フリーアナウンサー黒木奈々さん死去 胃がん闘病中
胃がんの治療を受けていたフリーアナウンサーの黒木奈々さんが19日に死去したと所属事務所のセント・フォースが同日発表しました。32歳でした。
通夜は22日午後6時から、葬儀・告別式は23日午前10時から、ともに青山葬儀所で営まれます。
黒木さんはNHK BS1「国際報道2014」でキャスターを務めていましたが、昨年夏に胃がんが判明。9月に受けた手術が成功し、今年3月からは「国際報道2015」に週1回出演していましたが、7月13日の放送を最後に休養していました。
「日本サッカーの父」と呼ばれたデットマール・クラマー氏がドイツのライトインビンクルで17日に死去しました。90歳でした。
同氏は64年東京五輪に向けて強化を図った日本のコーチに就任して、8強入り。4年後のメキシコ五輪で銅メダルを獲得する礎を築きました。
また、日本サッカーリーグ(JSL)も同氏の提言で65年に発足。これがのちにJリーグ発足へとつながるなど、日本サッカー界の発展に大きく貢献しました。
俳優の庄司永建氏(しょうじ・えいけん)さんが15日、すい臓がんのため死去しました。92歳。
葬儀は18日午前10時から、東京都杉並区の公益社明大前会館で。喪主は長男永郷(ながさと)氏。
劇団民芸出身。その後フリーとなりテレビや映画で活躍。刑事ドラマ「西部警察」の係長役や映画「ミンボーの女」などに出演し、バイプレーヤーとして活躍しました。フリーアナウンサーの庄司麻由里の父でもあります。
女優の宝生あやこさん(本名・八田絢子=はったあやこ)が8日死去、97歳。葬儀はすでに執り行われました。
宝生さんは東京都出身。1952年に結婚した劇作家の八田尚之氏と劇団手織座を創立。舞台のほか、テレビドラマ「はぐれ刑事純情派」などに出演。84年には紫綬褒章を受章しました。
代表作は、舞台「桜の園」「楢山節考」、テレビドラマ「春よ、来い」「鶴亀ワルツ」など。
経済同友会の元代表幹事、小林陽太郎氏が死去
富士ゼロックスは7日、元会長で経済同友会の代表幹事を務めた小林陽太郎氏が5日に死去したと発表しました。82歳でした。
小林氏は英ロンドン生まれ。慶応大を卒業後、1958年に富士写真フイルム(現富士フイルムホールディングス)入社。1963年に富士ゼロックスに転じ、副社長を経て社長、会長を歴任しました。
1999年より経済同友会の代表幹事。2003年から2015年まで、慶應義塾の理事・評議員。また、ソニー株式会社取締役なども務めました。
写真家の中平卓馬さん、肺炎のため死去 77歳
昭和40年代から日本の写真表現の最前線で活躍した写真家、中平卓馬(なかひら・たくま)さんが1日、肺炎のため死去しました。77歳でした。
葬儀は近親者で済ませました。後日、お別れの会を行う予定です。
「粒子の荒れ、ブレ」を取り入れた表現手法で写真の新潮流を生み出した中平さん。昭和52年に倒れて記憶と言葉の一部を失いましたが、カメラを手放さず、近年まで制作を続けていました。
ホラー映画で知られる米映画監督のウェス・クレイブン氏が、30日に米ロサンゼルスの自宅で死去しました。76歳でした。
同氏は3年前から体調を崩し、脳腫瘍を患っていたといいます。代表作となった「エルム街の悪夢」はホラーの古典的作品。後にシリーズ化した「スクリーム」もヒット作品となりました。
また、ホラー以外のジャンルにも挑戦。「ミュージック・オブ・ハート」では、小学校の臨時教員と子供たちの音楽による暖かい実話を描きました。
バンド「SECRET 7 LINE」は31日、公式サイトで、ベースでボーカルのSHINJIさん(写真:左)が交通事故で死去したと発表しました。
30日に福岡でイベント出演後、メンバー自身が機材車を運転して東京へ戻る途中、車が横転する事故が発生。SHINJIさんが帰らぬ人となったほか、メンバーのTAKESHIさんとRYOさんも軽傷を負いました。
同バンドは2007年に活動を開始。突然の訃報にネット上では「ショック」「悲しすぎる」「嘘だ…」などファンからは悲しみの声が次々とあがっています。
安達祐実さんの祖母が死去
安達祐実さんの祖母が、29日に亡くなっていたことが分かりました。安達さんの母でタレントの安達有里さんのブログで、30日に公表されました。
有里さんのブログでは「事務所スタッフ一同おくやみを申し上げるとともに、お世話になっております関係者並びに知人の皆さまに、謹んでご報告申し上げます」と記されています。
「妹のジンテーゼ」などで知られる漫画家の紺野比奈子さんが18日午後2時10分、急性心臓疾患のため亡くなったことが29日、分かりました。
紺野さんが所属する音楽制作ユニットの代表で夫の松本さんは、公式サイトで「互いに切磋琢磨できる存在でありましたので、残念では言い切ることのできない感覚がまだたくさんあります」とコメント。
紺野さんは「ひな。」の名義で「ぎょ!っとパラダイス」をはじめ「野に咲く薔薇のように」などの作品を発表。2010年4月号の「コミックハイ!」から、ペンネームに変更し「図書委員長の品格」を連載開始しました。