『失恋ショコラティエ』『脳内ポイズンベリー』『窮鼠はチーズの夢を見る』……どんな作品でも、人間の心情の揺れ動きと関係性の変化を徹底的に描いてきたマンガ家・水城せとな。
彼女の初の青年誌連載『世界で一番、俺が○○』は、幼なじみのアラサー男3人が「不幸比べ」をするという作品。一体どんな心理模様が展開されるのか?
「ちょっと〝恋愛疲れ〟してきちゃって」
『失恋ショコラティエ』『脳内ポイズンベリー』など、〝鋭い人間洞察で恋愛を描くマンガ家〟というイメージが強かった水城さん。女性誌連載ではどうしても、恋愛をメインとした物語が求められるためだ。
「誰かと誰かがくっつくかどうか、というところとは違うゴールを持ったお話を描きたいなと考えていたので、青年誌での連載を持ちかけられたときにちょうどいいなと思ったんです」
メインとなるのはアラサー男性3人。そのうち男性人気が高いのは、薄給で頑張るアニメーターのたろちゃんだ。
「あの手のかっこよくないキャラは女性誌ではメインにしづらいんで、新鮮で楽しいですね」
一方で、女性人気が高いのは柊吾。「信用できない人たちと無理に付き合うくらいなら1人で生きていたほうがいい」という彼のスタンスが、かえって放っておけない気持ちにさせるのかもしれない。ゲームを持ちかけてきたエージェント・773号(ナナミ)とのちょっと甘酸っぱい関係からも目が離せないが、「このゲームでは、3人に何かを失ってもらう必要があるので、今は、失うものを得る過程を描いているんです。柊吾はナナミと交流することで『誰かといるのも悪くはないな』と思い始めたわけですけど……どうなるでしょうね?(笑)」と、さりげなく今後の不穏な展開を匂わせる。
ゲーム×会話劇=セカオレ?
いつも連載を開始する前には、既に頭の中に「予告編」が浮かんでおり、物語の結末まで見えているという。その予告編をもとに大枠のプロットを組み立てて、プロットとタイトルがそろった状態で編集者に企画書を渡すのだそうだ。
「マンガって、一度描きはじめたら完結するまでに数年はかかるじゃないですか。自分が本当に描きたいと思ってるものを描くだけで精一杯なので、自分から提案することが多いです。今回は〝ゲームもの〟を描きたいというのが第一にありましたね。もともと結論ありきでお話をつくるタイプなので、ある目標に向かってキャラたちが行動するようなストーリーが好きなんです。一方で『失恋ショコラティエ』が終わるあたりから、はっきり起承転結があるわけではない、キャラたちがダラダラしゃべっている人間ドラマを描きたいという気持ちも出てきました。結果的にそれが合わさって『セカオレ』になっていますね」
確かに物語の大半が、キャラたちの会話によってドライブされている。
「『窮鼠』シリーズを描いたあたりから、マンガだって、文字をいっぱい読んで楽しむものがあってもいいんじゃないかと思ったんです。それまではあまり読むのに時間がかからないようにセリフ量を意識していたのですが、文字を読ませるマンガがあってもいいじゃんと気づいて」
最新3巻から、徐々に3人の関係に変化が見え始めている「セカオレ」。作中でははっきり明かされていないが、3巻終わりの時点で60日程度が経過し、未収録の最新話(『イブニング』8月22日発売号掲載)ではそこからさらに100日後の衝撃的な展開が、幼なじみの3人に容赦なく訪れる。
「早く結末をみなさんに伝えたくて、毎話描き進めてますね。実は、1〜2巻で、だいたいの伏線は張り終わっているんです。先の展開は私しか知らないんですけど、この間作画の都合上アシスタントさんにちらっと話したら、仕事場がシーンとなってしまうという出来事もありました(笑)」
常に読み手の期待を裏切りたいという気持ちで、マンガを描いているので、キャラや読者にとってつらいシーンでも、ためらいなく描く。
「マンガ家はサービス業ですから、予定調和の展開や、読者が求めるキャラを描くのも大切なことだとは思うんですけれど……私は、読者の要求が先にあってこちらが後から応えるような受け身な描き方をしたくなくて。〝ええっ、ひどい〟っていう顔を見るのが好きなんですよ(笑)。私自身も、〝ええっ!〟って傷ついちゃう、手心のない作品ばかり鑑賞してます。そういうのを楽しめるのも、フィクションの醍醐味ですから」
(c)水城せとな/講談社
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「いつか」と思うと、永遠に変われない
(c)水城せとな/講談社
実は「読者の要求」に合わせて作品を描いていた時期もあった。それではダメだと気づいたのが29歳――柊吾たちとほぼ同年代のときだ。
「描きたい話があっても当時はまだキャリアがないので、〝王道のものを描いてヒットさせて信用ができてから〟と言われていました。それでずっと〝いつか描くぞ〟と思っていたんですけど……30歳が見えてきたなというときに気づいたんですよね。〝あ、いつかは来ないんだ〟って。いつかいつかって思っていると、いつかは永遠に来ない。〝今やる〟って思わないとダメなんです。〝今自分が死んだら、こういう作品が描きたい人だって周囲に思われたままになるんだ。やばい〟と思うようになって、自分の描きたいものを描けるところを探すようになったんです」
周囲を見ていても、大きく変われる最後のタイミングが28〜29歳だという気がしている、と水城さんは言う。
「もちろん50歳で突然小説家デビューする人もいるし、可能性はいろいろあるんですけど、自分の生き方を客観的に見て、否定する勇気、違う自分を受け止められる余地を持てる一番大きな最後のチャンスがアラサーなんじゃないかと思っています。その頃に変わらなかった人が後から変わったという話は、あまり聞かないですね」
マンガの結末だけでなく、まるでなんでもお見通しかのように、終始客観的に話す水城さん。「100パーセントの力でマンガを描ける期間はもうあまり長くないと思う」と言いつつ、「ペンネーム変えてこっそり小説を書くのも面白いかな」と、新しい意欲も見せる。
「『セカオレ』はこれからどんどん焼け野原になるかもしれませんけど(笑)、恋愛部分も深まってきますし、救いも描くつもりです。恋愛モノが好きという方もぜひ手に取ってみてください」
取材・文=平松梨沙
水城せとなみずしろ・せとな●1993年デビュー。2012年に『失恋ショコラティエ』(小学館)で、第36回講談社漫画賞少女部門を受賞。同作はドラマ化でも話題となった。近年は作詞や人生相談連載など、活動の場を広げている。既刊に『脳内ポイズンベリー』(集英社)、『窮鼠はチーズの夢を見る』『黒薔薇アリス(新装版)』(ともに小学館)など。
『世界で一番、俺が○○』(1~3巻)
水城せとな/講談社イブニングKC/各590円(税別)
柊吾、アッシュ、たろは、全員28歳。性格も立場も異なるが、小学校からの幼なじみで、カフェでバカ話をするのが生活の癒やし。しかしある日、「公益法人セカイのエージェント」を名乗る女が現れ、「300日後、3人のうち最も不幸になった者の願いを叶える」ゲームを提案。彼らの関係はちょっとずつ変化していくことに……。