歌手の山本リンダが、12月23日放送の『サワコの朝』(TBS系)に出演し、母・百合子さんについて語っていた。
番組で山本は、「父親は米軍の兵士だったんですけど、私が1歳になる前に朝鮮動乱で亡くなってしまって。私がハーフなものですから、いろいろと母も苦労したようです」と生い立ちについて明かした。
山本は、小学6年生で自ら事務所に応募し、モデルデビューを果たしている。
司会の阿川佐和子に、「お母様は反対しなかったんですか?」と聞かれ、「母は『あつこ(山本の本名)がやりたいことだったらいいよ』って言ってくれて」と、応援してくれていたと語る。
そんな母は、ときに山本にこんな助言をしてくれたという。
「母はいろいろ私に教えてくれて。例えば、『モデルで売れたからって最近いい気になってるんじゃないか? すぐ(モデルを)辞めてくれ』って言われたときもあって。『あつこ、この頃ちょっと天狗になってる。そんな人間になるなら、すぐ辞めてくれ』って」
15歳で歌手デビューし、『こまっちゃうナ』が大ヒット。モデルのツイッギーが来日した際には、共演を果たすほど大活躍した。
こうした状況でも母親は、「あつこ勘違いするんじゃないよ。人間としてどう生きるかが大事なんだよ」と常に山本に言い聞かせていたという。
ヒット曲が続かず、低迷していた時期、山本は決して周囲に弱みを見せなかったが、母親にだけは愚痴をこぼしていたと明かす。母親はいつも励まし続けてくれていた。
2016年6月6日放送の『徹子の部屋』(テレビ朝日系)でも、山本は母親について語っている。
じつは母・百合子さんは、『狙いうち』のヒット後、50歳という若さで事故で亡くなっている。思わぬ母親の突然の死について、こう語っている。
「大阪の人なので元気なのですが、もともと内臓がよくなかったんです。母はそれこそ40歳代半ばぐらいから『これでも長生きしてるんよ』といつも言っていた。私も母を見ながら、今年も元気でいてくれてるって、そんな思いで(励まされていた)。母が亡くなったときは、歳は若かったけれど、私のために一生懸命生きてくれたって。そんな(感謝の)思いの方が強かったです」
『サワコの朝』では、「母を悲しませないようにと考え、いつも前向きに頑張ってこれた」と明かした山本。いまもパワフルな音楽活動を続けていられるのは、ときには厳しい助言を与えてくれた母のお陰だったのだ。