2014年3月29日。埼玉県川口市で老夫婦の刺殺体が発見された。ほどなくして警察は当時17歳だった孫の少年を逮捕する。当初は金目当てに身内を狙った強盗殺人として報道され、事件は人々から忘れ去られかけた。しかし、少年の供述や裁判が始まると、その過酷な生い立ちが注目されるようになっていく。
『誰もボクを見ていない なぜ17歳の少年は、祖父母を殺害したのか』(山寺 香/ポプラ社)は実の母親たちから虐待を受け、マインドコントロールされ続けた少年の半生を追うノンフィクションである。少年の凶行を特殊な例として済ませるのではなく、現代日本の闇を問い直すきっかけにすべきだと訴えかけてくる一冊だ。
優希(仮名)少年は1996年、埼玉県南部に生まれる。母、幸子(仮名)は大変な浪費家で、夫が稼いできた金もその日のうちにギャンブルに全額つぎこんでしまうような女性だった。優希が小学生になるころには両親は別居し、母親との生活が始まる。しかし、ホストクラブに入り浸るようになった幸子は、連日、ホストや友人を家に招き大騒ぎするようになる。1ヶ月ほど男を作って家を出たこともあり、幼い優希の心に「母から捨てられた」という大きなトラウマを残した。
やがて、亮(仮名)というホストの恋人を作った幸子は、優希と3人で住処を転々とする。幸子も亮も仕事に就いていた時期はあるのだが、いずれも長くは続かない。社員寮に入ってもすぐに退職するので引越しを繰り返す。そして、優希は「居所不明児童」となり、戸籍上は存在しない子供となる。
育ち盛りの時期に毎日の食事さえ十分に与えられなかった優希だが、さらに亮からの暴力が襲う。殴られるのはもちろんのこと、幸子との性行為を間近で見せられ、亮の性器をくわえさせられたこともあったという。幸子は性的虐待を受けている我が子を笑って見ているだけだった。そして、優希に人間不信や男性嫌悪が芽生えていく。
経済的にも精神的にも社会から孤立していく優希は、幸子と共依存の関係にあったのではないかと著者は推測する。親戚に嘘をついて金銭の無心をするため、幸子は子供の優希を利用していた。しかし、優希も母親に傷つけられながらも必要とされたいと願っていたのだ。幸子が亮の娘を産み、妹ができてからはますます優希の「家族を支えたい」という想いは強まっていく。
亮が去った後、優希は働いて金を稼ぐようになるが、幸子の浪費癖は治らなかった。そして、ふとした会話の流れから優希に祖父母を殺害させ、金品を奪うように追い込んでいく。事件を起こしたときの優希は、「母と妹のために必要なことだ」と自分に言い聞かせ続けていたという。
優希の犯した罪は許されるものではない。また、17歳にもなれば親に支配されず、自分で善悪を判断しなければいけないと批判する人もいるだろう。しかし、それでも優希が取り返しのつかない行為に及ぶ前に、周りの大人たちにできることはあったのではないかと著者は問いかける。
たとえば、市役所担当者や児童相談所職員が、少年時代の優希を一時保護できなかった点は悔やまれる。また、優希が各地を渡り歩いていた時期に気にかけていた人々はたくさんいた。もう一歩勇気を出して、事情を深く尋ねるなどの行為に及んでいれば優希を救えていた可能性はある。
著者は逮捕後の優希と文通を行うなどして交流を深めてきた。母親からの心理的拘束から離れた場所で、優希は自分の罪について考え続けている。社会から隔絶されて幼年期を過ごした経験により、優希には共感能力が欠如しており、被害者や遺族の気持ちも上手く想像できないままだ。長い時間をかけて共感能力を伸ばさなければ、真の意味で罪を償うこともできないだろう。本書は最後に支援者や専門家の話を織り交ぜながら、優希のような少年少女を生み出さないための社会について考えていく。子供たちのSOSの声は決して大きくない。だからこそ、大人たちが耳をすませることが大切なのである。
文=石塚就一