持ちました。彼は『Rちゃんのルックスが、いちばん好みだ』と言ってくれた。
あと、バストの大きなカノジョは初めてだったそうです(笑)。金髪だった彼に、『黒髪のほうが似合う』と言ったら、次に会うとき黒くしてきた。かわいいと思った」(同)

クリスマスプレゼントのネックレス
だが、次第に2人は喧嘩が多くなった。
「賞金をたくさん稼いでいるのに、連れていってくれる店はいつもチェーンの居酒屋。石川でもらったクリスマスプレゼントは、1万5000円のネックレスでした。
なのに、あるとき彼と話していて、私の前に、奥さんに隠れてつき合っていた女性とは、カウンターのお寿司屋さんに行ってたことを知った。九州の女性です。その女性と比べて、私が大切にされていないことが、悲しかった」(同)
だからRさんは、1月15日からの福岡遠征に誘われて、行くのが楽しみだったという。
「なのに1月8日に、一方的にLINEでドタキャンされたんです。《14日なんだけど、夜が祝勝会になっちゃったから》とあったけど、約束していたのは13日で、噓をつかれた。LINEで大喧嘩、最後は彼にブロックされて、終わりました」(同)
彼からドタキャンを謝る言葉は最後までなかった。13日、本誌は1人で福岡空港に降り立った後藤選手に声をかけた。彼の薬指には、オシリーナとの結婚指輪があった。
――Rさんという方と不倫関係にあると聞いた。
「いや、ないですよ。彼女の言うことはたぶん全部噓です」
だが徳島、広島、石川と地名を出すと、遠征先で会ったことを認めた。しかし、彼の主張は、Rさんの告白とは正反対だった。
「食事には行ってます。でも男女の関係では絶対にない。確かにパーティで会って、渋谷で友人と食事をした。でもその夜に『つき合ってほしい』みたいなことは言ってません。
逆に彼女のほうから、男性を紹介してくれと。その打ち合わせで、2人で渋谷で会ったんです。そのとき徳島に行きたいと言われた。徳島で友達を紹介するつもりだったけど、誰も来なかったので2人で食事した。
そうしたら、それをネタに脅されて、家族関係を壊すぞと言われ……。次は〇〇に連れていけとかで、旅費を出すことになるし、プレゼントをしろとか」(後藤選手、以下同)
Rさんに脅されていた、と繰り返す。だが本誌が入手したLINE画像では、親しげに部屋番号を伝えている(本誌に掲載)。
「短い話は部屋でもしましたけど、長くなりそうならロビーに行ったりしました。部屋で男女の仲にはなってない。九州の女性との不倫もないです。福岡の祝勝会は、理由を作っただけです。距離を取りたかった」
直撃の後の福岡のレースは、怪我を理由に欠場。その後二度、彼に話を聞いたが、同じ主張を繰り返した。
どこまでも平行線の2人の主張。ただ、どちらが本当だとしても、既婚者の後藤選手が徳島にRさんと行った軽率な振舞いが、すべての始まりだったのだ。
(週刊FLASH 2019年2月5日号)
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V6の三宅健が、1月17日放送の『アウト×デラックス』(フジテレビ系)で意外な一面を明かした。
V6メンバーを愛している三宅は「誰ともキスができる」と豪語。番組出演者からキスの相手を選ぶと「強いていうなら……マツコさん。唇が一番ぷるぷるしてるもん」とマツコを指名。
「ちょっと恥ずかしい」と照れるマツコに、三宅は両頬、おでこ、まぶたの順でキス。焦らされたマツコが「絶対、口やらねぇーじゃん!」とせがむと、不意打ちで、三宅は唇にキス。マツコを「やった! ガッツリ目、開けてた」と興奮させた。
また、三宅は年末恒例の『ジャニーズカウントダウンコンサート』に出演。「健」と書かれたうちわを発見し、笑顔で手を振ってサービスをしたが、そのファンはもう一方のうちわに「人」の文字が書かれていた。そのファンはSexy Zoneの中島健人のファンで、三宅は「僕が笑顔を振りまいた、あの時間を返してくれ!」と嘆いていた。
マツコと三宅は、2014年10月15日放送の『ホンマでっか!?TV』(フジテレビ系)で共演。三宅は「時間にルーズ過ぎるのを直したい」と告白し、泉ピン子にもタメ口を使うなど自由奔放っぷりが明かされ、マツコらを驚かせていた。
そんなユニークな三宅をマツコは、2015年2月23日放送『月曜から夜ふかし』(日本テレビ系)で「芸能界2大ケンちゃん」としてネプチューンの堀内健と同列だとコメント。
関ジャニ∞の村上信五に「まだお宅の事務所ではホリケンさんの取扱説明書はないのよ。ジャニーズさん。ちょっと三宅健さん、うちに移籍させませんか?」と三宅の引き抜きまで画策していた。
ファンのために手話を覚えるなどファンサービスを欠かさない三宅。自由な言動もそんなサービス精神の一環のようだ。
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『夫とビデオ通話も』
「ウチと夫のNosukeはずっと事実婚状態でご心配おかけしていたのですが、実は昨年の9月13日に本当に入籍したんです」
本誌に入籍報告してくれたmisono(34)。夫であるHighsidEのドラマーNosuke(29)は、精巣ガン治療のため左睾丸を摘出手術し、現在も腹部の胚細胞腫瘍のため闘病生活を送っている。
「Nosukeの体調が悪くなり、食欲不振を言い出したのが昨年の秋頃。ただ、彼自身は春から自覚症状があったようです。ウチを含め、周囲の全員が病院に行くことを勧めていました。
でも、ドラマーなので、前から『腰が痛い』ということも言っていたし、ギックリ腰やヘルニアなのかなと……。まさかガンだとは思わず、整体や針治療を勧めていました。
その後、『眠れないくらい腰が痛い』と言うようになってきたのですが、ウチの海外での活動に付き添い、飛行機での移動が多いせいだとも思っていました。
でも、ご飯3杯食べるような人が、ご飯1杯も食べないようになって、痩せていったんです。
11月に病院に行き、精巣ガンと診断されました。病は気からだし、ガンはストレスからくるというから、『自分がストレスを与えていたからだ』と自分のことも責めました。『体調が悪い』と言い出した夏に、無理やりにでも病院に行かせるべきでした……」
夫のガン告白は大きな話題を集め、misono夫婦への世間からの注目も高まった。
「2017年7月に結婚を発表し、いろんな友達への感謝の気持ちを形にしたくて、ご祝儀も会費も受け取らず、これまで8回も結婚式を挙げました。
それなのに、お互いの親族の喪が連続したこともあり、入籍せずにウチらは事実婚状態だったんです。ウチらなりの新しい夫婦のカタチとして、事実婚でずっと別れずにいるという選択もあったのですが、Nosukeに言われて自分の考え方を改めて、籍を入れたんです」
偶然にもNosukeのガン発覚前に入籍したことで、「いいこともあった」という。
「これは今になって振り返ると本当によかったです。入籍しないままだったら、法的には他人ですから、Nosukeの詳しい病状説明を医師から聞くことも、手術に立ち会うこともできませんでしたから」
いまは、自分たちの状況を発信することで、多くの人のガンが早期発見されるきっかけになってくれればという気持ちが強いという。
1月22日発売のFLASHでは、misonoが人妻セクシーグラビアを披露。二人三脚の闘病生活、事務所独立の理由や現在の活動などに関しても詳しく語っている。
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仕事始めからまだ日も浅い、1月のある日。赤坂の街を歩くのは、たけし軍団の、つまみ枝豆(60)。2018年11月に就任した、オフィス北野の「青木隆彦(本名)」新社長、その人だ。
たけしの独立にともなって、たけし軍団は「オフィス北野は、たけしと軍団のための会社になっていない」と事務所を批判。たけしの右腕といわれた森昌行前社長(66)は退任し、実現したのが、枝豆が社長、ダンカン(60)が専務という「軍団による経営」だ。
しかし、俳優・寺島進(55)や、芸人・なべやかん(48)らは事務所を移籍。軍団に批判された社員も、次々に退社した。
「会社は2018年に引っ越した。前のビルの近くだが、より狭くなった」(テレビ局関係者)
「オフィス北野」は大丈夫なのか。新しいオフィスに出社した、枝豆社長を直撃した。
「年末は秋田、大阪、名古屋と挨拶回り。昨日は熊本で3つのテレビ局に行きました。事務所に残った人たちをなるべく使っていただきたいので、日々、奔走しております」
イチからのスタートだ。
「そうですね。ただ、たけしさんが『これで頑張れ』とお金を残していってくれたので、多少の余力はある。『どうせ長く持たない』と書かれるけど、それはないです」
一部で「オフィスたけし軍団」に改名すると報じられた。
「たけしさんがいないから『北野』を使えないという話があって。新しい名前を考えて、たけしさんのところに行ったんです。
そしたら『「オフィス北野」という名前はメジャーになったし、いいじゃないか。使っていいぞ』と言っていただけた。ありがたかったですよ。
1月4日にも、ダンカンと2人で行きました。就任祝いもらおうと行ったんですけど(笑)。『今年もよろしくお願いします』と挨拶したら、『オゥ!』と言ってくれた。応援してくれているなと思うと、僕らにとっては最高でした」
だが軍団の1人、玉袋筋太郎(51)はメンバーから距離を置いているといわれ、2018年秋に退社報道があった。
「玉袋も一応、離れる予定はないです。自分で酔っ払って『離れる』と言ってますけど。いずれは離れるかもしれない。
以前は、芸人と役者を合わせて90人くらいいたんです。マネージャーがいなくなったので、タレントのケアができない。いま社員は10人ですから。なので、『ケアしてくれる事務所があったら、移ってもいいですよ』という話をしました。寺島が辞めたのもそうです。
『それでもいいから残る』と言ってくれたのが、30人くらい。たけしさんは冗談で『苦しかったら、一度ばらばらになればいいんだよ。それで、うちに戻ってくればいい』なんて話してくれるんですけど、頼らず一度やってみようと」
SNSで人材を発掘していくという。
「ダンカンは、『第2のビートたけしを作る』と言い切っていました。そこまではいかないと思いますけど(笑)、オフィス北野を存続させます」
新社長のお手並み拝見だ。
(週刊FLASH 2019年1月29日号)
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コンビではキングオブコント(TBS)に過去3回の決勝進出を果たした。『あらびき団』(TBS)ではナスのかぶり物にサングラスといういでたちで、やたら睡魔に襲われ「眠た~い!」と叫ぶキャラで異彩を放つ「天竺鼠」のボケ担当・川原克己(38)。
芸人仲間からの評価も高く、ナイツの塙宣之は、サッカー選手に例え、フランス代表の超新星エースストライカー・エムバぺ級のボケと評するほど。
芸能人にも、きゃりーぱみゅぱみゅ、浅野忠信、水川あさみ、ベッキー、堂本剛など、川原のファンは多数存在する。そんなボケボケモンスターの川原の子供時代はどんな少年だったのか、元芸人インタビューマン山下が直撃した。
――川原さんって、どんな子供でしたか?
川原 冷めた小学生でしたね。クラスの子に「グループに入るか?」って言われても「いや、大丈夫」みたいな。学校で一言もしゃべらず、しょっちゅう家に帰ってました。
クラスメイトから遊びに誘われても「いい、いい」って断って、「そんなことしても何の意味もないから、どうせ死ぬし」って思ってました。
――めんどくさい小学生ですね(笑)。先生は川原さんのことをなんと言ってましたか?
川原 中学生のとき、毎日日記を書かなくてはいけなかったんですよ。その日記に全部噓を書いてたんです。「今日はアイルトン・セナと会って……」とか。だから、毎回先生に赤字で「嘘を書くな」って書かれてました。
先生を笑わすために友達とワイワイいたずら感覚でやってたらいいですけど、そんなんじゃなく、一人でもくもくとやってたので、先生も怖かったと思います(笑)。
――子供の頃からお笑いは好きだったんですか?
川原 弟がお笑いが好きで、ご飯のときに録画していたお笑い番組を流してました。それで弟が「兄ちゃん、これ見て、この人ら面白くない?」って。それに対して「おもんないな」みたいな感じで見てました。
だから、好きというわけではなかったですね。クラスで誰かとしゃべって笑いを取るという奴でもなく、誰かがなんかやってるのを見て、「おもんないな」「もっとこうしたらいいのにな」って思ってました。
――じゃあ、どこでお笑いに目覚めたんですか?
川原 僕が高校1年のときに、先輩が文化祭でコントをやることになってネタの相談をされたんですよ。そのときに「この台本はおもろないですね。こうしたらどうですか?」って言うてたら、「お前が出てくれ」ってなったんですよ。それでやったらウケたんです。そこでみんなから「お前はお笑いをやった方がいい」って言われたんですよ。
でもそのときに、僕自身もお笑いのことを何にも知らないのに「いや、お笑いをなめんなよ」とずっと思ってました。僕も含めてですけど、鹿児島のド田舎の文化祭でちょっとウケただけで「お笑いやったほうがいい」って、「なめんな!」という感じだったので。「やりたい!」というのはなかったです。
――川原さんのなかで、お笑いって、めちゃくちゃ難しいもので、できるわけないやろという感じだったんですね。
川原 はい。そういうのもありましたが、高校を卒業したら自分がどれぐらいできるか一回試してみようと思って、大阪に出ました。それでNGK(なんばグランド花月)や若手の劇場を見に行って研究したのちに、養成所に入りました。
――意外に慎重なんですね(笑)。そんな幼少期時代を過ごした川原さんが絵本を出したそうですね。
川原 はい。この絵本は子供に向けたものでもないんですけど…… 対象年齢は32歳です。
――そんなにピンポイントの大人向け絵本なんですね(笑)。
※天竺鼠・川原の絵本「ららら」(ヨシモトブックス)発売中
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モデルや女優として活躍の場を広げている、最上もが。彼女がかわいがっている黒ねこの「くま(2歳、オス)」は、1本だけ生えている白いひげがチャームポイントだ。名前の由来はもちろん、その見た目から!
「叔父が獣医だったので、昔からねこに限らず、動物が身近な存在でした。ひとり暮らし中、ねこと一緒に過ごしたくなり、2年前、叔父に相談したところ、ちょうど飼い主募集中の3兄弟の子ねこちゃんと出会ったんです。
そのとき、いちばん惹かれたのが、第一印象が子熊のようだった、くまでした。母も『くまちゃん、くまちゃん』と呼ぶので、名前もそのまま『くま』に。ほかの子たちも、無事に飼い主さんが見つかりました。
性格は気まぐれですが、眠くなると、甘えん坊になります。長時間ゲームをしていると、『かまってちゃん』状態になって、怒ってきます。特技といえるかはわかりませんが、ビニール袋を丸めて投げると、持ってきてくれるんですよ。
ちなみにチャームポイントの白いひげは、何度抜けてもなぜか1本だけ生えてくるんです。いまはたぶん、6代目くらいですかね(笑)」
もがみもが
29歳 1989年2月25日生まれ 東京都出身 ドラマや映画、ファッション誌などでマルチに活躍中。公式サイトはhttps://www.mogatanpe.com
(週刊FLASH 2019年1月29日号)
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2018年が明けたばかりの1月1日に放送された『おもしろ荘』(日本テレビ)の出演をきっかけに人気芸人の仲間入りを果たしたひょっこりはん(31)。
年末には、お笑い部門で唯一「2018ユーキャン新語・流行語大賞」候補30語に選ばれ、第69回NHK紅白歌合戦にも出演をはたした。この年のお笑い界は、ひょっこりはんで始まってひょっこりはんで終わったといっても過言ではない。
一応説明しておくが、彼のギャグは、隠れている場所から「はい、ひょっこりはん」という掛け声とともに、とぼけた顔を不意に出すもの。子供から大人まで幅広く支持された大ヒットギャグだ。
はたしてこのギャグはどのように誕生したのか? 今回はひょっこりはんの「ヒット夜明け前」に迫る。
ひょっこりはんは、まだ芸歴7年目。しかし早稲田大学のお笑いサークルに在籍していたため、アマチュア時代も含めると11年目になる。
大学時代から普通の漫才やコントをやっており、芸人になってからもダイキリというコンビで漫才のツッコミをやっていた。しかしこれは自分がやりたいことじゃないと思い、解散した。
ピン芸人になって何をしようかと考えたとき、振り返ればサークル時代も芸人になってからも、周りに『結局、お前のおもしろさは顔やな』と言われていたことを思い出した。
「みんながいう『結局、顔』って何やろうというのが頭にあって、『それだけ言われるんやったら……』と思い、顔芸から名前やネタを考えたんです。
そしたらほんと、稲妻が落ちたかのように、ひょっこりはんという名前が浮かびました」
ひょっこりはんと名付けてからは、すぐにひょっこりと顔を出すネタをやれば問題ないと思った。しかし、周りから、そのネタしかできないと思われるのが怖く、最初は別のネタをやっていたという。
「ヨガをやるネタやシスターの衣装でネタをやったりしていたんです。でもオーディションにまったく通らず、『売れるまで長くかかりそうやな』と言われたんですよ。
じゃあ、ひょっこりネタをやろうと思ったんです。ネタ作りは、人より僕がひょっこり顔を出した方がインパクトがあるだろうし、ひょっこりはんという名前のキャッチーさもあって、すべてがバシバシバシってつながって、スムーズにできました」
舞台ではじめてひょっこりネタをやったときから、お客さんの反応もよく、手ごたえがあった。
そこから1年半ほど、このネタをやっていたら、「おもしろ荘」のオーディションに合格。年が明けると同時に「はい、ひょっこりはん」という、ギャグの夜が明けたのだ。
そこからは佐々木希さん(30)、SKE48の松井珠理奈さん(21)をはじめ、多くの芸能人がSNSでマネをして一気に拡散されていった。
なかには、赤ちゃんを持つお母さんから「いないいないばーをやっても笑わないけど、ひょっこりはんをやったら笑うんですよ」というコメントもあったそう。なんと、古来から赤ちゃんをあやし続けてきた絶対王者「いないいないばあー」を超えたのだ。
ピン芸人になり、ひょっこりはんと名付けてからは、売れると思っていたと話す。ここからはヒットを飛ばした人間にしかわからないゾーンであろう。
「名前を思いついたときに、うまくいくと確信しました。自分をうまく説明できてるというのを、脳が感じたんで。これをやるために芸人になったんだと」
芸人は結局、自分の本質、自分に合ったことをやらないといけないと言う。私もそう思う。しかし、ひょっこりはんの「ヒット夜明け前」に、稲妻が落ちていたとは驚きである。この感覚を一度でいいから味わってみたい。
取材・文/インタビューマン山下
1968年、香川県生まれ。1992年 世界のナベアツ(現・桂三度)とジャリズム結成、2011年に解散。同年、オモロー山下に改名し、ピン活動するも2017年に芸人を引退。現在はインタビュアー・お笑い記者
※『ひょっこりはんをさがせ!』は10万部突破、第2弾『もっとひょっこりはんをさがせ!』(宝島社)ともに発売中
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ルノーの公式HPより
1月8日、東京地裁で開かれた勾留理由の開示手続きに出廷したカルロス・ゴーン容疑者(64)。頰がこけた姿を見た記者らは一様に驚いた。ある司法関係者が語る。
「そもそも勾留中の容疑者は、痩せるものだ。ゴーン容疑者の弁護を務める大鶴基成弁護士も、『ほとんどの人が勾留は「無料のライザップだ」と言っている』と話すぐらいだ」
大鶴弁護士の「軽口」には理由があった。同日、会見に臨んだ彼は、後輩にあたる東京地検特捜部に対し、「調べが杜撰だ」とこき下ろしたのだ。そのうえで、嫌疑をかけられている特別背任について、検察側をこう一刀両断にしてみせたのである。
「ゴーン氏のサウジアラビアの知人に16億円を支出させていたというが、検察はその知人を一切調べていない。会ってもいないのに、特別背任が成立するのか。しかも、カネの支出については、取締役会の議事録に書かれており、日産側が承認していることだ」
大鶴弁護士のほかに、母国・フランスからゴーン容疑者を支えているのは、CEO兼会長職を解任していないルノー社。その中核が、美人副社長のムナ・セペリ氏(55)だ。ゴーン容疑者がもっとも信頼を置く腹心の1人とされる。
経済ジャーナリストの井上久男氏は彼女についてこう話す。
「ゴーン会長の側近で、イランとフランスの2重国籍を持つ弁護士。日産社内では『ルノーの(グレッグ・)ケリー』と呼ばれています。
広報、総務、取締役会の事務などを担当する、管理部門のトップで、権限の範囲だけならCEOを凌駕するほどです。現在ルノーから出ている声明は、すべてセペリ氏が関与していると考えていい」
セペリ氏は、一連のスキームへの関与が囁かれている。
「ゴーン容疑者は日産、ルノー、三菱自動車からなる3社連合の統括会社『ルノー・日産BV』から約10億円の非公表の報酬を受け取っていた。セペリ氏も同社から、約6200万円を受け取っていた。
2010年以降、ゴーン容疑者とグレッグ・ケリー被告による『報酬隠し』に法的な問題があるかどうか検討するように、セペリ氏は2人から指示を受けていた」(経済部記者)
1月11日には、特別背任と、2015年度から2017年度の報酬を過少記載した虚偽記載の罪で、追起訴されたゴーン容疑者。だが、元東京地検特捜部検事の郷原信郎弁護士は、こう疑問を呈する。
「特別背任にしても、常識的に考えれば無罪になる可能性が高い。役員報酬の虚偽記載については、退任後のコンサル、競業避止義務契約等による報酬にすぎず、役員報酬として法的に確定したものではない。
ゴーン氏が勾留理由開示公判でも述べたように、確定しているのなら、死亡した場合に相続人が受け取れるはずだが、そうでないことは明らかだ。
また、直近3年分のうち、2年は西川廣人社長に作成・提出義務があり、退任後の報酬の合意に関わっている西川社長も刑事責任を問われることは避けられず、検察はそこまでやれるのか疑問がある」
しかし、ここにきて新事実が次々と明らかになっている。中東のゴーン容疑者の知人2人が経営するオマーンとレバノンの会社にも、約52億円を日産に支出させていたことが発覚。この件について大鶴弁護士は、「コメントしない」とした。
ゴーン容疑者が狙う「無罪判決」と、検察との攻防は、序章にすぎない。
(週刊FLASH 2019年1月29日号)
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日馬富士と貴ノ岩
1月17日の夜、東京・赤坂の料亭の前に、元横綱・日馬富士(34)が黒塗りの高級車から降り立った。急いだ様子で玄関を開け、店の中に入っていった。店の中で待っていたのは元関取・貴ノ岩(28)だった。
「この夜の一席は、2人の『手打ち式』だったんです。もともと、引退を決めた元貴ノ岩側から打診があり、昨年12月末に行われる予定でしたが、なかなか実現しないままでした」(相撲関係者)
この前日、横綱・稀勢の里が現役引退を発表している。このタイミングの「手打ち」には理由があった。
「2月2日に予定されている、元貴ノ岩の断髪式です。貴ノ岩は、昨年12月26日に行われた力士会に来なかった。引退相撲を開催する力士は、力士会を通して協力を要請するのが通例。
なので、いよいよ断髪式がさみしいものになるのではと、周囲が心配していたのです」(同前)
店に入ってから3時間後、タニマチを引き連れて、先に出てきた日馬富士を直撃した。
――手打ち式は無事に終わりましたか?
「ま、ご飯を食べていただけなので」
――貴ノ岩さんに許してもらえましたか?
「そういう問題じゃない」
――2月2日の貴ノ岩さんの断髪式に出席されますか?
「します」
こうきっぱりと答えて、黒塗りの高級車に乗り込んだ。続けて、日馬富士の後に店を出てきた元貴ノ岩を直撃したが、こちらの問いかけにはいっさい答えず、日馬富士が乗りこんだ車に同乗。
晴れやかな様子で、夜の街を走り去ったのだった。
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防衛省発表の動画より
一歩間違えば、日韓両国の撃ち合いになっていたかもしれない。韓国海軍によるレーダー照射事件。韓国は自らの非を認めないどころか、日本に謝罪を要求してきた。その背後には、「共通の敵」であるはずの、北朝鮮の影が――。
石川県鳳珠(ほうす)郡能登町の小木漁港は、函館港、八戸港と並ぶ、日本3大イカ釣り漁港のひとつとされる。能登半島沖に、「大和堆(やまとたい)」と呼ばれる好漁場があるからだ。
だが、その水揚げ量は年々、減少している。2018年の同漁港の水揚げ量は、過去最低だった前年の3分の2まで落ち込んだ。あまりの不漁に2018年末、漁期を1カ月も残して、今期の操業を終えたほどだ。
「大和堆周辺に北朝鮮漁船が現われるようになったのは、4年ほど前からですが、そのころから極端に漁が『薄く』なってきています。2018年は山形県の漁船と、韓国の漁船との間で衝突事件も起きました。
最近では我々は、大和堆を避けて、遠く北海道の西方沖にある武蔵堆まで漁に出ています」(石川県漁業協同組合小木支所の担当者)
大和堆周辺は、日本の排他的経済水域(EEZ)となっている。ここで2018年12月20日に起きたのが、韓国海軍の駆逐艦による、海上自衛隊哨戒機への火器管制用レーダー照射事件だった。
韓国側は、駆逐艦の行動は、遭難した北朝鮮漁船の「人道的な救助活動中」だったと説明。日本側の抗議に当初、火器管制レーダーの使用を認めていたが、すぐに否定した。
さらには「海自哨戒機が威嚇的な低空飛行をした」と、逆ギレ同然の態度に変わり、反対に日本に謝罪まで要求してきたのだ。言い分を変えてまで、自らの非を認めない韓国の態度には、日本中から非難の声が上がっている。
今回、なぜ韓国はレーダーを照射したのか。「そこには韓国が隠し通したい『不都合な真実』があったからだ」とみるのは、元防衛省情報分析官で軍事評論家の西村金一氏。
「漁業による外貨獲得を、経済の柱のひとつと考えている金正恩委員長は、燃料不足による漁船の漂流や遭難について、早急な対策を考えています。
そこで、遭難時の燃料補給を、韓国の文在寅大統領に要請したのだと思います。しかし燃料の受け渡しは、国連の制裁決議違反の疑いがあります。
今回のレーダー照射事件は、救助活動を自衛隊に発見された韓国軍が、焦りのあまり、過剰に対応したというのが真相でしょう」
西村氏は、レーダー照射事件が起きた現場の状況からも、「南北トップの親密な関係が推し量れる」と語る。
「北朝鮮の漁船から直接、韓国軍に救助要請を送るとは、通常考えにくいです。また韓国軍にも、北朝鮮の漁船を救助するために駆けつける義務はありません。となると漁船が、北朝鮮政府を通じ遭難した旨を、韓国サイドに伝えたと思われます。
おそらく、2018年の南北首脳会談のなかで、遭難した船舶についての保護協定ができていたのではないでしょうか」
「そもそも、今回の救助劇と通常の遭難救助には決定的な違いがあった」と語るのは、元海上自衛隊海将で、金沢工業大学虎ノ門大学院教授の伊藤俊幸氏だ。
「遭難した船が救助を要請するのなら、通常は遭難信号を発信して、付近に知らせるはずです。ところが、日本のEEZ内にいた船であるにもかかわらず、海上保安庁は遭難信号を受信していません。
それなのに、韓国の駆逐艦と警備救難艦が駆けつけていたのは、北朝鮮から韓国に直接救助を依頼したからだと思われます」
一方、嘉悦大学教授の高橋洋一氏は、「韓国は、北朝鮮の漁船を日常的に救助していた可能性がある」と語る。
「国連の経済制裁を受けている北朝鮮では、現在石油が手に入りにくくなっています。そんななかで、大和堆まで密漁にやってくる密漁船は、軍から石油の割り当てを受けているはず。つまり、軍の指揮下にあるとみていいでしょう。
北朝鮮軍の傘下にある密漁船を、韓国の軍が救助していたとすれば、北朝鮮による違法操業を、韓国が手助けしていたことになります。韓国軍が自衛隊機に対してレーダーを照射したのは、その現場を隠そうという意図があったのでしょう」
北朝鮮と韓国の不自然な接触。そこでは密漁のほかにも、「瀬取り」がおこなわれていたのでは、との指摘がされている。
「瀬取り」とは、洋上で船から別の船へ荷物を積み替える「密輸」のことだ。物資の瀬取りは、北朝鮮に対する経済制裁を形骸化させてしまう恐れがあるため、海上自衛隊は、海上での警戒監視活動を続けている。
「今回の件に限っていえば、日本のEEZ内での出来事であり、韓国軍の船が出動していますので、そこで瀬取りがおこなわれたということはないでしょう。しかし公海上では、各地で北朝鮮による瀬取りの報告がされています」(前出・伊藤氏)
2018年1月から7月にかけての防衛省発表のデータを見ると、北朝鮮の瀬取りの相手の船籍は、モルディブ、ベリーズ、ドミニカなど多岐にわたる。
そんななか5月3日、東シナ海の洋上で、韓国船籍とみられる船籍不明のタンカー(ページトップの写真右)が、北朝鮮船籍のタンカー(同左)に船体を横づけしているのを、海上自衛隊の艦艇が確認した。韓国の船が、北朝鮮との瀬取りに関与した可能性が発覚したのだ。
日本国政府は、韓国政府に対して事実確認を要求したが、韓国からの回答は「違法取引の事実は確認できない」というものだった。
「これまで、韓国にとって北朝鮮は『前門の虎』というべき存在でした。しかし2018年、南北首脳会談を3度も重ねたことで、もはや敵ではなくなっています。その結果、日本が新たな敵となってきたというわけです」(「コリア・レポート」編集長・辺真一氏)
北朝鮮の傍若無人な振舞いを守る「番犬」となった韓国をこれ以上、図に乗らせてはいけない。
(週刊FLASH 2019年1月29日号)