cat_1_issue_oa-flash oa-flash_0_794f7235ab7e_山本リンダを女手一つで育てた母の教えは「天狗になるな」 794f7235ab7e 794f7235ab7e 山本リンダを女手一つで育てた母の教えは「天狗になるな」 oa-flash 0

山本リンダを女手一つで育てた母の教えは「天狗になるな」

2017年12月29日 07:00 Smart FLASH

 歌手の山本リンダが、12月23日放送の『サワコの朝』(TBS系)に出演し、母・百合子さんについて語っていた。

 番組で山本は、「父親は米軍の兵士だったんですけど、私が1歳になる前に朝鮮動乱で亡くなってしまって。私がハーフなものですから、いろいろと母も苦労したようです」と生い立ちについて明かした。

 山本は、小学6年生で自ら事務所に応募し、モデルデビューを果たしている。

 司会の阿川佐和子に、「お母様は反対しなかったんですか?」と聞かれ、「母は『あつこ(山本の本名)がやりたいことだったらいいよ』って言ってくれて」と、応援してくれていたと語る。

 そんな母は、ときに山本にこんな助言をしてくれたという。

「母はいろいろ私に教えてくれて。例えば、『モデルで売れたからって最近いい気になってるんじゃないか? すぐ(モデルを)辞めてくれ』って言われたときもあって。『あつこ、この頃ちょっと天狗になってる。そんな人間になるなら、すぐ辞めてくれ』って」

 15歳で歌手デビューし、『こまっちゃうナ』が大ヒット。モデルのツイッギーが来日した際には、共演を果たすほど大活躍した。

 こうした状況でも母親は、「あつこ勘違いするんじゃないよ。人間としてどう生きるかが大事なんだよ」と常に山本に言い聞かせていたという。

 ヒット曲が続かず、低迷していた時期、山本は決して周囲に弱みを見せなかったが、母親にだけは愚痴をこぼしていたと明かす。母親はいつも励まし続けてくれていた。

 2016年6月6日放送の『徹子の部屋』(テレビ朝日系)でも、山本は母親について語っている。
 
 じつは母・百合子さんは、『狙いうち』のヒット後、50歳という若さで事故で亡くなっている。思わぬ母親の突然の死について、こう語っている。

「大阪の人なので元気なのですが、もともと内臓がよくなかったんです。母はそれこそ40歳代半ばぐらいから『これでも長生きしてるんよ』といつも言っていた。私も母を見ながら、今年も元気でいてくれてるって、そんな思いで(励まされていた)。母が亡くなったときは、歳は若かったけれど、私のために一生懸命生きてくれたって。そんな(感謝の)思いの方が強かったです」

『サワコの朝』では、「母を悲しませないようにと考え、いつも前向きに頑張ってこれた」と明かした山本。いまもパワフルな音楽活動を続けていられるのは、ときには厳しい助言を与えてくれた母のお陰だったのだ。

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cat_1_issue_oa-flash oa-flash_0_37f5cbf711dd_松たか子「影響を受けたのはスティービー・ワンダーと…」 37f5cbf711dd 37f5cbf711dd 松たか子「影響を受けたのはスティービー・ワンダーと…」 oa-flash 0

松たか子「影響を受けたのはスティービー・ワンダーと…」

2017年12月29日 02:00 Smart FLASH

 17歳のとき、テレビドラマは未経験ながら、大河ドラマに出演した女優の松たか子。その後もテレビや舞台で活躍し、19歳で歌手デビュー。同年、紅白歌合戦に出場するなど、若い頃から多方面で活躍してきた。

 12月16日放送の『SONGS』(NHK総合)では、演技と音楽それぞれの原点を語っていた。

 彼女が初舞台を踏んだのは16歳だが、その少し前に、演技を目指す気持ちが芽生えていたという。それは父である松本幸四郎の舞台を見てのことだった。

「小学校6年生のときに、父が『ラ・マンチャの男』っていうドン・キホーテのお話をやっていて、ちょうどそのとき、祖母が危篤状態になって。父も疲れが溜まっていて、コンディションがいまいちで、声があんまり出ない」

  はじめはその様子が気に入らなかったが、徐々に気持ちに変化が。

「最初、『お客さんになんて姿を見せるんだ』って腹が立って。でも、次の瞬間に、(父が)ドン・キホーテだったりセルバンテスの役に見えた気がして。それを、客席で見てるお客さんたちが支えてくれてるとか。そのとき初めて、『自分の父親はこういう仕事をしてる人なんだな』って思って。(芝居を)やりたい……っていうんではなくて、私もこっちに進むのかなって」 

 その後の大活躍は御存知の通り。端から見ると順風満帆この上ないが、幼少期にピアノを習っていた際、挫折した経験があるという。

「ピアノを習った先生がすごい厳しくて、小学校のときに、ストレスで倒れたことがあって(笑)。ピアノはすごい好きで、でも練習が嫌いで、マジメにやらなくて。
 ピアノを弾いて歌うことは好きだったんだけど、自分の練習不足で挫折的なことがあったり」

 そんな時期、あるアーティストを見て、不思議に感じたことがあった。
 
「テレビを見たら、楽しそうにキーボードを引きながら歌ってる人がいて。それがスティービー・ワンダー。私はこんなにつらいのに、なんでこの人はこんな楽しそうに歌えるんだろう? って思って。

 弾いてて、歌ってて、すべてがひとつになってる。この一体感は何だろう……? って。子どもだったから、意味もわからず『Part-Time Lover』を聞いてたって感じ」

 さらにもう一人、松がこの時期に憧れていた歌手がいた。松田聖子だ。 

「『この人の声、何だ?』みたいな。もちろんキレイな声なんだけど、いわゆる声楽の人のキレイな声とも違う。ハスキーなのに通る声っていうのが、私には衝撃で。『なんだろう、この人の声?』って夢中になったのは、聖子さんが最初」

 このようにポップスに触れた経験もあり、歌手としてデビューすることになるのだが、そのきっかけはドラマのプロデューサーだった。 

「ドラマに出たときのプロデューサーの人から、『CD出さない?』みたいな感じで言われて(笑)。『絶対イヤです』って言って。音楽は大好きだったけど、私はそんなのやっちゃいけないみたいに思ってたから。ピアノを中途半端にしたっていうトラウマがあったから、本当にありえないと思って」

 しかし、結局は歌手としての活動にも挑戦。結果的には、芝居だけやるよりも、精神的にはよかったと感じているようだ。

「1枚(CDを)出して終わりだったらやんないほうがいいと思って。だけど、やってみて、ピアノで曲を作ったり、弾くことがあると、ちょうどよかったのかなと思ったり」

 松のピアノはプロから見てもなかなかの腕前だという。小さい頃に挫折を味わうほど厳しい練習をした成果が、後になって実ったのだろう。

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cat_1_issue_oa-flash oa-flash_0_b057075deb3d_偏食で有名な「内村航平」食事は1日1食で栄養バランス無視 b057075deb3d b057075deb3d 偏食で有名な「内村航平」食事は1日1食で栄養バランス無視 oa-flash 0

偏食で有名な「内村航平」食事は1日1食で栄養バランス無視

2017年12月28日 07:00 Smart FLASH

 体操金メダリストの内村航平が、12月22日放送の『アナザースカイ』(日本テレビ系)に出演した。

 番組で内村は、オリンピックで初めて金メダルを獲得したロンドンを訪問。遠征時は観光ができないため、3度めのロンドンで、ようやく念願が叶ったという。

 番組スタッフが、市場で昼食を提案するも、内村は「基本的には夜に1食しか食べない。自分の体を宙に浮かさないといけないので。食べたら重みとしてそれがあるわけじゃないですか。僕には食べないことが合っている」と語る。

 その後、夜になると内村はステーキ店へ。600gのTボーンステーキを前にして「これじゃ足りないな」と発言。肉の好みについて、「サシが入っているのもいいんですけど、最近はあんまり入っていない方が」と赤身のステーキが多くなったと明かしている。

 じつは内村の偏食ぶりはかねてから有名。それが知られるきっかけになったのが、2008年の北京オリンピックだ。

 2008年7月27日付けの日刊スポーツによると、当時19歳の内村は、出発前の会見でメダルへの秘策を聞かれ、「自分の好きな物を食べて、いい気分でやりたい。チョコが大好き。特に『ブラックサンダー』っていうのがおいしくて、試合中にも食べますよ」と発言している。

 内村は実際に、北京へチョコレート菓子ブラックサンダー40個を持参。食に関して「好きなものだけを好きなだけ食べる」というモットーがあり、栄養バランスは無視。選手村ではプリンやハンバーガーだけで終える日もあったという。

 これを裏付けるように、内村は2010年12月12日放送の『情熱大陸』(TBS系)で、嫌いな食べ物を聞かれ「トマト、グリーンピース、野菜系ですね」と子供のような発言も。

 ちなみに内村がロンドン五輪で金メダルを獲得した際には、会場にいた周子さんから、ブラックサンダーを投げ渡されている。

『アナザースカイ』では「ロンドンで金メダルをとってから、1日1食という食生活になった」と紹介された内村。世界一になって、さらに偏食が進んだのかもしれない。 

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cat_1_issue_oa-flash oa-flash_0_e3dede06aaa3_日本初ミシュラン一つ星ラーメン「蔦」秘密は3種類の出汁 e3dede06aaa3 e3dede06aaa3 日本初ミシュラン一つ星ラーメン「蔦」秘密は3種類の出汁 oa-flash 0

日本初ミシュラン一つ星ラーメン「蔦」秘密は3種類の出汁

2017年12月28日 02:15 SmartFLASH

 それは、グルメ界を揺るがす大ニュースだった。2017年12月に発売された『ミシュランガイド東京2016』において、東京・巣鴨のラーメン専門店「Japanese Soba Noodles 蔦(つた)」が、ラーメン史上初の一つ星を獲得したのだ。

 2012年、東京・巣鴨の地で産声を上げた「蔦」を端的に表現すれば、「日本でも有数の個性派店主が腕を振るう、最もハイレベルな店」。この一言に尽きる。

 ラーメン愛好家として身も蓋もない発言かもしれないが、料理の味の良し悪しを判断するに当たっては、明確な物差しは存在しない。人それぞれ味の好みがあるからだ。

 だが、「蔦」のラーメンは、個人の好みの範ちゅうを超えた次元にある。仮に、これまでどんなラーメンを食べても満足したことがない、味に厳しいグルメ評論家がいたとしても関係ない。そんな評論家をもってしても、強引に「美味い!」と言わせてしまうのが、大西店主のラーメンだ。

「創っているラーメンが自分にとって少しでも満足できないものになれば、ためらうことなく直ちに味を見直します」と大西氏は言う。

 オープン当初から同店の代表メニューは「醤油Soba」(醤油ラーメン)であるが、味を何回変えたのかを、全く覚えていないという。

 大西氏が自らに課している唯一の決めごとは、新しい素材を試すときは、その素材のみを使って出汁を採ってみることだそうだ。

「気になる食材が見つかれば、あれこれ考えずにまずは取り寄せてみるんです。で、その素材だけを使って出汁を採ってみる。そのときに、『この素材は自分と相性が良い』と感じることができれば本格的に採用する。そうでなければ、いくら良さそうな素材であっても躊躇なく切り捨てます」

 作り手が自分自身である以上、自分と相性が良くなければ、結局、頭の中で思い浮かんだ味のイメージと食い違ってしまうからだという。

「実際に手を動かす前に、創ろうとするラーメンの味をイメージするんです。次に、その味を表現するために、どのような素材がどの程度必要なのかを考えます。相性の良い素材とめぐり逢うことができれば、ほぼ確実に、その素材でイメージどおりの味を創り出すことができます。

 裏を返せば、ある素材を用いて想像を超える味が出せたとしても、それが自分のイメージを凌駕しているのであれば、今の自分には使いこなせていないということ。そういう素材を使うことはありません」

 素人考えだと、「想像以上の味が出せるのであれば、その素材を使ったら良いじゃないか」となるのだが、そうではないらしい。どうやら大西氏は、常に一定水準以上の味を提供できるようでなければ、料理人として失格という考えを持っているようだ。

 そして、2017年6月に完成したのが、店主が「全く新しい味だから『新味』」と称する1杯だ。

 醤油ダレは、和歌山県の2年熟成生揚げ醤油をメインに、長野県産の丸大豆本醸造濃口醤油と白醤油をブレンドした醤油に、ムール貝・牛肉・ポルチーニ茸・乾物・野菜の出汁を合わせたもの。

 醤油ダレにはあえて雑味を加えることで、ラーメンにとって必要不可欠な「適度な品の悪さ」を演出している。スープは、3種類の出汁をそれぞれ別の寸胴で作り、それらの出汁を、提供する直前に丼で合わせるトリプルスープ。

 具体的には、青森シャモロック・熊本天草大王・名古屋コーチンの丸鶏を使用した出汁、大量のアサリから採った出汁、昆布・乾物などから採った出汁の3種類だ。

 そして、「蔦」を一躍有名にしたのが、黒トリュフオイルの使用。

「これまでは相当な分量のトリュフオイルを使っていましたが、『新味』への変更を機に、大幅に減量しました。またそのトリュフオイルを、単なる香り付けではなく、うま味の一部としてスープに溶け込ませることで、シンプルなおいしさを目指しました。また、オイルを減らした代わりとして、新たに黒トリュフパウダーを採り入れてみたのです」

「蔦」のラーメンの代名詞とも言われているトリュフの使い方でさえ、状況次第でこともなげに変える。この柔軟な発想力と、それを確実に具現化できる圧倒的な技量こそが、「蔦」を日本一たらしめる所以なのだ。
(田中一明『ラーメン超進化論「ミシュラン一つ星」への道』より)

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『渡る世間は鬼ばかり』天才子役「宇野なおみ」今は通訳に

2017年12月27日 21:00 Smart FLASH

「私が高校生をデッキブラシで倒すシーンがあったんです。その放送の翌日、学校に行ったらあだ名が『デッキブラシ』になってました(苦笑)」

 9歳から、人気ドラマ『渡る世間は鬼ばかり』(TBS系)に野々下加津役で出演した宇野なおみ。「幸楽」に居候していた “かづちゃん” は、すっかり大人になった。

「森(光子)さんに、『歴代もっとも奔放な子役』って言われたんですよ。当時、何も怖いものがなかったです。池内淳子さん、赤木春恵さん、渡辺美佐子さんほか、昭和の名優さんたちを間近で見てきたことは、すごく大きな体験だったと思います。

 ただ、現場は厳しかったです。『台詞をただ覚えればいいってもんじゃない』『芝居が下手だ』とか、傷つくことを言われることがありました。もっとちやほやされたかった(笑)」

 宇野さんは、早稲田大学を卒業後、バンクーバーへ留学。帰国して、女優業のほか、通訳としても働いている。

「『渡る世間~』が終わったあと、何も考えてなかったですね。不動産投資でもしておけばよかった(笑)。語学については、海外のドラマや映画に挑戦したくて英語を学び、通訳、翻訳の仕事を始めました。今後も英語力を使った仕事をしながら女優としても、どんどん作品に関わっていきたいです」

うのなおみ
28歳 1989年8月26日生まれ 東京都出身 早稲田大学卒 1996年、舞台『マダム・バタフライ』で、子役デビュー。舞台『おしん』の演技をきっかけに、1998年から『渡る世間は鬼ばかり』(TBS系)に「野々下加津」役でレギュラー出演。現在、通訳、女優として活躍中 

(週刊FLASH 2017年12月12日号)

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大竹しのぶの前で入浴シーン披露「さんま」元夫婦の内緒話

2017年12月27日 11:00 Smart FLASH

 12月18日に放送された『第3回明石家紅白!』(NHK総合)で、MCの明石家さんまが、ゲストとして登場した元妻で女優の大竹しのぶとの秘話を明かした。

「(さんまの)コントライブを見に来てくれたときに、女性と一緒に風呂に入る仕草を俺がしなきゃいけないシーンがあった。『ヤダ! こっちから入ろうか、どうしよう?』とかいう寸劇で、スタッフが『アレ、娘さんの前でやるんですか?』って聞かれた。

『やるよ! 昨日のお客さんも同じ金取ってるし、IMALUと大竹しのぶが来てるからそのネタを外すというのは絶対やったらあかんこと』(と言った)。で、やったら、IMALUが『感動した』って言ってくれた」

 娘の前であろうと、プロ根性でお色気シーンに果敢に挑戦し、見事に娘から絶賛を受けたのだった。同番組では、さんまと大竹がデュエット曲『キライナヒト』を披露するなど、仲睦まじい姿を見せた。

 そもそも、さんまとしのぶの出会いは、1986年に放送されたドラマ『男女7人夏物語』(TBS系)の共演だった。共演者の一人だった女優の池上季実子が、3月5日放送の『ウチくる!?』(フジテレビ系)で当時を振り返っている。

「そのときからさんまさんは、しーちゃん(大竹)にちょいちょい絡んで。(大竹が)『やだぁ~』とか言いながら(イチャイチャしていた)」

 2人が次第に関係を深めていく様子を「けっこう目撃してる。仲いいなこの2人、と思ってました」と振り返った。

 両者は映画『いこかもどろか』で再び共演し、1988年に結婚。しのぶには死別した先夫との息子が一人いたが、さんまは実の息子同様に扱い、「お父さん」とは呼びにくいと思い「ボス」と呼ばせていた。

 1989年9月に長女・IMALUが誕生する。だが、1992年に離婚。その原因は「家庭に入った大竹が女優復帰を望んだ」などと言われたが、2015年11月22日放送の『史上最大のさんま早押しトーク』(日本テレビ系)ではこう紹介された。

 当時、しのぶが会計士と税務処理していたとき、さんまの口座から大金が引き出されていたことが発覚。実はその金はさんまが、以前交際していた女性に贈っていたのだ。

 さんまはその女性と「この先だれかと結婚した場合、海外旅行をプレゼントする」と約束していたからだという。しのぶはこの事実に「バカじゃないの!?」と怒り心頭。

 この一件以降、2人は揉めごとが増え、離婚に発展していったという。さんまはそのエピソードに「俺は男の中の男を超えた、ヒューマンの中のヒューマンや!」と自画自賛していた。

 さんまが行った離婚会見では、おでこに「バツイチ」を意味する「×」マークを書いていたが、マスコミには気づかれなかったというエピソードはつとに有名。

 今回の『第3回明石家紅白!』では、しのぶの口から「この洋服覚えてる。アイロンかけた覚えがある」の言葉が。それに対し、さんまは「おまえ、アイロンかけてくれてたんか? だいぶ遅いんやけど、ありがとう!」と、離婚から25年越しとなる感謝を伝えた。

 つかず離れずな絶妙な距離感で、朗らかな笑いを提供してくれたさんまとしのぶ。今後もまだまだ世間を騒がせてくれそうだ。

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cat_1_issue_oa-flash oa-flash_0_e5a58f528af5_大事MANブラザーズ『それが大事』ヒットした後もバイト e5a58f528af5 e5a58f528af5 大事MANブラザーズ『それが大事』ヒットした後もバイト oa-flash 0

大事MANブラザーズ『それが大事』ヒットした後もバイト

2017年12月27日 07:00 Smart FLASH

「『それが大事』の人気が出ても、全然実感はなかったですね。印税は遅れて振り込まれるので、とにかくお金がない。『ミュージックステーション』出演後に、バイトに行っていたくらい(笑)」 

 そう当時を懐かしむのは、大事MANブラザーズバンドのボーカル・立川俊之(51)。

 1991年にメジャーデビュー。

「1992〜1993年の2年ほどは本当に激務で、基本的に休みはナシ。新幹線での移動中などに必死で曲を書いていました」

 1996年のバンド解散後、立川さんは大小含め約10のバンドに所属し、現在はソロ活動中。

 一方、ほかのメンバーは音楽をやめているという。ベースの戸村公彦さんは当時からIT会社のサラリーマンと二足の草鞋で現在も会社勤め中。キーボードの吉田理恵さんは音響製品の製造販売をおこなうハッピーリスという会社を立ち上げた。

「僕は昨年より昭和歌謡、M・ジャクソンなど自分の音楽の歴史を振り返るカバーライブを始め、ギター1本持って全国を回ってます」

たちかわとしゆき
1966年4月17日生まれ 埼玉県草加市出身 1991年、大事MANブラザーズバンドでメジャーデビューし、1996年解散。現在もアーティストへの楽曲提供やソロ活動を精力的におこなう。
(週刊FLASH DIAMOND 2017年11月10日増刊号)

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高橋一生を作り上げた「母のお腹の中で聞いたユーミン」

2017年12月27日 07:00 Smart FLASH

 12月16日放送の『SONGS』(NHK総合)にて、俳優の高橋一生が芸能活動を始めたきっかけについて語っていた。

「ちょっとふさぎがちな子供だったらしいんです。友だりとコミュニケーションがとりづらそうだなっていうのを、祖母が見てくれていたらしくて。

 いろいろな習い事を習わせてくれたんですね。水泳、ピアノ、ドラムとか、エレクトーンだったり……。でも、全然続かないんですよ。とにかくいろんな習い事が」

 そんななか、習い事のひとつである児童劇団での経験が転機となった。

「その頃、児童劇団にいれてもらっていて。発表会みたいなものが定期定期にあって、初めてお芝居をした発表会を、祖母が見に来てくれた。祖母がそれを見て、泣いちゃってるくらい喜んでて。その喜んでる顔に、ぼくも感動しちゃって。人が喜ぶ、しかも肉親が、ここまで喜ぶっていうのが初めてで」

 このあと10歳で子役デビューし、現在では総計100本以上の作品に出演している。また、中学ではロックバンドを組み、キリンビール「氷結」と森永製菓「ICEBOX」のコラボCMでブルースハープ奏者として出演するなど、音楽の素養もある。

 その原点となったのは、母親の所持するカセットテープだったという。

「小学校4年生くらいのときかな。ほとんど祖母に育てられてたんで、母親の部屋っていうものに、普段あんまり入れない。けっこう物色したんですよ、ネックレスとか。

 引き出しをぱってあけたら、昔のカセットテープが出てきて。そのときはわかんなかったんですけど、ユーミンだったんですね」

 そのカセットテープを聞いたところ、不思議な現象が起こった。

「両面入ってるんですよね、カセットだから。不思議な話なんですけど、ガチャっと始まって、最後まで一気に聞いたんですけど、全部歌えたんです。初めて聞いたのに、歌えちゃってる自分にこわくなって『おかあさーん!』って呼んだ記憶がある(笑)。

 聞いたら、結局、(僕が)おなかのなかにいるとき、(母が)繰り返し聞いてたんですって。母親と一緒に、『胎教大事だねー」 って言った記憶あります」

 児童劇団や胎教といった幼少期の体験が、今をときめく高橋一生の根源にあるのだろう。

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柴咲コウ「すっぴんなのに美しすぎる」と海保知里が嘆息

2017年12月27日 02:00 Smart FLASH

 12月19日放送の『たまむすび』(TBSラジオ系)にて、フリーアナウンサーの海保知里が、女優の柴咲コウの美しさについて語っていた。
 
「昔の話だけど、TBSのドラマのオーデションを受けてる頃の柴咲コウさん。オーディションの現場に来たときに、すっぴんで来たのに、あまりにキレイ過ぎてプロデューサーから『ちょっと化粧してるじゃない』って言われて」

 しかし、実際には化粧をしていなかったという。

「(柴咲が)『いえいえ、すっぴんです』って言ったときに、スタッフ全員が『こんなにキレイで化粧してないんだ?』って、度肝を抜かれたっていう伝説を昔、聞いたことがあります。やっぱり、標準装備のレベルが高いっていうね」

 今年で11回目を迎える「女性が選ぶ “なりたい顔” ランキング」にも6位に入っているなど、その美貌は折り紙付き。いまほど知名度が高くない時期から、すでにその美しさは誰もが認めるところだったのだろう。

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cat_1_issue_oa-flash oa-flash_0_61e206396223_30kg減量するも即リバウンド「彦摩呂」人生初の食レポは 61e206396223 61e206396223 30kg減量するも即リバウンド「彦摩呂」人生初の食レポは oa-flash 0

30kg減量するも即リバウンド「彦摩呂」人生初の食レポは

2017年12月26日 21:00 Smart FLASH

 タレントの彦摩呂が、12月23日放送の『おぎやはぎの愛車遍歴』(BS日テレ)に出演した。

 近年、太り過ぎが話題になる彦摩呂。先日30キロのダイエットに成功したものの、すぐにリバウンドしてしまったという。

 司会のおぎやはぎ・矢作兼に「太り始めたのはいつ頃ですか?」と聞かれた彦摩呂は、「30半ばぐらいちゃうかな。さんざん褒めるやん。コメントして、食レポで。そのあとで残したら、作ってくれたコックさんに『本当はおいしないんちゃうん』と思われるのが嫌で。けっこう気を使って食べてたんですよ」と回答。

「いまはもうね、お店の人が止めますわ。『彦摩呂さん、次もあるんでしょう? もう置いてください』って」

 その後、番組では彦摩呂がグルメレポーターになるきっかけについて語る。

「子供の頃から人懐っこい子供で。友達の家に遊びに行って、友達が留守なのに、そこのおばちゃんとお姉ちゃんと4時間遊んで帰ってくるような子供。僕自身が人が好きで、人と触れ合いたい。大阪出身なので、自分がパッと言った表現力なんかが放送できたらいいなと思って」

 俳優がメインの仕事だった彦摩呂は、25歳のときにレポーターの仕事がしたいと直談判。もともとはグルメリポーターではなく、情報番組の豪邸訪問や、温泉、旅番組、ペット訪問など。食レポはあくまでそのなかの1つだった。

「自分のなかでどうやったら美味しく伝わるんだろう」と常に考えていたという彦摩呂は、人生初の食レポをこう振り返る。

「初めて行った(食の)レポートが、(東京)日暮里の駄菓子屋横丁という問屋街で。『うわー、いろんな懐しい駄菓子があります』って言って、チョコパイを見つけて。(袋を)開けてチョコパイを割って、それの断面をレンズに見せてたんです。『うわー、クリーム見てください、これ!』って。最初からうまかったんです!」

 これには出演者たちも「よくそんなことやったなあ。すごい」「誰に教わったとかもなくでしょう? 初めてなのに」と感心しきり。

  彦摩呂は「それを観ていた制作陣が、『あの子、勘がええわ』『あの子ええやん、ええやん』と(それから)ずーっとレギュラーで使ってくれて」と明かしていた。

 人生初の食レポから評判になるとはさすがである。 

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