怪談家・稲川淳二さんが語る、海の恐怖体験「心中死体の上で聞いた声」
鈴木光司さんの『海の怪』は、25年に及ぶ自身の航海経験を中心に、海の底知れぬ魅力と、海をめぐる無限の恐怖が入り混じる18のエピソードが収録された怪談集です。
本書を「心地よい恐怖に浸るうちに怪異な闇に呑み込まれてゆく極上のミステリーに酔い痴れました」と絶賛する怪談家の稲川淳二さんが、海にまつわる実話怪談を披露してくださいました。
学生時代の稲川さんが西伊豆の海で体験した、恐ろしくも悲しい出来事とは……。
日本随一の語り手である稲川淳二さんの怪談を、ぜひテキストでじっくりとご堪能ください。
*2020年9月に公開した動画「鈴木光司『海の怪』刊行記念スペシャル対談 ゲスト:怪談家・稲川淳二」の一部内容を書き起こし、再編集しています。
(構成/よみタイ編集部)
◇西伊豆の海で起こされた声の正体は…
毎年夏になるとふっとね、思い出す話なんですがね、これもだいぶ昔の話になるんですよね。
私が学生時代なんですがね、学校の学生会が、西伊豆に海の家を開いたわけですね。夏の企画なんですが。で、そこへ私は参加したわけなんだ。
当時の西伊豆というのは今と違ってね、随分寂しかったですよ。

民宿に行きましたらね、そこのおばあちゃんになんだか気に入られちゃったの。もともとどうも私、子どもの頃からおじいちゃんやおばあちゃんに好かれるんですよ。
で、みんな食事だっていうと、広い座敷でもってね、テーブル並べて食べてるんですが、私は別の部屋でおばあちゃんと差し向かいで、おかずも多いんだ。
するとおばあちゃんが、
「あんたねえ、夜になって、そうだねえ、夜中2時半くらいに弁天岩行ってごらん。魚たくさん釣れるから。私が釣竿だとかさ、エサを用意しといてやるよ」
って言ったんですよ。
じゃあ行ってみようかなあと思って。夜に仲間3人起こして、4人で行ったんですよね。
浜へ出ると、まあ当時は、月が雲に隠れると真っ暗ですよ。ぽつんぽつんと、遠くに灯りが見えるっきり。
海の音が大きく聞こえるんですよね、ザー、ザザー、ザー、ザザーっと。で、4人が歩く砂の音。ザ、ザ、ザ、ザ。
そしてまた月が雲からふっと現れると、あたりがうっすら青く照らされてるんですよね。
で、弁天岩に行ったんですよ。もう海は真っ暗で何にも見えないんですが、波がザバーっとぶち当たると、夜光虫がスーッと白く輝いて飛ぶんですよね。
一人だったら、おそらくちょっと怖いだろうなあ。
じゃあ、釣ろうかってみんなで釣り始めたの。
ところが一向に釣れないんですよね。
「おかしいぞ、釣れないぞ」と言っているうちに、一人が「なあ、悪いけどさあ、俺眠いから帰っていいかなあ」って言ったんですよ。
もう一人が「俺もなんだか帰ろうかな」って言うから、「何言ってんだよ、夏なんだからさあ、もう少しで明るくなってくるから」って言ったら、「そうかなあ」とか言っているうちにまた一人が「俺も帰っていいかなぁ」って言うんですよ。
で、3人が帰りたいって言うからね、私の竿も渡して、別に喧嘩したわけじゃないんだけど、3人が帰っていき、私一人で残ったわけだ。
岩場にごろんと仰向けで横になって、月が見えたり消えたりしているんですよね。
蚊もいないからね、別に問題ないし、気持ちのいい風が吹いているんですよね。
で、波がザバーンと打ち寄せている。
そうしているうちに眠っちゃったんですね。
どれほど時間が経ったのかね、私の頭のちょうど先くらいかな、
「おい」
と声かけられたんで、え? っと起き上がったんですよね。
でも誰もいないんだ。
確かに頭らへんで、「おい」って言ったんですよね。
周りは真っ白。
朝もやって言いますが、もやなんてもんじゃないんですよ。本当に濃いんだ。
まだ夜明け前、立ち上がってね、手をぐーっと突き出すと、指先が隠れるんじゃないかっていうくらい。
すごいもんだなあと思って、海の方を眺めていたら、遠い後ろの方からね、
「おーい」
って声がしたんですよ。
なんだろうって振り向いたら、浜の上のところに道があってね、おまわりさんと地元の若い人が2人で「おーい」って言いながら歩いてるんで、
朝で気持ちがいいからこっちも「おーい」って言ったら、向こうがこっち振り向いたんだ。で、こう、手振ったんだ。
そしたら2人して「そこにいろ」という感じで私を指差して、走ってきたんですよ。私、呼んだ覚えはないんだ。

その時に、ちょうど脱いで岩場に置いておいた私の皮のサンダルの一つが、ぽちょーんと海に落っこっちゃった。
これ、けっこう高くて、気に入ってたんですよね。で、短パンですからね。
そのまま岩場に降りて行って、海に入ったら、ちょうど海面が胸のあたりなんですよ。
で、この海面から、今自分がいた岩場、そうですね、1メートル7、80センチくらいあるのかな、気づかなかったのですが、この下はね、えぐれているんですよ。がばっと。
そこに、大きな海藻の塊がふうっと浮いているんだ。
私の足元にサンダルが沈んでるんで、息止めて潜ってサンダル掴んで、すっと上がったら、私が潜ったもんだから、その大きな海藻の塊が、さわっと私の頭の上に来ちゃった。
ばっと海から上がった時に、海藻の中に頭突っ込んじゃったわけだ。
顔にべたっと海藻がひっついちゃって、これが取れないんだ。細い海藻で。
ひょいっと上見たらね、私がいたその岩場なんですが、お巡りさんが立ってて、こっち見下ろしてるんですがね、真っ青な顔して震えているんです。
なんだろうっと思いながらね、いくらやっても取れないんですよ、海藻が。
これね、海藻じゃなかったんですよ。
女性の髪の毛だったんだ。
私、心中死体の間に頭突っ込んじゃったんですよね。
私の顔の前に、向こうを向いた女性の頭があって髪の毛がぺたっとくっついていて、私の顔の後ろに男性の頭があった。
お巡りさんはそれが見えているわけですよね、だから震えてたんだ。
こっちはそんなこと知らないから、ようやく海藻から抜け出せたと思って、また岩場に戻って来た。
と、そのもやの中からね、手漕ぎボートが来たんです。
警察官が3人いまして、私がいたところに、すうっと潜っていくから、何してんのかなあと思って見ていると、間もなくして、ボートがバックして来た。
ぴんと張ったロープの先に目をやると、さっきの大きな海藻のが結わいてあるんですよね。
ボートはすうーっと岩場を周って行って、反対側に砂地があるんですが、そこに海藻の塊をすっとあげたんですよね。
これなんだろうと思って。
で、手をペタペタペタペタついて、這うようにして見に行ってみたら、その海藻の塊から腕のようなものが4本出てるんですよ。
それはね、サツマイモの皮みたいなね、赤みを帯びた紫というのかな、薄い色をしているんですよ、全体的に。そこにジャガイモの輪切りみたいな斑点がいくつもあるんだ。
これなんだろう、人形かな、と思った。
お巡りさんがだんだんだんだん集まって来てね、それで心中死体だってわかったんです。
どうやら宿の方に遺書を書いて消えたんで、一晩中探していたらしいんですよね。
死亡推定時刻が2時40分って言うから、我々が釣りを始めるほんのちょっと前に亡くなっていたわけだ。
となると、私はあの、死体の上で一晩寝ていたわけですよね。
そんなことがあったんだなと思っていると、お巡りさんが私に言うんですよ、「あなたが発見者で通報者ですから」って。
「ですからって言ったって、私、発見してないし、通報もしてないから」って言ったら、
「いや、あなたがあの時に呼んでくれなかったら、おそらくこの死体というのは、また沖に流されて、二度と見つからなかったでしょうね。あなたがあの時呼んでくれたから、この死体は見つかったんだ。だからあなたが発見者で通報者だ」って言うんですよ、無理に。
だからその時は「ああ、じゃあいいです」って通報者になったんですよね。
まあそんなことがあって、夏が終わったんですよね。
秋になったら、この出来事が女性週刊誌に載ったんですよ。
読んでみると、なんだか切ない話なんですよね。
心中した2人は、それぞれ家庭を持っていた。でも不倫じゃないんですよ。
背景には戦争があって……。
これがまあ気の毒な、優しい話で、もう胸に残ってしまってね。
ただ私ね、その時ふっと思ったんですよ。
あの時、寝ている私の頭の先でもって
「おい」
って言ったあの声ね、あれがなかったら、私、起きないんですよね。
あの声一体、なんだったんでしょうねえ。

◇西伊豆の海で心中した2人の切ない背景とは…。『海の怪』特別動画公開中
稲川淳二さんと鈴木光司さんの、海にまつわる怪談を収録した特別動画を公開中です。
こちらの動画では、西伊豆の海で稲川さんが「発見者」となった心中死体の背景にあった、切なく悲しい事情についても、さらに詳しく語られています。
心してお聴きください……。
◇稲川淳二さん絶賛! 海をめぐる18話のミステリー

ホラー界に金字塔を打ち立てた鈴木光司さんが、実話をもとに語る海への畏怖と恐怖に彩られた18のエピソード。
世界を船で渡った男だからこそ知る、海の底知れぬ魅力とそこに秘められた無限の恐怖とは……。
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