東京から新幹線とローカル線を乗り継ぎ8時間半の北海道ニセコ地区。交通の便が決して良くはない観光地で、オーストラリアを中心とした外国人スキー客が増加、町は大きく変貌しつつある。外国人移住で人口も増え、インターナショナルスクールが設立されたり、外国語の看板も増えた。
「ここは冬は外国人ばかりで日本人が絶滅危惧種かと思うくらいマイノリティーだ」。ニセコ地区を構成する町の一つ倶知安町の町議、田中義人氏はこう話す。冬場のスキー客だけでなく、最近はラフティング(川下り)など夏のレジャー客も出てきた。コンドミニアム(長期滞在用宿泊施設)など外国人観光客向けのビジネス機会も広がり、国内外からの移住者も増加した。
同地区の中心になるのは倶知安、ニセコ両町。このうちニセコ町ではバブル崩壊後の90年代からインバウンド需要の掘り起こしに尽力。環境や景観の保全にも力を入れており、外国人観光客や不動産投資を引き寄せている。少子高齢化が進む中で、独自の成長戦略が活況をもたらしている。
ニセコ町の人口は6月現在4901人。国勢調査でみると1975年以来の高水準となり、2035年には5635人に増加すると試算されている。10年から35年にかけての伸び率は約17%で、日本全体の総人口が約12%減と推測されているのとは対照的だ。倶知安町では00年代前半から外国籍住民が増加し、15年は過去最高の809人となった。
倶知安町の西江栄二町長は、「1年を通じて300-400人の外国人が居住し、商売しながら根を下ろして結婚もして子育てする人たちも増えてきている」と述べた。ニセコ地区で高級別荘とコンドミニアムの開発・販売を手掛ける北海道トラックスのポール・バコビッチ氏は05年から移り住み、2人の子供は地元の学校に通う。同氏は「ここはベビーブーム。引退した弁護士、カメラマンやアーティスト、みな子供がいる。コミュニティーが広がっている」と話す。
高い出生率
豊かな自然に引かれて国内外から、若い子育て世代の移住も増えている。ニセコ町の合計特殊出生率(1人の女性が一生に産む子供の数)は1.12(03-07年)で下げ止まり、1.45(08-12年)まで上昇。酪農や洋菓子の製造・販売を手掛ける高橋守氏は、「ニセコ町では一時減った子供が今は倍の70人くらい生まれている。保育所に行くと外国の人たちもいて付き合いが増えた」と話す。
11年に設立された北海道インターナショナルスクール・ニセコ校。オーストラリアやニュージーランドなどさまざまな国の出身の親を持つ幼稚園児と小学生が通っている。校長代理のマーニン・バリー氏によると生徒数は当初5人から8月に20人程度になる予定で、さらに45人までの受け入れが可能。将来は中学校も立ち上げる考えだ。
外国人観光客の増加も目立つ。ニセコ町の外国人宿泊客延べ数は11年間で約13倍の約18万人(15年度)、倶知安町は9年間で約4.3倍の39万人(同)となった。倶知安町は外国人住民の転入から転出を差し引いた純増数(276人)が町村単位では全国1位。ひらふ坂近くのコンビニにはオーストラリア人に人気のペースト状の食品「ベジマイト」も店頭に置かれている。
ニセコ町では町内における住宅需要の高まりを踏まえ、15年から25年までの10年間で500人分の住宅整備を目指している。片山健也町長は「今一番の悩みは住宅不足だ」と述べた。
キャパシティーコントロール
町が変貌していく中で住民が重視しているのは、抑制的な開発投資と地域の価値を損なわない景観維持だ。元ニセコ町長の逢坂誠二氏(現衆議院議員)は、インバウンドで調子が良い時とはいえ「これ以上投資を過熱させないべきだ」と語る。バブル期に人気だった新潟県の苗場スキー場周辺はリゾートマンションが次々に建設されたが、スキー客の減少とともに人気が衰退し、2LDKの物件が10万円で売りに出されている。
観光客の取り込みに向けてニセコ地区ではパークハイアットやリッツ・カールトンといった外資系ホテルの開業計画が相次いでいる。ただ、町の自然や景観を損なわないため、さらに供給過剰やサービスの低下につながらないようにしたいというのが地元の基本姿勢だ。
倶知安町の西江町長は姉妹都市のスイスの国際リゾート地サンモリッツが宿泊施設を増加せず質の向上に取り組んでいるとして、倶知安町でも「投資の規制をかけながら観光地としての価値を高めて持続可能なリゾートにしていきたい」と語る。今後のコンドミニアム開発に関して「行政としてキャパシティーコントロールをしていく必要がある」と考えている。
規制
ニセコ町の13.5%の面積は支笏洞爺国立公園とニセコ積丹小樽海岸国定公園が占める。貴重な自然を守るため町独自のルールで環境保全に取り組んでいる。片山町長は、町内での建設作業について「ニセコでは10メートルを超える高さはすべて協議する。鉄塔を建てるNTTはニセコは日本で一番厳しいと言っている」という。
ニセコ町に比べて、コンドミニアムなど建設が進んでいる倶知安町でも、建物がシラカバに隠れるように22メートル以下とし、06年4月から運用を開始。西江町長は、当初は開発投資が冷え込む恐れを心配したというが、「外国人もそれは大事だと賛同し、素晴らしい考えだと言ってもらえた」と語る。
しかし、自然・景観の維持は、リゾート開発で大量集客する発想と相いれないことも多い。「明日食う飯があるかどうか。そんな時に悠長なことは言ってられない。すぐにでもたくさんお客が来てほしいんだ」。環境保全を重視した逢坂氏は、住民らにこう詰め寄られたと苦笑する。そんな時は「自然はいったん壊すと元に戻らない」と説得して回ったという。
自然や景観の保全は長い目で見ればブランド価値を高める方向に作用する。「すぐにもうかるようなやり方は安直で定着しない。地域作りには我慢が必要だ」と語る。
過熱感も
ニセコ町の高橋氏は、地域のにぎわいに一抹の不安を抱く。「将来外国資本の引き上げが起こった場合に打撃を受けないような対策が必要だ」と気を引き締めている。倶知安町の住宅地の地価は06年から3年連続で上昇率1位(基準地価)、16年も全国1位(公示地価)となった。
夏場のニセコ地区にはキャンプや自然観察を楽しむ観光客が訪れている。羊蹄山のふもとにある半月湖周辺の散策道では家族連れのキャンプツアー客が英語や韓国語で会話をしていた。宿泊手配など観光サービスを行うニセコマネージメントサービスのジョン・バートン社長は移り住んで8年。自然の中での子育て環境の良さに魅了されて、「ずっとここにいると思う」と語った。