露呈した限界。「乾、香川からのアドリブ」が西野ジャパンの戦術だった

2018年6月29日 17:05 webスポルティーバ

 日本はワールドカップで2大会ぶりにグループリーグを突破した。



 だが、そこに至る過程は少々複雑で波乱に満ちていた。ざっと整理すると以下のような具合である。



 グループリーグ最終戦では、日本はポーランドに0-1で敗れた。



 日本のグループリーグの成績は1勝1敗1分けの勝ち点4となり、セネガルと勝ち点で並んだ。



 しかも、勝ち点に次ぐ順位決定の条件である得失点差(ともに0)と総得点(ともに4)でも日本とセネガルはまったく同じ。さらには当該国間の対戦結果も2-2の引き分けだった。



 その場合、イエローカードとレッドカードの数によって算出されるフェアプレーポイントで順位が決められることになり、ポイントで上回る(イエローカードが少なかった)日本が2位、セネガルが3位となった。



 日本はポーランド戦終盤、1点リードされていたにもかかわらず、攻める気を見せずにボールキープで残り時間を費やした。



 同じ時間に行なわれていた試合で、セネガルがコロンビアに0-1でリードされていたため、両方の試合がそのままのスコアで終われば、日本がフェアプレーポイントでセネガルを上回ることがわかっていたからだ。

 しかしながら、セネガルが1点を返してコロンビアに追いつく可能性は最後まであった(その場合、セネガル1位、コロンビア2位、日本3位になっていた)。



 つまり、日本の決勝トーナメント進出は、かなりのリスクをともなう判断によって成し遂げられたものだったわけである。

 当然、ラスト10分ほど行なわれた時間稼ぎには賛否あるだろう。結果オーライではあったが、もしセネガルが同点に追いついていたら、かなり悔いの残る終戦になっていたはずだ。



 MF長谷部誠は、「カウンターでさらに失点する危険もあった。ああいう状況は(どう試合を進めるのか)曖昧にするのがよくない」と言いつつも、「リスクは間違いなくあった。試合が終わって、選手はそれを感じていた」とも話している。



 だが、そもそも、なぜこんなにもややこしい事態になったのかと言えば、日本がポーランドから勝ち点を得られなかったからだ。



 日本はポーランドに勝てばもちろん、引き分けでもセネガルvsコロンビアの結果に関係なく、自力で決勝トーナメント進出を決めることができた。そんな試合に、日本は同じ先発メンバーで戦った1、2戦目から、一気に6人を入れ替えて臨んだ。



 結果的に、この選手起用が裏目に出た。1、2戦目に比べ、攻守両面でチグハグなプレーが目立ち、イージーミスから相手にチャンスを与えることが多かった。それを考えれば、致命傷になりかねない2点目を失わずに済んだのは不幸中の幸いだった。




攻守ともにチグハグなプレーが目立ち、ポーランドに敗れた日本





 今の日本代表は西野朗監督就任以降、急速な変化を遂げた。ワールドカップ前の国内最後のテストマッチとなったガーナ戦は、ほとんど見るべきもののない試合だったにもかかわらず、その後の短期間で、驚異的なまでにチームとしての機能性を高めていった。



 その中心にいたのが、MF乾貴士であり、MF香川真司であろう。彼らが生み出す連係が次第に周囲を巻き込んで広がり、チームがチームとして機能するようになっていった。



 だが、それは西野監督が考える戦い方を地道にイチから落とし込んでいった成果ではなく、選手同士の感覚による”アドリブ”に頼ったものだった。だからこそ、選手たちは気持ちよくプレーでき、短期間でも共通理解を築き上げることができたわけだが、選手の感覚頼みの即興では”誰が出ても同じことができる”ようになるはずもなかった。



 まして一気に6人も入れ替えたのでは、今までと同じようにチームが機能するはずもない。図らずも、それを証明したのがポーランド戦だった。



 日本はコロンビア戦、セネガル戦と、2戦続けて非常に内容の濃い試合をした。だが、それを実現させるためには、ある程度固定したメンバーで戦い続けるしかないことがはっきりした。決勝トーナメント1回戦のベルギー戦へ向け、西野監督の手中にある選択肢はもはやそれほど多くない。

 今の日本代表は短期間で驚くほど急速に進歩した一方で、所詮短期間でできることには限界があることを示したとも言える。1、2戦目の内容がよかったために勘違いしそうになるが、わずかな準備期間で、そんなにすべてのことがうまくいくはずはない。



 それを考えれば、「0-1で負けて上がれるのはラッキー」(FW大迫勇也)。主力の多くを休ませ、それでもグループリーグ突破を果たせたことは、3戦目で起こりうる結果のなかで最良に近いものだったのではないだろうか。

◆杉山氏は西野采配を支持。ベスト8進出の可能性は過去2回より高い>>

◆前回王者ドイツ敗退の深層。傲慢だったレーヴ監督の「理想主義」>>

調教師が認める素材。テンペスタージは、兄フェノーメノ以来の大物か

2018年11月18日 07:15 webスポルティーバ

厳選!2歳馬情報局(2018年版)

第26回:テンペスタージ



 国内の平地GIでは最長距離となるGI天皇賞・春(京都・芝3200m)。この伝統の舞台において、2013年、2014年と連覇を遂げたのが、フェノーメノ(牡/父ステイゴールド)である。



 2011年にデビューした同馬は、翌春にGII青葉賞(東京・芝2400m)を快勝して、GI日本ダービー(東京・芝2400m)へ駒を進めた。同レースでは、直線に入ると、先に抜け出したディープブリランテを猛追。壮絶な叩き合いを繰り広げて、内、外離れた2頭がまったく並んでゴール板を通過していった。



 どちらとも言えない状況だったが、勝利をモノにしたのはディープブリランテ。フェノーメノはわずかハナ差に泣いた。それでも、世代屈指の実力があることを十分に証明した。



 その年の秋には、古馬との対戦となるGI天皇賞・秋(東京・芝2000m)に参戦。3歳馬ながら1番人気に推され、好位から堂々たるレースを披露したが、内から伸びてきたエイシンフラッシュに半馬身かわされて、またも2着と涙を飲んだ。



 フェノーメノはGI制覇にあと一歩足りない状況が続いたが、古馬になってついに栄冠をつかんだ。2013年の天皇賞・春である。



 圧倒的1番人気のゴールドシップが伸びを欠いて5着に沈むなか、フェノーメノは4コーナーで先頭を捉えると、力強く抜け出して快勝。2着トーセンラーも寄せつけず、悲願のGIタイトルを手にしたのだ。



 その後は長期休養もあって、不本意な成績を重ねたが、5歳の春に再び同じ舞台で輝きを取り戻した。連覇を遂げた2014年の天皇賞・春だ。

 直前のGII日経賞(中山・芝2500m)で完敗を喫したフェノーメノは、前年の覇者ながら4番人気に甘んじた。だが、一団のまま最後の直線を迎えたレースにおいて、馬群を割って鋭く抜け出してきたのは、1番人気のキズナ、2番人気のゴールドシップでもなく、フェノーメノだった。



 その外からは3番人気ウインバリアシオンが競りかけ、さらに外からホッコーブレーヴ、キズナらが強襲を仕掛けるが、最初にトップに立ったフェノーメノがその位置を維持してゴールに粘り込んだ。結果、2着ウインバリアシオンとクビ差の勝負を制して、GI2勝目を挙げた。



 以降、フェノーメノはGI戦で敗戦を繰り返して鳴かず飛ばずに終わってしまったが、春になるとその強さを思い出す人も多いのではないだろうか。



 さて、その兄の背中を追う2歳馬の弟が、まもなくデビュー戦を迎える。美浦トレセン(茨城県)の戸田博文厩舎に所属するテンペスタージ(牡2歳/父オルフェーヴル)である。




兄フェノーメノと同様の活躍が期待されるテンペスタージ



 兄も管理してきた戸田調教師は、その若駒についても、高い能力を感じているようだ。関東競馬専門紙のトラックマンがその様子を伝える。

「テンペスタージは夏前に一度、美浦トレセンに来たのですが、軽い運動をした際に『期待できる逸材だ』と、戸田調教師がすぐに感じたそうです。この兄姉はフェノーメノ以外、あまり活躍していないのですが、戸田調教師は『テンペスタージは他の兄姉とは違う』と見ていますね」



 能力の高さは間違いなさそうだが、一方で不安もあるという。トラックマンが続ける。



「オルフェーヴル産駒にありがちなのですが、走りにかなりムラがあるようです。集中しているときは、走りも、時計も素晴らしいのですが、そうでないときは、追っても反応しないし、ふわふわ走ってしまうんだとか。そういった性格なので、陣営としては『レースで能力を発揮してくれるかどうかがカギ』と話していますね」



 オルフェーヴル産駒は、確かに気難しいタイプが多いようで、その点がレースでどう出るかが、出世できるかどうかのポイントとなりそうだ。



 ともあれ、11月18日の2歳新馬(東京・芝1800m)で初陣を飾るテンペスタージ。兄フェノーメノを彷彿とさせる走りを見せてくれるのか、楽しみにしたい。

クラブで不遇の柴崎岳に嫌な質問をぶつけた。「試合勘の影響は?」

2018年11月18日 06:35 webスポルティーバ

 今夏に行なわれたワールドカップで、もっともインパクトを放った日本代表選手は誰か?

“半端ない”ゴールを決めた大迫勇也(ブレーメン)はそのひとりだろう。ベルギー戦で先制弾を奪った原口元気(ハノーファー)も候補者に含まれる。2ゴール・1アシストと最高の結果を示した乾貴士(ベティス)だという人もいるだろう。ただ個人的には、卓越したパスワークと視野の広さを生かし、華麗にタクトをふるった柴崎岳(ヘタフェ)だと考える。


ウルグアイ戦の出来とは一転して積極性を見せていた柴崎岳



 長く遠藤保仁(ガンバ大阪)が担ってきた中盤のポジションは、その後、後継者が定まらないまましばらく時を過ごした。柏木陽介(浦和レッズ)や大島僚太(川崎フロンターレ)らが名乗りを上げたものの指定席は掴み取れず、柴崎自身も後任候補に挙げられながら、チャンスをモノにできずにいた。

 しかし、ロシアで示した柴崎のパフォーマンスはまさに司令塔と呼ぶにふさわしいもので、攻撃陣を巧みに操り、日本をベスト16に導く原動力となっていた。まだ26歳という年齢を考えれば、ウイークポイントと見られていたボランチのポジションは、4年後まで安泰かと思われた。

 ところが、輝かしい未来を切り開くかと思われたこのボランチは、ワールドカップ後に突如、奈落の底に突き落とされてしまう。所属先のヘタフェで試合に出られない苦境に陥るとは、想像もつかなかったに違いない。

 柴崎の置かれた状況は、森保一監督が就任した日本代表にも影響を及ぼすことになる。10月に行なわれたウルグアイ戦のパフォーマンスからは、ロシアで放った輝きが完全に消え失せていた。

 パスミスが目立ったのも確かだが、そもそもボールに触る機会が少なく、攻撃を司る役割を担えない。南野拓実(ザルツブルク)の2点目となるゴールの起点になったとはいえ、それ以上にマイナスな側面ばかりが目についた。攻守両面において積極的だったもうひとりのボランチ、遠藤航(シント・トロイデン)のパフォーマンスばかりが目立っていた。



 あれから1カ月、その間に所属クラブでの立ち位置に変化はなかった。リーグ戦では出番がなく、10月31日に行なわれた国王杯に途中出場したのみ。柴崎は好転のキッカケを掴めないまま、再び日本代表に合流した。

 同じ司令塔タイプのボランチ、青山敏弘(サンフレッチェ広島)が負傷離脱した影響もあったかもしれない。柴崎はベネズエラ戦でも再びスタメンとしてピッチに立っている。ところが、どこか自信なさげだったウルグアイ戦とは対照的に、この日は積極的にボールに絡む背番号7の姿があった。

 開始早々に右サイドの堂安律(フローニンゲン)にスルーパスを通し、持ち前のパスワークを示すと、その後もディフェンスラインからのクサビを引き出し、シンプルにボールをつないでいく。時折パスミスも見られたし、球際で競り負けるシーンもあった。それでもウルグアイ戦と比べれば、ずいぶん持ち直してきたように見えた。

 後半立ち上がりには、柴崎らしいプレーも見られた。ルーズボールを拾ってダイレクトで大迫につけ、そのまま右サイドを駆け上がり、再度ボールを引き出す。そこからのクロスは相手GKに弾かれシュートにつなげることができなかったが、守から攻に切り替え、プレーを止めることなく危険な位置に飛び出していった一連のプレーは、彼が持つセンスを示すものだった。

 その積極性の裏には、ある思いがあった。

「今日の試合に関しては、ああいった飛び出しを久しぶりに出せたかなと思います。チャンスメイクができたらなと思っていました」

 立ち上げからわずか3試合で、堂安、南野、中島翔哉(ポルティモネンセ)が形成する2列目トリオは、早くも森保ジャパンの象徴的な存在となっている。若く勢いのある3人は確かに日本の攻撃の核となっているが、柴崎にも世界を相手に結果を出した司令塔としての自負があるのだろう。いわば、ワールドカップ戦士としてのプライドが感じられたプレーだった。



 一方で、ミスがなかったわけではない。とりわけ前半はパスミスが目立ったし、守備の部分でもプレスをかけるものの、取り切るところまではいけない。その意味で物足りなさがあったのも事実だ。

 ただし、そこには観る側の偏見があるようにも思う。クラブで試合に出られていない柴崎に対する懐疑的なイメージだ。

 都合のいい言葉を使えば、「試合勘の欠如」というフレーズだ。ちょっとミスをすれば、「試合勘が足りないからだ」と短絡的にそこに結びつける。過去にも所属クラブで出番を失いながら代表に選出されていた香川真司(ドルトムント)や本田圭佑(メルボルン・ビクトリー)らも、同様の指摘を受けていた。

 では、試合勘とは何か――。日常のトレーニングでは体感できない、感覚的な部分を指すだろう。

 体力、スピード、球際の強さ、プレー強度、あるいはメンタル面……。真剣勝負のテンションでなければ培えないもの、と定義づけられるかもしれない。おそらく、その感覚は人それぞれであり、当人しかわかり得ないものだろう。そしてそれは、他人には知られたくない弱みでもあるはずだ。そう理解しながら、柴崎に聞いてみた。

「今日の試合で試合勘の影響を感じることはあったか?」

 我ながら、嫌な質問だと思った。しかし、生真面目なボランチは顔色ひとつ変えずに、持論を述べた。

「試合勘という表現は難しいですけど……」。そう前置きしたうえで、柴崎は続ける。

「僕自身、集中力を持って、今の自分にできることを最大限やろうとしている。そうやって取り組んでいることが、今の自分のマックスかなと思います。修正していかなければいけないこと、よかったことを伸ばしていくこと。今日の試合で感じたことは、続けてやらなければいけないことだと思っています」

 試合に出られない状況は、プロのサッカー選手として耐え難いものであるはずだ。しかし、置かれた状況を理解したうえで、そのなかでできることを全力でやり切るしかない。試合勘を培えないなら、他のもので補えばいい。つまり、試合勘の欠如など、言い訳に過ぎないのだ。

 野暮なことは聞くなよ――。

 クールな司令塔のまっすぐな瞳は、そう言っているように見えた。

ルーニー、代表最後の晴れ舞台。2年ぶりでもセンスは錆びていなかった

2018年11月18日 06:15 webスポルティーバ

 出番は、後半13分に訪れた。

「交代選手。ナンバー10、ウェイン・ルーニー!」のアナウンスが響くと、聖地ウェンブリー・スタジアムに駆けつけたサポーターは、スタンディングオベーションで主役を迎えた。


目を潤ませながらファンの声援に応えるウェイン・ルーニー



 この試合でゲームキャプテンを務めたMFファビアン・デルフ(マンチェスター・シティ)からキャプテンマークを受け取り、ルーニーがゆっくりとピッチに入る。最後の代表戦出場から約2年、代表引退発表から約1年3カ月が経過していたが、11月15日に行なわれた国際親善試合のアメリカ戦が事実上の引退試合に設定され、久しぶりにウェンブリー・スタジアムに舞い戻った。

 4−3−3の左FWの位置に入ると、投入から3分後に前線から自陣ペナルティエリア内まで敵を追いかけた。献身的にディフェンスを行なえば、後半26分にはペナルティエリア手前の位置から左足でシュート。さらに、センターフォワードにポジションを移していた後半アディショナルタイムに2度のゴールチャンスを掴んだが、いずれも決めきれなかった。

 試合後、ルーニーはスタンドを見渡し、サポーターの声援に拍手で応えた。「すばらしい夜。残念ながら得点できなかったが、この試合は記憶にずっと残る。ガレス(・サウスゲート監督)と選手たち、何年にもわたり応援してくれたサポーターに感謝したい」と感慨深げに語った。

 今回の引退試合でとくに目についたのが、ルーニーのサッカーセンスと万能性、献身性だった。

 昨シーズンまで在籍したエバートンで出番の少なさを訴え、今シーズンから米プロリーグMLSのD.C.ユナイテッドに移籍。主力としてD.C.ユナイテッドを牽引しているおかげで、身体は昨シーズンよりもフィットしているように映った。ただ、33歳の年齢には勝てず、全盛期に比べると身体のキレやスピードはやはり落ちていた。



 しかし、ボールタッチの柔らかさや攻撃センス、周囲を活かす動きは、まったくと言っていいほど錆(さ)びついていなかった。後半29分には、スルーパスで好機を演出。その際に見せた確かな技術と高いセンスに、ルーニーのうまさが凝縮されていた。

 しかも、「4−3−3」の前線すべてのポジションをこなす万能性も見せた。投入直後は左FWの位置に入ったが、3分後には18歳の新鋭FWジェイドン・サンチョ(ドルトムント)とポジションをスイッチ。右FWをこなした後、最後の10分間はセンターフォワードとしてプレーした。

 加えて、守備タスクもきっちりこなして懸命に敵を追いかけた。サウスゲート監督も「練習で身を粉にし、ミニゲームでもハードワークをこなす。試合では守備に走った。現代表選手たちも、ウェインのひたむきな姿勢を見習うことだろう」と手放しで褒めていた。

 イングランド代表の歴代最多ゴールスコアラーでありながら、守備も厭(いと)わない献身性を備え、味方を活かす利他性にも優れる――。ネットを揺らすことだけに徹していれば、イングランド歴代最多得点となる53ゴールをさらに上回っていたような気もするが、こうしたハイブリットなプレースタイルこそ、ルーニーの最大の持ち味だろう。

 筆者は香川真司のマンチェスター・ユナイテッド在籍時、2シーズンにわたり同クラブの密着取材を行なう機会に恵まれた。その際、目を奪われたのが、当時マンチェスター・Uに在籍していたルーニーのサッカーIQの高さだった。

 FWとして高い決定力を有していながら、「周囲を活かす技術」や「視野の広さ」もチームのなかで突出していた。香川の特性をもっとも理解していたのもルーニーで、誰とでも良質のコンビネーションを構築できる選手だった。強面とは裏腹に、器用で繊細なプレーができ、動きの幅も広い。そんな印象を抱いたのをよく覚えている。



 振り返れば、ルーニーは2003年に17歳で代表デビューを果たし、17歳と317日で同代表の得点最年少記録を更新した。以降、引退発表まで約14年にわたり、イングランド代表を牽引してきた。

 スティーブン・ジェラードやポール・スコールズ、リオ・ファーディナンドらを擁した「黄金世代」のひとりとしてチームの中核を担ったが、国際主要タイトルには手が届かなかった。しかし、ルーニー個人としてはイングランド歴代最多の53ゴールをマーク。ボビー・チャールトン(49ゴール)やガリー・リネカー(48ゴール)といった歴代先人たちの記録を上回り、イングランド代表史にその名を刻んだ。

 一方で、物議を醸す行動も少なくなかった。2006年のW杯ドイツ大会のポルトガル戦で退場処分を受け、チームもPK戦の末に敗戦。英国内で猛バッシングを浴びた。2010年のW杯南アフリカ大会でも、上位進出が期待されながらグループリーグで2試合連続のスコアレスドロー。サポーターの不満が爆発すると、ルーニーはテレビカメラに向かい、「自軍のファンがブーイングを浴びせるとは最高だな」と叫び、大いに批判された。

 代表で味わった栄光と挫折――。引退試合に先立ち、ルーニーが「いい試合もあれば、悪い試合もあった」と、代表キャリアを振り返っていたのが印象的だった。

 ただ、今回の最終試合で、ルーニーの顔には常に笑みがこぼれていた。これまでの代表キャリアについて、本人は「今、振り返ってみると、プレッシャーは相当に大きかった。それはファンやメディアからの重圧ではなく、自分自身に課したプレッシャーだった。過剰なプレッシャーが、プレーに影響を及ぼすこともあった」と明かす。

 たしかに、どこか窮屈そうにプレーしていた時代もあった。しかし、一夜限りで実現した代表戦では、前日会見もウォームアップ中も笑顔。無得点ながら、試合後も笑みを浮かべていた。



「もう一度、イングランド代表としてプレーできるなんて本当にすばらしい。ひとりのファンに戻る前に、このような機会を持てたことは本当に特別だ。この試合のことは決して忘れない」

 酸いも甘いも知ったルーニーの言葉は、間違いなく心の底から出た本心だった。そんなルーニーを、ウェンブリー・スタジアムの住民たちは拍手で送り出した。

ベネズエラ戦ドローでほの見えた、森保ジャパン「2つの不安」

2018年11月17日 11:00 webスポルティーバ

 濃霧や台風で試合が中止になったケースに出くわしたことはあるが、選手を乗せたバスが渋滞に巻き込まれ、到着が開始時刻に間に合うかどうかが危ぶまれるというのは、これが初の経験だ。



 ウォーミングアップもそこそこに始まることになったベネズエラ戦。観客の多くも同様に渋滞に巻き込まれていたので、スタンドには空席が目立った。試合は、どこか緊張感を欠く緩いムードのなかで滑り出した。




ベネズエラ戦で先制ゴールを決めた酒井宏樹



 そんな序盤、チャンスを多くつかんだのはベネズエラだった。前半12分、ゴール前でワンツーを阻止しようとした佐々木翔(サンフレッチェ広島)のクリアが日本ゴール前へ。反応したのは、武藤嘉紀(ニューカッスル)のチームメイトで、今季、彼より多い出場時間を誇るFWサロモン・ロンドンだった。代表初キャップのGKシュミット・ダニエル(ベガルダ仙台)をかわし、日本ゴールにシュートを流し込んだかに見えた。



 日本に幸いしたのは、そのシュートが優しかったこと。右足アウトで放たれたシュートがゴールに入る直前にCBの冨安健洋(シント・トロインデン)が際どく掻き出したのだが、試合前の準備が行き届き、身体が温まっていれば、シュートは決まっていたと思わせる、危険な瞬間だった。



 ピンチは続く。直後の前半13分。中盤で柴崎岳(ヘタフェ)が致命的なパスミスを犯し、ウディネーゼに所属するダルウィン・マチスにボールを運ばれる。柴崎は自らペナルティエリアのライン手前で反則で止め、FKに。柴崎の肩を持つわけではないが、これもアップ不足が災いしているように見えた。

 選手のバスが渋滞で遅刻するとは、日本の劣化を象徴する一件とは言えないだろうか。



 それはともかく、日本に訪れた決定機は前半26分だった。右サイドから中島翔哉(ポルティモネンセ)、遠藤航(シント・トロインデン)、南野拓実(ザルツブルク)、大迫勇也(ブレーメン)とつなぎ、最後は堂安律(フローニンゲン)が右足シュートを放ったが、精度をわずかに欠き、ポスト脇に外れていく。



 いまや日本の売りとなった前線の4人(中島、堂安、大迫、南野)は、この頃になると、身体が温まったのか、次第に本領を発揮し始めるようになる。前半31分には吉田麻也(サウサンプトン)の縦パスから南野が大迫に惜しいラストパスを送れば、34分には中島がGKと1対1になるシーンを作った。



 日本の先制ゴールは前半39分。右から中島が蹴ったFKを酒井宏樹(マルセイユ)が蹴り込んだセットプレーによるものだが、ゲームの流れは日本に傾いていた。必然性の高いゴールと言えた。



 しかしこの日、日本が挙げたゴールはこの1点のみ。前線の4人はその後も期待どおり見せ場を作った。魅力を振りまき、渋滞でスタジアム入りが遅れることになった大分のファンを喜ばせた。



 この4人は4-3で勝利した前戦、ウルグアイ戦に続いてのスタメンだった。GKダニエル・シュミット、CB冨安以外の9人がそうだった。森保監督はテストより、勝ちに比重を置いて戦ったわけだ。



 ウルグアイ戦では選手交代が6人できるにもかかわらず、2人に終わった。サブに与えられた時間は、のべ27分(追加タイム4分含む)。ウルグアイ代表のオスカール・タバレス監督の174分(同4分含む)と比較すれば、その差は歴然としていた。交代枠6人を使い切り、テストという命題をこなしながら敗れたウルグアイに対し、森保ジャパンは、それを怠り4-3で勝利した。大喜びすべきではない勝利とはこのことである。

 その流れは、このベネズエラ戦にも引き継がれた。勝利を欲するあまり、テストを疎かにした。先細り感を露呈させることになった。代表監督のスタンダードから外れた、その方向性を疑わざるを得ない方向に森保監督は進んでいる。



 ウルグアイに同点ゴールが生まれたのは81分。酒井が自軍ペナルティエリア内で勢いよく相手に衝突、PKを取られた結果だった。前半39分、代表初ゴールに気をよくした選手が、興奮を抑えられず、自軍のエリア内でもファイトする。サッカーによくありがちな展開だが、ホームで、南米下位のベネズエラに、勝利至上主義に走りながら引き分ける姿は、まったくもっていただけない。



 ちなみに森保監督はこの日も、相手のラファエル・ドゥダメル監督が6人の交代枠をすべて使ったのに対し、4人しか代えず、サブに与えた時間でも、のべ126分対90分(追加タイム5分含む)と大きく劣った。



 代表の活動は4年周期で、いまはその1年目の前半戦だ。来年1月にアジアカップを控えているが、11人だけで最大7試合戦うアジアカップは戦えない。20人のフィールドプレーヤー全員が戦力にならないと準決勝、決勝あたりで息切れする。そこから逆算して考える思考法が、代表監督には求められている。



 危うさを覚えずにはいられない。選手と監督。どちらのレベルが高いかという視点で、現在の代表を眺めると軍配は選手に上がる。



 メンバーを4人しか代えることができなかった森保監督だが、代えた4人の顔ぶれからも、森保ジャパンの問題を垣間見ることができる。

 中島、大迫、堂安、南野。交代でピッチを後にしたのは前線の4人だ。森保ジャパンを代表する4人ではあるが、足が鈍ったアタッカーを、「お疲れ様」と言って順に切っていくのは交代の王道。常識的な交代と言える。だが、他を一切代えなかったということは、4人以外のパフォーマンスに監督は満足していることを意味するのだ。



 サッカー自体には特段の問題はない。森保監督は試合後の会見でも、そうした意味の台詞を吐いていた。はたしてそうだろうか。



 前線の4人はピッチを後にするまで、従来どおり活躍した。10段階評価で8は出せないが、7点前後は出せる活躍をした。にもかかわらず、得点はセットプレーによる1点のみで、南米下位のベネズエラにホーム戦で引き分けてしまった。4人以外に問題があるから、そうなったとは思わないのだろうか。



 4人の活躍は、言ってみれば散発的だった。コンスタントではなく、回数も思いのほか少なかった。チームが構造的に作成したチャンスというより、彼ら個人の頑張りに委ねられている気がした。



 具体的に言えばDF陣。4バックが重たいのだ。とりわけ両サイドバックのポジショニングが低い。酒井と堂安(右)、佐々木と中島(左)が、相手陣深くで絡んだケースは何回あっただろうか。そこでコンビネーションプレーで局面を打開したことは何度あっただろうか。



 森保監督は、試合後の会見で「サイドを膨らまして……」と、幾度となくサイド攻撃の重要性を語ったが、そのチャンスの大半は、中島、堂安の単独プレーだった。散発になる原因であるし、後半、疲れてしまう原因でもある。前の4人の中でもサイドの2人の負担は重く見える。

 これでは後半、チームとして失速する。この日、結局、1-1で引き分けてしまった原因でもある。



 使えそうな選手の絶対数が足りていない。前線の4人しかセールスポイントが見出せない。ベネズエラ戦を通して見つかったアジアカップに向けての不安要素はこの2つだ。



 日本に問われているのは、選手というより監督の力。あいかわらずコメント力の足りなさも目立つ。魅力的な4人がいるにもかかわらず、代表人気がいま一歩である原因だろう。代表監督のスタンダードが上がらないと、盛り上がるものも盛り上がらないのである。

トライアウトに臨んだ佐藤世那。旧友との約束実現へ「現役を続けたい」

2018年11月17日 10:15 webスポルティーバ

 近年のドラフト候補で、その能力や実績に対する賞賛と、フォームに関する否定的な意見が同時に飛び交う選手の代表格が、佐藤世那(せな/前オリックス)だった。

 

 仙台育英高(宮城)時代は、エースとして3年時の春夏と2季連続で甲子園に出場。140キロ後半を記録する直球、空振りを誘う落差のあるフォークが冴えわたり、同校にとって2度目となる夏の甲子園準優勝に大きく貢献した。

 


オリックスに入団して3年で戦力外通告を受けた佐藤世那



 甲子園後はU-18日本代表に選出。出場した「2015 WBSC U-18ワールドカップ」では、同年のドラフト会議で1位指名を受けることとなる、髙橋純平(ソフトバンク)、小笠原慎之介(中日)らを差し置き、先発投手としてベストナインを受賞した。



 能力はもとより、全国大会、その後の世界大会を含めた実績も申し分なかったが、フォームへの懸念も大きく囁かれた。佐藤のフォームは、二塁方向に大きく腕を回しながらトップを形成する”アーム式”と呼ばれるもの。「甲子園での実績は十分だが、このフォームでは確実に故障する」といった評価も散見された。



 ドラフトでの指名順位は6位。「甲子園準V右腕」の看板を鑑(かんが)みると、決して高い順位ではなかったが、「このフォームでもやれることを証明したい」という強い決意とともに、プロの世界へと飛び込んだ。

 

 しかし、現実は厳しかった。プロ入り後の3年間で一軍昇格が一度あったものの、登板はなし。2年目オフにウエスタンリーグ選抜として派遣されたウインターリーグの途中からは、コーチの勧めもあり、サイドスローへの転向を決意する。慣れ親しんだフォームへ別れを告げた心境を、こう振り返る。



「自分のフォームに対する否定的な意見を吹き飛ばしたいと思っていましたが、結果を出すことができませんでした。コーチから話を聞くなかで、チャンスを掴むためには必要なことだとも理解できましたし、自分だけでなく、チームのために必要な選択だと思って取り組みました」

 人生で初めて取り組むサイドスロー。春季キャンプでも、リリースの感覚を掴むために精力的な投げ込みを続けた。コーチの熱心な指導もあり、少しずつ手応えを感じつつあったが、それを生かすための機会に恵まれなかった。



 今季はファームでの登板も8試合。少ないチャンスのなかで2勝をマークしたものの、一軍から声がかかることはなく、オフに戦力外を告げられた。入団から2年の足踏みがあったとはいえ、サイドスロー転向後わずか1年。早すぎる”通告”だった。



「毎年いい投手が入ってくるのを見ていましたし、あるかもしれないとは思っていました。本音を言うと、『育成で残れるんじゃないか』という気持ちはありましたが……」



 本人以上に驚いていたのは、周囲だったのかもしれない。高校時代のチームメイトである平沢大河(ロッテ)からは、驚きと励ましを伝える電話がかかり、仙台育英秀光中(宮城)時代の恩師である須江航(すえ・わたる/現・仙台育英高監督)からは、「中学時代の対戦校の監督からも『世那は大丈夫か? トライアウトがんばれよ』というメッセージが来ているぞ」と伝えられた。



 受験を決意したトライアウトでは、「自分の生きる道は、やはりこれしかない」と慣れ親しんだオーバースローに戻すことを決めた。



「少し力が入ってしまった」と振り返るように、先頭の森山孔介(前ソフトバンク)に対して四球を与えたものの、河野元貴(前巨人)は、高校時代の快投を彷彿とさせるフォークで追い込み、直球で差し込んでの内野フライ。最速は141キロを計測した。約1年ぶりのオーバースローでの登板について、こう語った。



「トライアウト受験にあたって、自分のフォームでもう一度勝負したいという思いが強くありました。自分としては、もう少し上から投げている感覚だったんですが、映像で見るとまだサイド気味でしたね(苦笑)。ただ、感覚は悪くなかったですし、腕はしっかり振れました。野球ができる喜びを感じながら、楽しむことはできましたし、やり切った思いもあります」

 今後はNPB球団を中心にオファーを待つ意向を明かした。現役続行にこだわりを見せる背景には、ひとつの”約束”がある。



「戦力外通告を受けたときに、高校時代にバッテリーを組んでいた郡司(裕也/慶応義塾大)から連絡があったんです。『プロで世那とバッテリーを組むのがオレの目標なんだよ』と言ってくれて……。郡司は必ずプロに入る存在だと思っているので、その時に自分も同じ世界にいられるようにしたいんです」



 終始緊張した面持ちで報道陣の質問に答えていた佐藤の表情が、わずかながらもほころんだ瞬間があった。「手応えを感じたボールはあったか」と尋ねたときのことだ。



「マウンドに上がった直後の投球練習のとき……ですね。いい感じで脱力した体重移動からリリースできたボールがありました。実際の対戦では、打者を意識してしまって同じようには投げられなかったんですが、あの投球練習のボールにはいい感触がありました」



 長年の野球人生をともに歩んだ”相棒”とも呼べるフォームで戦ったトライアウト。わずかながらも取り戻せた「このフォームで戦える」という自信と、果たすべき友との約束を胸に、若干21歳の右腕は吉報を待っている。

ジェンソン・バトンが本領発揮。参戦1年目でスーパーGT王者に輝く

2018年11月17日 09:15 webスポルティーバ

【連載】ジェンソン・バトンのスーパーGT参戦記(9)



 シーズンを締めくくるースーパーGT最終戦が11月10日、11日、栃木・ツインリンクもてぎで行なわれた。第7戦・オートポリスを終えて、RAYBRIG NSX-GT(ナンバー100)を駆るジェンソン・バトンは山本尚貴とともにランキング首位。フル参戦1年目でのチャンピオン獲得まで、あと一歩と迫っていた。



「ジェンソン・バトン連載」(1)から読む>>>




ジェンソン・バトンがスーパーGT参戦1年目で見事戴冠



 ただし、平川亮/ニック・キャシディ組のKeePer TOM’S LC500(ナンバー1)も同点で並んでおり、まさに「前でゴールしたほうがチャンピオン獲得」となる。しかも、急減速と急加速を求められる「ストップ&ゴー」のレイアウトが特徴のもてぎは、ホンダのホームコースでありながら、マシン特性から見ればレクサス勢が有利。とくに1号車はここ数年、もてぎで好成績を収めており、戦前予想では「100号車が劣勢」だった。



 しかし、この嫌な雰囲気をバトンが払拭する。土曜日に行なわれた予選Q1に登場し、1分36秒344のトップタイムを叩き出してライバルを圧倒したのだ。今季後半はQ1を担当することの多かったバトンだが、トップタイムを記録するのは初めて。「ベストなアタックではなかったけど、トップタイムはうれしい」と笑顔を見せた。



 その後、100号車は山本がQ2を担当し、2番グリッドを獲得。対する1号車は6番手となり、形勢は一気に逆転した。



 そして迎えた日曜日。待ちに待った決勝レースも、フィナーレにふさわしい名バトルが展開された。



 100号車は山本がスタートドライバーを務め、2番手をキープする。1号車の動きを警戒しながら走り、予定より長い30周目までピットインを引っ張ることになった。



 ただ、これが裏目と出る。バトンと交代する間に立川祐路/石浦宏明組のZENT CERUMO LC500(ナンバー38)に先行を許し、3番手に後退することになったのだ。これに対して1号車は、ピットインしてキャシディから平川に交代すると、徐々に100号車のバトンとの差を詰め始めた。その時の心境を、バトンはこう振り返る。

「ピットアウトしたときに38号車が目の前を通過したので、『しまった!』と思ったよ。(後方から追い上げる1号車の)平川選手のペースが速いのはわかっていたから、自分のタイヤが新しくてグリップ力が高いうちに、早く38号車を追い抜く必要があると思った」



 ここからバトンは、38号車の石浦に猛烈なアタックを仕掛ける。そのアグレッシブさは、これまでの7戦では見られないほど勢いがあるものだった。しかし相手は、今年でスーパーGT参戦100戦目を迎えた大ベテラン。バトンは石浦と一進一退の攻防を繰り広げた。



「タイヤの消耗は気にせずにプッシュしたよ。この時、一番重要だったのは、レクサス勢の前にいなければならないことだったから。すごく楽しいバトルができたけど、石浦選手のブロックは完璧だった。数周のうちに、『これは抜けないな』と判断したよ」



 バトンは38号車とのバトルから一旦引き、タイヤをケアする方向へと切り替える。一方、1号車の平川は4番手に浮上し、バトンに迫ってきた。そして残り10周になって両者の差は2秒を切り、フィナーレは直接対決という最高の舞台が整った。



 コースの習熟度、GT300との混走経験を考えると、完全に有利なのは平川だ。だが、ここで元F1王者の本領が発揮される。第7戦まで苦戦することが多かったバトンだったが、この緊迫した状況のなかでスムーズに混走を処理し、むしろ平川よりもリズムよくGT300マシンをパスしていった。



「僕はこれまで数多くのレースを経験しているし、プレッシャーとの付き合い方も知っている。だけど、トラフィック(GT300との混走)はまったく初めての経験だったので、今年はすごく苦労した。でも、いろいろ学んだことを、今回の最終戦で生かすことができた」



 最終戦のバトンは、手探りの状態で走っていた開幕戦のころとはまるで違っていた。これまでは慎重になっていた部分もあったが、最終戦ではアグレッシブに攻めていく一面を見せ、終盤のポジションをキープする走りも経験豊富なGTドライバーたちとまったく遜色のないレベルに達していた。

 開幕戦のころのバトンであれば、平川が逆転していたかもしれない。最後までポジションを守り切れたのは、「元F1王者」という称号におごることなく、ひとりのルーキードライバーとして日々勉強を積み重ねた成果だろう。その集大成が、チャンピオンのかかった大一番で存分に見えた。



「チェッカーフラッグを受けた時は、本当にうれしかった。スーパーGTは世界で一番タフなレースのひとつだからね。こうしてチャンピオンを獲得するのは、僕にとっては9年ぶり(2009年のF1)のことだけど、あの時と同じくらい大きなタイトルだと思う。



 チームメイトのナオキ(山本尚貴)はシーズンにわたって、いろいろなことを教えてくれた。そして、いつもすばらしい仕事をしてくれた。チーククニミツや、ホンダにも感謝している」



「スーパーGT」という今まで経験したことのないカテゴリーに挑戦し、時に失敗することもあったが、心の底からレースを楽しんでいた。その瞬間をひとつずつ、思い出しているかのようにバトンは語った。



 最後に、気になる来年のことについて聞いてみた。



「まだわからない。レースをしているのは、たしかだけど……、たぶん、今年と同じことをしているんじゃないかな」



 来年もバトンがさらに活躍してくれることを、日本のファンは待っている。

錦織圭の2018年を振り返る。今季のデータが「復活」の何よりの証だ

2018年11月17日 08:50 webスポルティーバ


最終戦は苦戦を強いられたが、来季はもっと強い錦織圭が戻ってくるだろう



 錦織圭は、ATPファイナルズでベストなプレーができなかったことを悔やんだが、2年ぶりに世界最高峰の舞台に戻って来られたことをあらためて誇りに思っていた――。



 男子テニスツアー最終戦・ATPファイナルズのラウンドロビン(総当たり戦)のレイトン・ヒューイットグループは、第2戦が終了した時点で準決勝進出者が誰も決まっていなかった。



 第7シードの錦織(ATPランキング9位、11月12日づけ/以下同)は1勝1敗で、準決勝に進出するためには勝利することが最低条件だったが、ストレートで勝つかフルセットで勝つかによって状況が変わり、さらにもう一つの試合結果によっても左右される複雑な状況であった。



 第3戦の対戦相手である第6シードのドミニク・ティーム(8位、オーストリア)とは、今季1勝1敗。直近の対戦である10月のATPウィーン大会準々決勝では、錦織がストレートで勝っていた。



 また第2戦で、第4シードのケビン・アンダーソン(6位、南アフリカ)に対して24回のミスをして、0-6、1-6で敗れた悪夢から、錦織がどう立て直してくるかも注目だったが、残念ながら修正は難しかった。



 第1セット第5ゲームで、錦織はブレークポイントを4回つかむが取ることができず、これがほとんど唯一の見せ場で、それ以降はまったくいいところなく、1-6、4-6で敗れた。



「ほぼ試合にならなかったというか、ミス(のタイミング)がすごく早かった」と振り返った錦織は、フォアのミス16本とバックのミス19本を含む合計41回のミス。「ここまでミスが多いのは初めてかもしれない」と言うほどの自らの不甲斐ないプレーに錦織は怒りを隠せず、ラケットをコートに叩きつけるシーンもあった。



 錦織は、ラウンドロビンを1勝2敗で終え、ティームとは勝敗数で並び、セット勝率も同じだったが、ゲーム勝率でティームが錦織を上回り、結局錦織はグループ4位。準決勝へ進出することはできなかった。



 錦織はファイナルズの出場権を獲得するため、シーズン終盤の大会で全力を出し続けていた。その疲労がロンドンでのプレーに影響したのか、トップ選手を相手にややエネルギー不足だったのは否めないだろう。



「正直、まったく納得できない。内容的には3試合ともそんなによくなかった。最後まで感覚がつかめず終わりましたね。今週は葛藤の一週間でしたけど、その前はすごくいいプレーができていた。今年1年頑張って、ここまで来られたことは、奇跡のようなところもあるので、そこは我ながらすごく評価しています。ただ、あまりいい終わり方じゃなかったですね」



 こう語った錦織にとって、理想的なシーズンのエンディングではなかったかもしれないが、昨年の右手首のケガから復帰した2018年シーズンの最後にファイナルズの舞台に立てたことは、錦織の状態がトップフォームに戻ってきた証しだろう。

 もちろん、ファイナルズ出場までの道のりは平坦なものではなかった。今季、錦織のリスタートは、1月のATPチャレンジャー大会から。右手首に不安を抱えたまま、なかなか調子が上がらず、4月上旬にはランキングが一時39位まで落ちた。



「痛みがありながら、(100%で)フォアを打てずに決勝までいった」と錦織が振り返るマスターズ1000(以下MS)・モンテカルロ大会では準優勝を飾り、そのあとのクレーシーズンで少しずつ調子が上向き始めると、復活の狼煙を上げた。



 錦織は、試合中の手首の痛みや、ケガが再発するかもしれない恐怖とも戦い続けた。また、サーブのテークバック時に、ラケットを体の近くにセットしてフォームをコンパクトにしたり、両足を固定するなどしてサーブを改良した。28歳のプロテニス選手がプレー技術に手を加えることは決して簡単なことではない。さらに、サーブのルーティーンも変更して、ボールを1球ずつ受け取ってファーストサーブとセカンドサーブを打つようになった。



「いろいろ乗り越えた1年だった。ケガもそうだし、メンタルもそうだし、体が強くなって痛みが出なくなったことも例年にはなかったこと。乗り越えたというか、よくなったこともたくさんあったと思います」



 さらに、ベスト4に入った9月のUSオープンが、ターニングポイントになった。



「USオープンでいいテニスができたことが一番大きな自信になった。USオープンの後から、やっとテニスが安定してきた」



 そこから錦織の快進撃が始まり、ATPメス大会(フランス)でベスト4、ジャパンオープンで準優勝、MS上海大会でベスト8、ATPウィーン大会で準優勝、MSパリ大会でベスト8と、安定した成績を残してトップ10に復帰。そして、2年ぶり4回目となるファイナルズの出場権を獲得した。

「十分すぎる1年だったというか、ここ(ファイナルズ)に出られなくてもおかしくなかった」



 錦織は、2018年シーズンをマッチ43勝21敗で終えた。対トップ10選手には7勝10敗。ファイナルセットにもつれた試合は12勝5敗。ATPランキング9位でフィニッシュした。



 レギュラーシーズン(MS・パリ大会)までのデータにはなるが、サービスゲーム獲得率82%、ファーストサーブでのポイント獲得率72%、セカンドサーブでのポイント獲得率55%、ブレークポイントのセーブ率63%。また、相手のセカンドサーブに対してのリターン獲得率は52%だった。



 錦織が自己最高の4位を記録した2015年シーズンは、サービスゲーム獲得率86%、ファーストサーブでのポイント獲得率75%、セカンドサーブでのポイント獲得率55%、ブレークポイントのセーブ率64%であり、こうしたデータからも、錦織がトップレベルに戻ってきたことをうかがい知ることができる。



 来月29歳になる錦織が、2019年を体も心も充実させたシーズンにすることができれば、悲願であるグランドスラム初タイトルをつかむチャンスはあるはずだ。来季は錦織にとって、大きな勝負に挑む年になるだろう。

岩政大樹の言葉に支えられ、昌子源は「背番号3の魂を受け継いだ」

2018年11月17日 08:30 webスポルティーバ

遺伝子~鹿島アントラーズ 絶対勝利の哲学~(37)

昌子 源 後編

前編から読む>>

 11月11日、テヘラン、アザディ・スタジアム。約10万人がピッチを囲むその多くが地元ペルセポリスFCのサポーターで、彼らが鳴らすブブゼラの音が鳴り響いていた。

「健斗」、「レオ」

 昌子源は何度もチームメイトの名を呼ぶが、その声が仲間に届くことはなかった。

「声が届かないのは想定内のことだったから、『自分のポジションへ戻る時とか、いつでも俺のほうを見てくれ』と伝えていました。声が届かなくてもメッセージは送ることができるから」と昌子が振り返る。

 ACL決勝戦のセカンドレグ。ペルセポリスFC対鹿島アントラーズ。ファーストレグを2-0で終えた鹿島は引き分けでも優勝できる。逆にペルセポリスFCには3点以上の得点が必要だったため、ファーストレグ同様に試合開始から猛攻をしかけてくることが予想された。

「特に15分はシンプルにやって、試合が落ち着いたら、ボールをまわそうという話をしていたけれど、グラウンドも思った以上に悪かったし、こっちもしんどかったからロングボールが増えた。2トップが強力で、GKからのロングボールもある。こんなにセンターバックがしんどい試合も珍しいと思う(笑)。だけど、勝つために、僕らのゴールからボールを出来るだけ遠ざけることを徹底した」

 守備ブロックをコントロールしながら、ペナルティエリア内では身体を張ってゴールを守った。とにかく失点しないことがタイトル獲得への最低条件だった。昌子が続ける。

「鹿島って、変な言い方やけど、ちょっといやらしいよね。こういう舞台になったら、恥じることも躊躇もなく、ロングボールを蹴る。カッコいいとかカッコ悪いとか関係なく、勝つためにならめちゃくちゃカッコ悪い戦いもやってしまう。途中から出た選手も含めて、すべての選手がそういう意識でプレーしているから。それは憎いなあって思う。俺が相手だったら、本当にいや。だってうっとおしいやん(笑)」

 この試合ではGKへのバックパスはほぼなかった。前線の選手が不用意なバックパスをすれば、叱責されている。徹底したリスクマネージメントのもと、試合終了を告げる笛が鳴る。

「鹿島は優勝しなければいけないというプレッシャー、責任感もあります。試合前のピリピリしたムードもあるなか、こういう大舞台に慣れている先輩方が多いので、僕にとって心強かった。僕自身タイトルを獲った経験はなかったけれど、想像以上に気持ちがいい。あの笛が鳴った瞬間は今後忘れないと思いますし、こういう経験は何回もしたい。ここで喜びを与え続けられる選手になりたい」

 若い安部裕葵はそう言って、タイトル獲得の感動を味わい、次なるタイトルを欲した。優勝という現実が、選手の欲をさらにかき立てる。タイトルが次のタイトルへのエネルギーとなっていくのだ。

 鹿島アントラーズの20冠はそんなサイクルの末に重ねられた歴史だった。

「真ん中でどっしりと構えるという雰囲気がある。鹿島のセンターバックは、Jリーグのほかのチームとは違うと思うんだよね、俺は」と内田篤人は以前語っている。

 2015年、岩政大樹から譲り受ける形で、背番号3を背負った昌子源。主力としてプレーを始めて2シーズン目だった。しかし、開幕からチームの成績は低迷。失点するから勝てない。その現実は、若い背番号3を苦しめた。


ACL決勝ではゲームキャプテンを務め、味方を鼓舞し続けた





――背番号3をつけた経緯を教えてください。

「まず、大樹さんから、背番号3は『お前がつけろ』と言われました。その後、2015年シーズン前にクラブからも『3番はどうか』と言ってもらえて『つけさせてもらえるのなら、つけたい』と」

――そのとき、その背番号の重要性は認識していましたか?

「その番号を担った歴代の選手の名前を見て、重責であることはわかっていたけれど、本当の意味では理解していなかったのかもしれません」

――しかし、そのシーズンは苦しいものになりましたね。シーズン途中にトニーニョ・セレーゾ監督から石井正忠監督に交代しました。

「きつかったですね。背番号がプレッシャーになっただけでなく、試合に出始めの2年目でミスも増えた。1年目はただガムシャラにプレーすればよかったけれど、2年目はやることも増えるし、責任も増す。周囲の眼も厳しいものに変わります。『秋田(豊)さんや大樹さんのようにヘディングで点が獲れない』とか、過去の3番と比較されることも多かった。でも、僕と先輩とでは、プレースタイルがまったく違う。葛藤がありましたね」

――プレースタイルという意味で、どんな選手をイメージしていたのでしょうか?

「元バルセロナのハビエル・マスチェラーノですね。知人から7分くらいの映像をもらったんです。それを見て、ボールの奪い方やビルドアップやパス、攻撃に転じるときなども含めての判断の良さ、そういうものを見様見真似でやってみると、うまく自分にマッチングできた。それがプロ3年目のころです」

――秋田氏や岩政氏とは違うスタイルを磨いてきたわけですが、背番号3を背負い結果が出ないと、中傷の的になってしまう。

「そうですね。失点に絡んだとき、直接『その背番号をつける資格はない。ほかの選手に譲ってくれ』と言われることもありました」

――そういうなかで自分のスタイルを守り抜けたのはなぜでしょう?

「大樹さんに言われた『お前は俺や秋田さんと同じプレースタイルじゃないから、俺らの真似はしなくていい。だけど、ディフェンスリーダーという魂を受け継いでくれ』という言葉があったからだと思います。だから俺は、プレースタイルじゃなく、その魂を受け継いだ3番だと考えていました。ディフェンスリーダーとしてしっかりチームを締めるとか、守り切るとか。それが、僕が継承する『背番号3』なんだと。厳しい声があるなか、俺がミスしても『昌子の実力は私たちが知っているし、今までもこれからも鹿島を背負って闘ってくれると信じています』と励ましてくれるファンの方もいてくれた。そういう信頼の声は力になりました。俺は応援してくれるあなたたちのために、鹿島の3番のユニフォームを着てくれている人たちのために、と思えたんです」

――プロ選手は、サポーターの想いを背負ってプレーしなくてはいけないということを実感したのではないでしょうか?

「そうですね。厳しい声を非難と受け取れば、ただただ苦しいだけです。でも、その声も僕が結果を残せば、称賛に変えられる。だから、『今に見ていろ』というふうに考えれば、厳しい指摘も力に変えられる。当時は自信も経験もないから、周囲の声を気にしすぎて、惑わされてしまったけれど、徐々にそういう声が気にならなくなったんです」

――周囲の声の厳しさが、「鹿島の背番号3」を育てたのかもしれませんね。

「そういうことなんでしょうね。とにかくメンタルが鍛えられました。『僕は僕のやり方』で闘うだけだと開き直れたんです」








――その年、ナビスコカップ(現ルヴァンカップ)で優勝。翌2016シーズンはファーストステージで優勝し、チャンピオンシップも戦い抜いてJリーグ王者に。その後、クラブW杯準優勝、天皇杯優勝と結果を出せました。

「チャンピオンシップは大きな自信を与えてくれました。タイトルを獲得することで、鹿島の一員としての務めを果たせた。その勢いがあったからこそのクラブW杯や天皇杯だったと思っています」

――あと一歩のところでタイトルを逃した2017シーズンを経て、向かえた今季は、ロシアW杯にも出場。W杯では、大迫勇也選手、柴崎岳選手、昌子選手とセンターラインに鹿島の選手が並びました。

「実はそういうふうに考えることはなかったんです。とにかく、無我夢中だったから。あとから言われて、なるほどなという感じで(笑)」

――W杯後は、足首を痛めて長期離脱することになってしまいました。

「2013年の膝の負傷以降、初めての大きな怪我でした。あのときはレギュラー目前としての離脱でした。大樹さんには『今じゃないということ。またチャンスは来る』と言われたんですが、今回もとにかく焦らず、リハビリに集中しようと思いました。チームには迷惑をかけているけれど、次のチャンスを待つんだという気持ちで開き直れた」

――昌子選手はよく『失点することで成長できる』と口にしますが、それもまた開き直るという強さなんだと感じます。

「最初は強がっている部分もあったかもしれませんが、それが事実であることも確か。(大岩)剛さんからもずっと『失点に絡まないセンターバックはいないし、失点に絡まないセンターバックはセンターバックじゃない』と言われていた。だからこそ、失点を無駄にしない成長をしなければいけないと」

――危険な場所を察知できているから、失点にも絡みやすい。失点を恐れて何もしないのは、センターバックではないということですね。

「だと思います。そう考えて、切り替えるためのタフさが身についたからこそ、そういうふうに言葉にできると思うので、メンタルが強くなったんですよね。ACLの水原三星戦(準決勝セカンドレグ)でもし勝ち上がれなかったら、ひどく落ち込んだと思います。でも、同点にして決勝へ行けたことは、本当に感謝しています」

――失点にも心が折れない。その姿勢が鹿島のセンターバック、背番号3を成長させる。

「チームメイトや監督は今まで俺がやってきたことを知っている。たとえプレーの精度が悪くても、声を出せるとか、カツを入れるとか、そういう今までに築き上げたものがあるから、信頼を得られるんだと考えています。たとえば1試合だけいいプレーができても、それだけで信頼は手にできない。ピッチでチームのために貢献し続けてきたからこそ、信頼を得られる選手になれる。その信頼が自信になるんです。だから、もう今では周囲に何を言われても動じないようになりました」

――背番号3は一朝一夕では生まれないということですね。

「はい。時間をかけてじっくりとこのチームに馴染み、どっしり構えて、いい時も悪い時も堂々としているのが鹿島のセンターバックだなと思っています。最近、篤人さんに『源がそこにいるだけで、チームの力になる。相手に圧をかけられる』と言ってもらえました。(三竿)健斗からも、『いてくれるだけで、安心できる』とも。うれしかったですね」

――鹿島のディフェンダーの魂とは?

「最初はなんかピンとこなかったし、今も簡単に言葉で説明するのは難しい。でも、声を出すとか、最後の苦しいときに一番身体を張っているとか。そういうところなんだと感じています。控えにいる選手のなかには、『源くんよりも俺のほうがいいのに』と思う選手もいるかもしれない。でも僕が得た信頼は、僕が築いてきたものだから。実績を積むことで存在感や信頼感が増し、初めて、”鹿島のセンターバック”なんだと思います」

侍ジャパンの名遊撃手たちが見た「メッツの新生・ロサリオの守備力」

2018年11月17日 07:35 webスポルティーバ

 日米野球でMLBオールスターチームは、ロナルド・アクーニャJr.(アトランタ・ブレーブス)やフアン・ソト(ワシントン・ナショナルズ)を筆頭に、将来のスーパースター候補たちが顔を並べた。そのなかのひとり、アメド・ロサリオ(ニューヨーク・メッツ)もまた、将来を嘱望された内野手である。




日米野球でもダイナミックなプレーでファンを魅了したアメド・ロサリオ



 2017年にメジャー昇格を果たし、今季はショートのレギュラーとして154試合に出場。打率.256、9本塁打、51打点、24盗塁の成績を残した。あるメジャーのチーム関係者はロサリオの将来性について次のように語る。



「年齢も若く(22歳)、身長もある(188センチ)。これから体は大きくなるだろうし、今まで以上にパワフルなバッティングが期待できる。大型遊撃手だけど、身のこなしが軽やかで守備範囲も広い。どこまで成長するのか、本当に楽しみな選手です」



 今回の日米野球でも、ロサリオは4試合に出場し17打数8安打(打率.471)、1本塁打。第5戦では甲斐拓也(ソフトバンク)から盗塁も決めるなど、「さすが」の活躍を見せた。



 日米野球開幕の直前、アリゾナ・ダイヤモンドバックスで顧問を務める小島圭市氏がロサリオについてこんな話をしていた。



「バッティングも守備もまだ粗いですが、これから経験を積んでいけば確実性も出てくるでしょうし、メジャーを代表するショートストップになるかもしれない。とくに守備は現時点でも見るべきところがあり、身体能力を生かした動きは誰でも真似できるようなものではありません。現在、メッツが低迷しているため大きく脚光を浴びることはありませんが、素材は一級品。2、3年後、どんな選手になっているのか注目しています」



 はたして、このロサリオを侍ジャパンのメンバーはどう見たのか。今シーズン、遊撃手としてセ・リーグのゴールデングラブ賞に輝いた田中広輔(広島)は言う。

「動きがダイナミックで、リズムでボールを捕っている感じがします。それに手足も長く、体も柔らかいので、僕らがギリギリ追いつきそうな球でも簡単に捕ってしまう。打球に追いつくまでのスピードが速いですよね。数試合しか見ていないので詳しいところまではわかりませんが、彼の動きを見ていていいショートだなというのは確信しました」



 同じくパ・リーグの遊撃手としてゴールデングラブ賞に輝いた源田壮亮も続く。



「グラブさばきに関しては、普段はもっと確実にやっていると思うのですが、おそらく見せようとしていたのかな……と(笑)。ただ、ダッシュ力であったり、守備範囲の広さであったり、肩の強さであったり、そういう部分は僕らがいくら鍛えても追いつけないというか、身体能力の高さを感じます。シーズン中にどんなプレーをするのか見てみたいですね」



 そして現役時代に7度のゴールデングラブ賞に輝いた侍ジャパンの井端弘和守備・走塁コーチの見方はこうだ。



「ロサリオに限らず、守備の確実性という部分では、正直、日本の選手の方が上だと思いました。ボールの捕り方、送球の正確性など、日本の選手の方が安定しているかなと。ただ、これはあくまで確実にアウトにできる範囲の話であって、ヒット性の当たりをアウトにしたり、難しい打球をゲッツーにしたりするのはメジャーの選手の方が長けていると思います。ロサリオの印象は、スピード感がありますよね。前後左右の動きがリズミカルで、ボールへの到達が速い。これに確実性が加われば、すごいショートになると思います」



 今回、来日したMLBメンバーで名実ともにスーパースターと呼べるのはヤディアー・モリーナぐらい。だが数年後、「あの選手も日本に来ていたのか……」となっている可能性はある。そしてそのなかに「あのロサリオも……」となるのかどうか。なかなかテレビで見る機会は少ないかもしれないが、ロサリオのプレーは今後も要注目である。