「ここは外国か」ニセコに外国人定住、日本でも人口増

2016年8月25日 05:00 Bloomberg News

東京から新幹線とローカル線を乗り継ぎ8時間半の北海道ニセコ地区。交通の便が決して良くはない観光地で、オーストラリアを中心とした外国人スキー客が増加、町は大きく変貌しつつある。外国人移住で人口も増え、インターナショナルスクールが設立されたり、外国語の看板も増えた。

  「ここは冬は外国人ばかりで日本人が絶滅危惧種かと思うくらいマイノリティーだ」。ニセコ地区を構成する町の一つ倶知安町の町議、田中義人氏はこう話す。冬場のスキー客だけでなく、最近はラフティング(川下り)など夏のレジャー客も出てきた。コンドミニアム(長期滞在用宿泊施設)など外国人観光客向けのビジネス機会も広がり、国内外からの移住者も増加した。

  同地区の中心になるのは倶知安、ニセコ両町。このうちニセコ町ではバブル崩壊後の90年代からインバウンド需要の掘り起こしに尽力。環境や景観の保全にも力を入れており、外国人観光客や不動産投資を引き寄せている。少子高齢化が進む中で、独自の成長戦略が活況をもたらしている。

  ニセコ町の人口は6月現在4901人。国勢調査でみると1975年以来の高水準となり、2035年には5635人に増加すると試算されている。10年から35年にかけての伸び率は約17%で、日本全体の総人口が約12%減と推測されているのとは対照的だ。倶知安町では00年代前半から外国籍住民が増加し、15年は過去最高の809人となった。

  倶知安町の西江栄二町長は、「1年を通じて300-400人の外国人が居住し、商売しながら根を下ろして結婚もして子育てする人たちも増えてきている」と述べた。ニセコ地区で高級別荘とコンドミニアムの開発・販売を手掛ける北海道トラックスのポール・バコビッチ氏は05年から移り住み、2人の子供は地元の学校に通う。同氏は「ここはベビーブーム。引退した弁護士、カメラマンやアーティスト、みな子供がいる。コミュニティーが広がっている」と話す。

高い出生率

  豊かな自然に引かれて国内外から、若い子育て世代の移住も増えている。ニセコ町の合計特殊出生率(1人の女性が一生に産む子供の数)は1.12(03-07年)で下げ止まり、1.45(08-12年)まで上昇。酪農や洋菓子の製造・販売を手掛ける高橋守氏は、「ニセコ町では一時減った子供が今は倍の70人くらい生まれている。保育所に行くと外国の人たちもいて付き合いが増えた」と話す。
            
  11年に設立された北海道インターナショナルスクール・ニセコ校。オーストラリアやニュージーランドなどさまざまな国の出身の親を持つ幼稚園児と小学生が通っている。校長代理のマーニン・バリー氏によると生徒数は当初5人から8月に20人程度になる予定で、さらに45人までの受け入れが可能。将来は中学校も立ち上げる考えだ。

  外国人観光客の増加も目立つ。ニセコ町の外国人宿泊客延べ数は11年間で約13倍の約18万人(15年度)、倶知安町は9年間で約4.3倍の39万人(同)となった。倶知安町は外国人住民の転入から転出を差し引いた純増数(276人)が町村単位では全国1位。ひらふ坂近くのコンビニにはオーストラリア人に人気のペースト状の食品「ベジマイト」も店頭に置かれている。

  ニセコ町では町内における住宅需要の高まりを踏まえ、15年から25年までの10年間で500人分の住宅整備を目指している。片山健也町長は「今一番の悩みは住宅不足だ」と述べた。

キャパシティーコントロール

  町が変貌していく中で住民が重視しているのは、抑制的な開発投資と地域の価値を損なわない景観維持だ。元ニセコ町長の逢坂誠二氏(現衆議院議員)は、インバウンドで調子が良い時とはいえ「これ以上投資を過熱させないべきだ」と語る。バブル期に人気だった新潟県の苗場スキー場周辺はリゾートマンションが次々に建設されたが、スキー客の減少とともに人気が衰退し、2LDKの物件が10万円で売りに出されている。

  観光客の取り込みに向けてニセコ地区ではパークハイアットやリッツ・カールトンといった外資系ホテルの開業計画が相次いでいる。ただ、町の自然や景観を損なわないため、さらに供給過剰やサービスの低下につながらないようにしたいというのが地元の基本姿勢だ。

  倶知安町の西江町長は姉妹都市のスイスの国際リゾート地サンモリッツが宿泊施設を増加せず質の向上に取り組んでいるとして、倶知安町でも「投資の規制をかけながら観光地としての価値を高めて持続可能なリゾートにしていきたい」と語る。今後のコンドミニアム開発に関して「行政としてキャパシティーコントロールをしていく必要がある」と考えている。

規制

  ニセコ町の13.5%の面積は支笏洞爺国立公園とニセコ積丹小樽海岸国定公園が占める。貴重な自然を守るため町独自のルールで環境保全に取り組んでいる。片山町長は、町内での建設作業について「ニセコでは10メートルを超える高さはすべて協議する。鉄塔を建てるNTTはニセコは日本で一番厳しいと言っている」という。

  ニセコ町に比べて、コンドミニアムなど建設が進んでいる倶知安町でも、建物がシラカバに隠れるように22メートル以下とし、06年4月から運用を開始。西江町長は、当初は開発投資が冷え込む恐れを心配したというが、「外国人もそれは大事だと賛同し、素晴らしい考えだと言ってもらえた」と語る。

  しかし、自然・景観の維持は、リゾート開発で大量集客する発想と相いれないことも多い。「明日食う飯があるかどうか。そんな時に悠長なことは言ってられない。すぐにでもたくさんお客が来てほしいんだ」。環境保全を重視した逢坂氏は、住民らにこう詰め寄られたと苦笑する。そんな時は「自然はいったん壊すと元に戻らない」と説得して回ったという。

  自然や景観の保全は長い目で見ればブランド価値を高める方向に作用する。「すぐにもうかるようなやり方は安直で定着しない。地域作りには我慢が必要だ」と語る。

過熱感も

  ニセコ町の高橋氏は、地域のにぎわいに一抹の不安を抱く。「将来外国資本の引き上げが起こった場合に打撃を受けないような対策が必要だ」と気を引き締めている。倶知安町の住宅地の地価は06年から3年連続で上昇率1位(基準地価)、16年も全国1位(公示地価)となった。

  夏場のニセコ地区にはキャンプや自然観察を楽しむ観光客が訪れている。羊蹄山のふもとにある半月湖周辺の散策道では家族連れのキャンプツアー客が英語や韓国語で会話をしていた。宿泊手配など観光サービスを行うニセコマネージメントサービスのジョン・バートン社長は移り住んで8年。自然の中での子育て環境の良さに魅了されて、「ずっとここにいると思う」と語った。

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ブロックチェーンは終わった-ビットコイン信奉者

2016年8月24日 07:30 Bloomberg News

デジタル台帳「ブロックチェーン」が支える仮想通貨ビットコインを何百万人にも紹介したステファン・トーマス氏は、心変わりした。

  同氏は、ブロックチェーンは柔軟性に欠けるため広範囲で採用されるのは難しいとする論文を発表した。ブロックチェーンの信奉者は金融や国際貿易、ヘルスケアなどさまざまな業種に革命的な変化がもたらされる可能性に期待するが、ソフトウエアとしてのブロックチェーンを修正するにはとんでもない人数のソフトウエア開発者からコンセンサスを取り付ける必要があり、こうした開発者にはビットコインの「採掘者」(マイナー)が含まれるとしている。

  リップル・ラブズで最高投資責任者(CIO)を務めるトーマス氏は論文で、「ブロックチェーンを操作するのは困難だ」と記述。「調和やコンセンサスは価値あるものだが、極端な調和は有害になる」とし、2014年のアニメーション映画「レゴ・ムービー」に登場した独裁者「おしごと大王」の写真を論文に含めた。「表面上は素晴らしくても、その裏でコンセンサスに反する多様性や急速に変化する世界」が同映画には描かれていたと説明した。

  5年前にビットコインを使いやすくすることに尽力したトーマス氏とは別人のようだ。同氏のウェブサイトであるweusecoins.com はビットコインを「技術屋ではない、普通のユーザー向けに説明する唯一のリソース」とうたっている。トーマス氏の新たな主張は、ブロックチェーンを一般に幅広く導入させようと取り組む向きには警告に聞こえるかもしれない。

  プラットフォームのethereumなどが支えるブロックチェーンの技術には、金融からヘルスケア、公益事業などさまざまな業種が取り組んでいる。支払い履歴の把握や証券・デリバティブ(金融派生商品)取引の方法、健康に関する記録の仕方などを急進的に変える目的がある。

  だが、その実現には多くの障害がある。その一つには、ウォール街の金融機関同士が互いを信じ、同一のネットワーク上で協力できるのかという問題がある。トーマス氏が挙げるもう一つの課題としては、ブロックチェーンのシステムで実験して改善を加えようとしても、その更新についてマイナーの過半数が同意しなければ成立しないので作業が進みにくい状況がある。
    
  トーマス氏が選好するのは、技術革新が誰によってももたらされる可能性があるインターネットのようなシステムだ。このシステムなら変更が有益だと証明されれば、幅広い採用が進む。
  
  ウォール街の金融機関は08年の金融危機後の厳しい規制強化を受け、ブロックチェーンがコスト削減と効率向上の切り札になると期待している。トーマス氏のリップル(本社サンフランシスコ)は既に、新しい台帳システムを活用、顧客が国際送金を日数単位から分単位で行えるようにしている。

  トーマス氏のユーチューブ動画「What is Bitcoin?」は11年以降これまでに、680万人余りが閲覧。同氏も新たな通貨としてのビットコインに引き続き期待している。だが、ブロックチェーンに対しては見切りをつけたという。「ethereumのようなブロックチェーンでは、誰もがまったく同じように考えなくてはならないからだ」と話した。

出典: YouTube

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埼玉に「ムーミン谷」、ヘッジファンドが「かわいい」事業

2016年8月1日 11:00 Bloomberg News

「ヘッジファンドを売るのはやめて、今はムーミンたちをどうしたものかと考えている」。東京で金融に30年携わり、バブル経済時代に円・ドルスワップを開発した草分けのロバート・ハースト氏(68)は今、埼玉県飯能市で来年開園するムーミンのテーマパークの準備に追われている。作者トーベ・ヤンソンの故郷フィンランド以外では日本が初の進出先だ。

  ストラクチャードファイナンスに特化した日本の金融会社フィンテックグローバル(FGI)会長のハースト氏は、230億ドル(約2兆4000億円)規模に拡大している日本のキャラクタービジネス市場に注目、特に「日本はかわいいものが好きだ」と話す。ハローキティのような架空のキャラクターを敬愛する国ではムーミンはぴったりだという。

  ハースト氏は世界銀行で勤務後、1984年にシティグループのデリバティブ・セールスのヘッドとして来日。他の金融機関を経て2005年にFGIに入社、ヘッジファンド設立などを支援してきた。転機が訪れたのは12年のAIJ問題。運用失敗と損失隠ぺいで年金資産を消失させた事件を契機に、日本の投資家のヘッジファンド離れが進んだ。

  そんな折、フィンランドの投資銀行が13年に「日本でムーミンのテーマパークをオープンしてくれる人を探しているところがある」と提案してきた。ハースト氏が相談した最高経営責任者は、興奮気味に「ムーミン!やるべきだ」と即答。60年代から放送されてきたテレビアニメで日本人にとても人気があると力説したという。同氏は事業の軸足をヘッジファンドから、ムーミンへ移しつつある。

ムーミン人気

  FGIはフィンランド企業との合弁会社「ムーミン物語」を設立し、西武ホールディングスが保有する飯能市の土地と建物を購入。広さは東京ドーム約4個分の広さで、宮沢湖に面している。ディズニーのテーマパークとは異なり、自然をテーマに湖でのセイリングや木で作った巨大パズルなどを検討。北欧の雰囲気とムーミンの世界を体験できる施設も開設する。

  ファンは開園を心待ちにしているようだ。フィンランドに何度も渡航歴のある会社員の藤原琢也さん(43)は、「子供のときテレビでみた記憶が大きく団塊ジュニアにはなつかしい」と話し、「飯能にできるテーマパークは気になっており、3歳の息子を連れて1度は行く予定だ」と言う。
  ハースト氏によると、昨年のムーミングッズやライセンス料からの売り上げは世界全体で5億ユーロ(約580億円)。そのうち約4割を日本が占める。東京で開催された14年のムーミン展ではマグカップなどの関連商品が300万ドル(約3億1000万円)も売れた。フィンランドのムーミンワールドで結婚式を挙げるために同国を訪れる日本人もいるくらいだ。

  経済産業省の統計によると、昨年度の国内遊園地の売上高は6530億円と2000年の調査開始以来最高だった。しかし、過去に開園したテーマパークはいくつも閉鎖に追い込まれ、長崎オランダ村や富士ガリバー王国はともに経営難で01年に閉園している。
金融ほどのスリルはなくても

  ムーミンの物語は平和な谷に住み、いつもハッピーエンドの冒険物語で「デジタルでもハイスピードでもなかった分かりやすい時代に連れ戻してくれる」と、ハースト氏は人気の秘密を分析する。
  リタイアした昔の同僚はムーミン計画を聞いて驚いているだろうが、生き方に大差はない。70代を目前に控えて人生のアクセルを緩め、バードウォッチングやワインを楽しむ代わりにムーミンについて会議しているだけだ。「最初のデリバティブ取引が成立した時ほどのスリルはないかもしれないが、今の人生段階にとってはちょうど良いかもしれない」。

「ムーミンバレーパーク」のグランドオープンを19年春に変更すると12月6日にFGIが発表した.

ジャパニーズウイスキーの新たな挑戦、地元産大麦で

2016年4月20日 12:39 Bloomberg News

秩父山地を望む丘陵地帯に青々とした大麦畑が広がる。栽培されているのは、明治時代に初めて欧米から導入された醸造用大麦を起源とする「ゴールデンメロン埼玉1号」。戦後から1970年代まで生産され、その後は保護のために埼玉県が遺伝資源として保管していたものを秩父市の農家、坪内浩氏(36)が譲り受け、今年から有機栽培に挑戦している。

  丈は6月上旬までに60センチを超え、収穫後は近くの工業団地にある国内唯一のウイスキー専業メーカー、ベンチャーウイスキーの倉庫へと移される。順調にいけば、大麦は数カ月寝かされた後、水に浸して発芽させて麦芽(モルト)となり、1年以内には蒸留されウイスキー原酒となる。数年後にはこの畑から世界の愛好家が熱望するプレミアムウイスキーが生まれるかもしれない。

  2000年代に入って数々の国際コンペティションで入賞し世界の五大ウイスキーの一つに数えられるようになったジャパニーズウイスキーの原料のほとんどは、モルトとして英国など欧米諸国から輸入されている。ベンチャーウイスキーも英国産とドイツ産を購入しているが、将来的には地元産を10%程度利用することを目指している。

  ベンチャーウイスキーの肥土伊知郎社長(50)は、外国産に比べコストが5倍の地元産モルトを使ってウイスキー作りに挑戦する理由について「自分なりにいいスピリッツ(蒸留酒)を生産し熟成させていこうと思う中で地元産原料を利用しようと考えた。地元の環境を生かしたものを積み重ねていけば、10年、20年たった時に秩父らしいウイスキーにたどり着くような気がする。秩父ならではの個性を持てた時に本当の意味で世界に通じるウイスキーになると思う」と語る。

コレクターから熱視線

  04年に同社を創業した肥土社長の実家は1625年から続く日本酒の造り酒屋だった。祖父が創設した東亜酒造が1980年代にウイスキー製造の羽生蒸留所を設立。肥土社長は営業マンとして勤務していたサントリーを95年に退社後、入社した。

  ところが90年ごろから始まったウイスキー不況のあおりを受け、同社は2000年に民事再生法の適用を申請。父と祖父が造ったウイスキー原酒400たるは廃棄されることとなった。同社長はこれらの原酒を福島県の笹の川酒造の協力で貯蔵してもらい、その後、自身で引き取って商品化した。

  07年に現在の場所に秩父蒸留所を建設。社員数14人と小規模ながら、今や世界のウイスキー愛好家が最も注目するジャパニーズウイスキーメーカーの一つだ。羽生蒸留所で造られた原酒などを使って同社が製造した「イチローズモルト」は06年に英専門誌「ウイスキーマガジン」のプレミアムジャパニーズウイスキー部門で最高得点を獲得。これをきっかけに海外で評価を高め、15年8月に香港で開かれたオークションでは、瓶のラベルにトランプの図柄をあしらったカードシリーズ54本セットが380万香港ドル(現在のレートで約5300万円)で落札されるなど、コレクターから熱い視線が注がれている。

輸出額は77%増

  ベンチャーウイスキーが創業から10年余りで世界に名だたるメーカーとなった背景には、ジャパニーズウイスキーの国内外での旺盛な需要がある。財務省の貿易統計によると、ウイスキーの輸出額は15年、前年比77%増の約103億7800万円と過去最高に達した。05年と比較すると11倍余りに増えた。3月に国税庁が発表した統計によれば、ウイスキーの国内消費量は14年度に11万8000キロリットルと前年度比で9.5%増加した。

  大手メーカーは値上げや輸出抑制などで需要拡大に対応している。国内最大手のサントリーホールディングスは急激な需要増に対する需給バランス調整と、10年以降120億円の設備投資を行って製造コストが増えたことから、今年4月に一部のウイスキーの価格を最大25%引き上げた。ニッカウヰスキーを傘下に置くアサヒグループホールディングスは安定供給に向けて今年の輸出目標を14万5000箱と、昨年の実績18万3000箱から引き下げている。

蒸留所の設立相次ぐ

  ウイスキーの国内市場はサントリーとニッカの大手2社で約9割を占め、地ウイスキーメーカーは10数社にとどまる。そのうちの大半は清酒や焼酎を主力としているが、旺盛な需要を背景にウイスキー専門の蒸留所の設立が相次ぐ地ウイスキーブームとなっている。これらの蒸留所に共通しているのは地元産原料へのこだわりだ。

  ガイアフロー(静岡県静岡市)の蒸留所は7月に完成予定。製造開始は10月で、最終的な目標は年間10万リットル。初年度はスコットランド産輸入モルトを利用するが、地元農家が既に昨年11月からモルト用大麦の栽培を開始している。中村大航社長(47)は「ゆくゆくは水、酵母、大麦すべてが静岡産のウイスキーを造りたい」と語る。

  堅展実業(東京都)は国内メーカーから原酒を購入して輸出していたが、ウイスキーブームで原酒を確保できなくなり自社で製造することにした。北海道東部の厚岸郡で建設中の蒸留所で10月から蒸留をスタート予定。最初は輸入モルトを使うが、将来は地元産の利用も考えており湿地のピート(泥炭)も活用してスモーキーな味わいを目指すという。

喜び分かち合いたい

  愛好家でつくるウイスキー文化研究所代表で「シングルモルトウイスキー大全」などの著書があるウイスキー評論家の土屋守氏(62)は、コストと合理性を追求する大手メーカーと差別化するため地元産原料にこだわるクラフトブームは欧米でも見られると言う。しかし、日本の場合は原料コストが諸外国に比べ高いことと、小規模メーカー向けに大麦をモルトに加工する製麦専門企業がほとんどないことが課題と指摘する。

  日本はかつて地ウイスキーブームを経験している。国税庁の統計によると、ウイスキー製造免許場の数は1980年代には約80カ所に上っていた(14年度は52カ所)。ただ、当時は原酒を購入しブレンドして販売するだけのケースも多かったのではないかと、土屋氏は話す。今回の地ウイスキーブームは、ベンチャーウイスキーをはじめスコットランド製の本格的な蒸留器を導入するメーカーが目立つのが特徴だという。

  スコッチウイスキーを名乗るためには現地で蒸留されたものでなければならないなど詳細な規則が定められているが、ジャパニーズウイスキーについては公的な定義はない。土屋氏は「ジャパニーズウイスキーとは何かということを明確にする必要がある。また、売れているからといって昔の粗製乱造に戻ってはいけない。品質を保ちながら生産を続けていくことが重要だ」と指摘する。

ウイスキーは子供のよう

  ベンチャーウイスキーの肥土社長は現在は年間10万本の出荷量を、毎年20%ずつ安定して伸ばすことを目標にしている。仕込み回数を増やすなどの方法で増産は行うが、設備投資は予定していない。ブームで生産が増減するのはウイスキーにとって良くないとの考えからだ。「ウイスキーは子供のよう」と語る同社長は、一定の原酒のストックを残しながらウイスキーを飲む喜びを分かち合いたいと言う。

  スコットランドでウイスキーの製法を学んだ竹鶴政孝氏が1924年に日本で初めて本格的なウイスキー製造を開始してから90年余り。「寒冷地のスコットランドとは違い、四季のある環境での熟成を繊細な感覚で追求してきた日本人は勤勉さと探究心で、多彩だがスコッチほど荒々しくないフレーバーを表現できるようになった。ジャパニーズウイスキーはピークに達しつつある」と土屋氏は分析する。

  そんなジャパニーズウイスキーの歴史に今、地元産大麦の利用という新たな挑戦が刻まれつつある。

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