cat_oa-rp24814_issue_0c5124588214 oa-rp24814_0_0c5124588214_ナルシシズムという病に抗う ――モメラス『反復と循環に付随するぼんやりの冒険』劇評 0c5124588214

ナルシシズムという病に抗う ――モメラス『反復と循環に付随するぼんやりの冒険』劇評

2018年10月31日 13:24 note(ノート)

第62回岸田國士戯曲賞にノミネートされた松村翔子が主宰する演劇ユニット、モメラス。新作『反復と循環に付随するぼんやりの冒険』を、9月20日から24日まで北千住BUoYで上演しました。
「あなたにとってお金とは何ですか?」という問いをテーマにした本作品。『悲劇喜劇』11月号(10月6日発売)より「演劇時評」の評者を担当している堀切克洋氏が読み解きます。 (冒頭写真撮影:月館森)
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 本作は、「鳥の劇場」による若手演劇人のためのバックアップを得てつくられた同名の作品がもとになっている。初演は2018年1月だが、これに加筆・修正を施して上演されたのが、東京ヴァージョンだ。北千住BUoYという、コンクリート剥き出しの冷ややかな小空間が寄与するところも大きいが、テーマ、劇作術、俳優の身体性、舞台空間が一体となっているという点にまず、劇作家/演出家としての松村翔子(1984年生まれ)の鋭い問題意識が感じられる作品だ。
◎〈典型〉を紡ぎ出す

【撮影:月館森】
 この長いタイトルの作品は少なくとも表面上、「お金とはなにか」という問いをテーマとしている。モメラスはこの作品のために、演出家と俳優が実際に街へ出て1,000人へのインタビューを行った。劇中では、いわゆる「幕間劇」としてこれらのインタビューの一部が、さまざまな演劇的仕掛けをともなって――たとえば、舞台上の俳優がインタビュアーとして映像に現れたりしながら――用いられるが、街のひとびとは「命の次に大切なもの」だ、「誇り」だといった具合に、つぎつぎと紋切型の回答を重ねていく。
https://www.youtube.com/watch?v=utOBJ9BMBIg
 ただしこの作品は、いわゆる「ドキュメンタリー演劇」ではない。舞台上では、このようなインタビューという作業をもとに、8人の登場人物――「不妊症の主婦」「美容整形にはまるOL」「銀行ローンの受付担当の派遣社員」「仮想通貨に夢中のデイトレーダー」「空想の日記をつける国語教師」「性自認に苦しむ中学生」「定住できないデリヘル嬢」「偽札を作る芸術家」――がみずからの生活を語っていく。
 これら8人の登場人物たちはいずれも、現代社会の宿痾が局所的に発現したような〈典型〉としての人物像であり、これらの極端な人物たちが少しずつ交錯しあうところに、まずは劇作としての面白さがあるといえるだろう。わたしは、社会学者・岸政彦が街の片隅で生きる人々の肉声を収めた『街の人生』(勁草書房、2014年)のことを思い出した。この本の最後に登場する「西成のおっちゃん」のセリフなどは、そのまま一人芝居にしてもいいほどだ。
◎ふたつの発話形式

【撮影:月館森】
 『反復と循環に付随するぼんやりの冒険』の人物たちは、形式的にいえば、ふたつのパターンに分けることができる。ひとつは、観客に向かって自身の考えを半ば挑発的に披瀝する人物たち。もうひとつは、会話を通じて社会に対する疑問を少しずつあらわにしていく人物たちである。後者に括られるのは、「性自認に苦しむ中学生の女の子」(山中志歩)や「偽札を作る芸術家」(黒川武彦)だ。舞台上にはマイクが用意されているが、彼らがマイク・パフォーマンスに興じることはない。
 逆に、観客に対して直接的な主張を投げかけるのは、「仮想通貨に夢中のデイトレーダー」(海津忠)や「銀行の高金利ローンの受付担当の派遣社員」(曽田明宏)だ。たとえば序盤で、上下ともに白い服を身にまとったデイトレーダーは、軽薄な口調で「金とはなにか」という自身の考えを滔々と観客に向かって語りだす。「金はエロい、でもエロすぎるから警戒しちゃう」「ビットコイン、あいつはド淫乱だぜ」と、通貨を性愛のメタファーとしてを語るこの男には、よく映る鏡のセールスという怪しい本職があるらしいのだが、自身の姿を映し出す「鏡」は、この作品のライトモチーフになっており、舞台では小道具としていくつかの額縁が鏡に見立てられて用いられている。
 このデイトレーダーが仕事の合間に呼び出すデリヘル嬢の“らっこ”(井神沙恵)は、作品のなかでも重要な役回りだ。ヒョウ柄のコートに、ジーンズのホットパンツ、ド派手なカラータイツを身にまとっている若い女性として単に悪目立ちをしているだけではない。彼女は終盤で、暗闇に包まれた客席の後方からそっと姿をあらわし、「お金はチンコだ、お金は精液の味がする」と自身の意見を述べて観客を挑発するというポジションでもある。
 良識がありすぎる読者のために記しておけば、ヘルスという職種のセックスワーカーである彼女は、口と手と性器を使って男性客のペニスを高揚させ、射精させることによって「健康」を増進させることの対価として賃金を得ているわけで、しかも客から受けとる二万円のうち半分は店に収めなければならないという過酷さをさらりと語ってもいる。そして終幕で、幼少期の性的虐待の経験を告白する彼女は、その体験とセックスワーカーとして働いていることに「因果関係はない」といった直後に「いや、ある」と吐き捨て、観客の単純な判断を退けようとする。
◎挑発する知性

【撮影:月館森】
 “らっこ”が缶チューハイ片手に酔いつぶれているのを公園で発見し、やがて会話をもつようになるのが、「性自認に苦しむ中学生の女の子」の“歩”(山中志歩)だ。このジャージ姿の「少女」は、性的志向で苦しむレズビアン・ゲイ・バイセクシャル(LGB)とは異なり、性自認(性に関する自己認識)において苦しむトランスジェンダー(T)である。
 最近では、ランドセルの色は自由に選べるようになったし、街中のトイレなどでも青/赤と色分けすることは減ってきたが、それでもなお、日本の学校生活は男子/女子の区分にもとづいており、その最たるものは制服である。トランスジェンダーには、性自認が生物学的な性と一致しない性同一性障害もあれば、既存の性別区分の中に自らの性別を見いだせないというケースもある。思春期の子供たちのなかには、性的アイデンティティの揺れのなかでもがき苦しんでいる子たちも多い。
 この作品中の“歩”は、制服を着ることに不快感を抱いており、またクラスメイトの無理解にも辟易している。口先を尖らせてたどたどしく喋る山中の「演技」は、この子供が社会と接点を失う寸前にいるかのようにも見える。“歩”は、公園で小枝を拾っては、それを捨てるという動作をひたすら反復しているのだ。もっとも、いちどは「空想の日記をつける教師」(西山真来)に説得されて学校に行こうとしたものの、なにものにも縛られずに生きることを是とする“らっこ”に、その姿の「醜さ」を指摘され、やはり学校に行くことを断念してしまう。
 ただし、本作は「お金とはなにか」という問いをテーマにしながらも、この中学生の“歩”に関していえば、貨幣経済の外部へと置かれた存在であるがゆえに、必ずしもその筋にはコミットしていない。だからこそ、この中学生という異質な存在が、“らっこ”の一言を受けて制服を着ることを断念したのちに、公園で偶然すれちがった「偽札を作る芸術家」から受け取った偽札をマンションの屋上からばら撒くという場面は、予定調和を巧みに逃れた、約100分の上演時間のなかでもっとも美しいシーンである。
 登場人物どうしを巧みに交錯させて面白い話をつくるだけであれば、ウェルメイド劇の延長にすぎない。が、冒頭に記したように、本作では〈典型〉としての人間がグロテスクに描かれており、しかもところどころに差し挟まれるエピソードに、知的なスパイスが効いていることも観客を引きつける要因のひとつだ。
 “らっこ”が唐突に中原中也の詩を口ずさんだり、デイトレーダーが台湾の大富豪の「名言」を引用してみせたり、あるいは怪しい芸術家とOLが、偽札防止のための技術を滔々と列挙していったりする――といったさりげないセリフは、直接的な筋でないにせよ、間違いなく、登場人物たちの知性と、描かれる社会に十分な奥行きを与えていると言っていい。
◎もうひとつの「ぼんやり」

【撮影:月館森】
 この作品は「お金とはなにか」という問いをテーマにしながらも、何らかの「答え」を提示しようという性質のものではない。もし答えらしきものがあるとすれば、それは、タイトルでも暗示されているとおり、お金とは「ぼんやり」している(=よくわからない)ものだ、というものである。
 冷戦が終わって、資本主義に呑み込まれてしまった1990年代以降の社会では、その「外部」を夢想すること――浅田彰的にいえば「逃走」すること――が、ほとんど不可能になっており、少なくとも都市部で生活する以上は、お金は絶対的に必要である。1960年代に夢想された自然崇拝的遊牧生活は、今日では時代遅れのユートピアにすぎず、わたしたちを十分に救ってはくれない。
 しかも、逃走が不可能なのは「お金」だけでない。もうひとつの「ぼんやり」としているもの――すなわち、〈わたし〉からの逃れがたさを重ね合わせたところに、この作品の大きな主題がある。つまり、「お金とはなにか」という経済学的な問いを、「わたしとはなにか」という哲学的な問いへとズラして重ね合わせたところが、本作のポイントだろう。
 「性自認に悩む中学生」である“歩”は、貨幣経済の外部に位置しているという点で例外的な存在だが、しかし「わたしとはなにか」という問いを正面から抱え込んでいるという点では、きわめて中心的な登場人物なのである。
同様にして、セミロング、白ブラウス、タイトスカートといういたってフェミニンな出で立ちのOLは、「顔のない無様なわたし」という自己認識を抱いていて、給料のほとんどを美容整形につぎ込んでいる。不登校の中学生が通う学校の国語教師は、得体の知れない疲れを慢性的に感じていて、食べ物を変えれば身体=精神は変わるはずだと、ヴィーガン生活を開始する。不妊症の主婦は、すでに不妊治療に400万円もつぎ込んで心身ともに疲労している。
 彼女たちはいずれも、自身の苦悩を他人に明かすことができない。というのも、苦しみの根源は、社会的通念と自己認識のあいだに生まれる「イメージの乖離」によるものだからである。社会的標準から著しく劣っている/ズレているという自己認識が、かえって自己イメージを美化しなければならないという強迫観念へと転化する。彼女たちは、虚構のセルフ・イメージのなかへと「逃走」を図ろうとするのだ。
◎セルフ・イメージという病

【撮影:月館森】
 このような循環的なナルシシズムは、SNSへの依存や、自己PRを求められる就活中の大学生などにも言えることだろう。それらを「病理」として第三者が非難することは、じつに容易いことだが、しかし当事者たちにとっては「逃走/闘争せよ」と言われたところで、「逃げ場がない」のである。
 したがって、「逃走」を「闘争」と読み替えようとする“らっこ”は、ある面においては「時代遅れ」の戦略家である。なぜなら、そのような「戦略」が、資本の餌食になるという悲劇を招き、さらには常態化させてきたことを平成の終わりに生きるわたしたちは知っているわけで、そのような仕方で「本当の自由」が獲得できるとは思われないからである。だからこそ、観客の「憐れみ」のまなざしに抗うように、彼女はあえて過去を語り、煙に巻こうとする。
 しかし、「本当の自由」など、「本当」にあるのだろうか? 
 少なくとも、8人の人物たちが織りなすこの「物語」は、個人的な苦悩の要因を「個人の生」に還元することを求めない。わかりやすくいえば、心理にもとづく近代劇的な発想などとはほど遠く、もはや「個人の自由」などが最初から諦められているようにさえ見える。
 むしろ、この作品がわたしたちに問いかけるのは、現代社会における息苦しさ、あるいは居心地の悪さの原因が、ひとつは(世界)経済に、もうひとつはナルシシズムにあるのではないか、ということである。「個人」を軸に考えれば、世界経済とはそこから(一見すると)最も遠いもので、自己イメージとは最も個人的で秘匿的な部分であろう。
 仮にも、前者を下部構造、後者を上部構造と呼ぶならば、かつてマルクスが語った通り、両者はかならずしも因果関係によって説明できるものではない。本作中に、大富豪とみなしうる人物は登場しないが、基本的には経済活動に関与していない中学生から、投資というゲームに悦楽を感じているデイトレーダーまで、描かれる階層はさまざまだ。しかし彼らは「平等」に病んでいるように見えるのである。
◎現代版「青い鳥」として

【撮影:月館森】
 平成が終焉を迎えることになっている2019年は、消費税が導入されて30年という節目の年でもある。現政権は、三度目の正直で、来年10月には必ず増税することを確約したが、「異次元の金融緩和」も功を奏せず、日本は先進国で唯一、賃金も物価も下落し続けるデフレ基調であることに変化はない。実質賃金も実質消費も下がりつづけている。消費税増税をすれば、過去の事例と同様に、税収がむしろ減るのではないか、という懸念も強い。選挙のことも考慮に入れれば、三度目の延期もありうるだろう。
 なぜ所得税や法人税ではなく消費税を引き上げるのかという問いに対して、財務省が語っているのは、「消費税は税収が経済動向に左右されにくく安定した税」ということだけである。もっとも、人も企業も所得税率が高い国から低い国へと流動してゆく現在の世界では、税制改革=法人税減税が「トレンド」になっており、最たるものはトランプ政権である。2017年12月には、法人税を35%から21%減らすための法案が可決され、好景気を維持している。
 しかし、この世界的流行をもって法人税を下げるべく消費税を上げなければならないと国が考えるなら、少なくとも景気が良くなるまで、しばらく人々は息苦しさを感じながら生活をつづけなければならないだろう。生活保護費が削減され、高額医療費の保健除外が検討され、水道民営化が本格的に動きだしているなかで、この息苦しさから解放される日は「本当」に来るのだろうか?
 奇妙なことに、税収をつかさどる財務省やトリクルダウンを信じる政治家たちと、暮らしを豊かにしたいと願う一般市民のあいだには、ひとつの幻想が共有されている。それは、お金があれば幸せになれるはずだ、というものだ。そのことは、冒頭の1000人インタビューからも理解されるだろう。
しかし、人間が求めているのは、お金ではなく「幸せ」のはずである。この「お金=幸せ」をめぐる冒険は、メーテルランクの「青い鳥」の世界そのものではないか。
 幸福はもはや、世界経済の動向から切り離すことはできない。たしかに財務省の言うとおりで、景気が悪くなれば、法人税や所得税に依存してきた税収は目に見えて減るのだから、現在のままでいいと開き直るのはリスキーではある。しかし、消費税の逆進性が十分に緩和されないまま増税に踏み切るのならば、それは「青くない鳥」を「いずれ青くなるから」とうそぶいて大量に放っているようなものだ。わたしたちは、このフェイクの鳥たちからどうやって「逃走/闘争」すればよいのだろう。
 ひとつの答えは、「お金=幸せ」という等式がもってきたファンタスムを断ち切ることだろう。もちろん、ヒッピー的な原=共同体への回帰とは、まったく異なる仕方によって。
 あらゆる国民は、「健康で文化的な最低限度の生活を営む」権利を有している。生存権が脅かされるようなことがあれば是正されなければならないが、現代ではさらにセルフ・イメージの桎梏という新しい苦悩の種がここに加わる。
 事実として、性的にも、宗教的にも、文化的にも、階層的にも、障害や病気の有無についても、さまざまな人々が暮らしているというのに、案外、わたしたちは自分以外のことを知らない。社会を構成する人々が出会い、その多様性を可視化するという作業は、たとえば世田谷パブリックシアターの最近の仕事にも見られるように、劇場が担うべき重要な役割のひとつだろう。
中学生の“歩”によってマンションの屋上からバラ撒かれた大量の偽札。これが「最も美しい」シーンであることは、すでに述べた通りだ。
 爆音のパンクロックをヘッドフォンから流し込んで「耳から世界との断絶を図る」派遣社員は、満員電車のなかから、それを一瞬だけ目撃する。「不妊症の主婦」は、偶然そこを通りかかって偽札を拾う。さまざまな偶然が積み重なって街から降ってくる偽札が、彼らを息苦しさからほんのすこしだけ、解放してくれる。
 ここで描かれる「お金」は、交換価値とはまったくべつの価値が与えられ、わたしたちが探すべき「幸せ=青い鳥」の在処を暗示してくれているように見える。

堀切克洋(ほりきり・かつひろ)1983年、福島県生まれ。東京大学大学院総合文化研究科博士課程単位取得退学。専門はアントナン・アルトー研究、舞台芸術論、表象文化論。2016年7月より「日本経済新聞」夕刊劇評担当。俳人としても活動し、2017年第8回「北斗賞」受賞。共訳に『ヤン・ファーブルの世界』(論創社、2010)、上田洋子・内田健介・永田靖編『歌舞伎と革命ロシア』(森話社、2017)、共著に毛利三彌・立木燁子編『北欧の舞台芸術』(三元社、2011)、共同執筆に大笹吉雄他編『日本戯曲大事典』(白水社、2016)など。『悲劇喜劇』2018年11月号から「演劇時評」の評者を担当。2018年9月に第一句集『尺蠖の道』(文學の森)を刊行。
[今後の予定]近刊としてパスカル・キニャール『ダンスの起源』(パトリック・ドゥヴォス、桑田光平と共訳、水声社)、アンヌ・ユベルスフェルド『ポール・クローデル』(中條忍監修、根岸徹郎・大出敦らと共訳、水声社)など。
モメラス 2013年10月結成。劇作・演出の松村翔子、俳優の井神沙恵、黒川武彦、上蓑佳代による演劇ユニット。ユニット名はルイス・キャロル『ジャバウォックの詩』に登場する架空の生き物に由来する。現代口語演劇の写実的な世界観を保ちつつ、時空の異なる物語がパラレルに進み、異質なもの同士を混在させる作風が特徴。     https://momerathsinfo.tumblr.com/

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成功しているのに本当ではないと感じる

2019年3月24日 06:00 note(ノート)

周りからは成功者だと思われているのに,自分ではとてもそうは思えない場合や,いつもそう思ってしまいがちな人がいるようです。
それは,単に謙遜しているだけというわけでもないのです。自分には価値がなく,何も成し遂げておらず,劣った人間だと感じてしまうことがあるのです。客観的に見てみれば,十分に成功しているように見えますし,たとえば平均的な学歴からすれば十分に上位にいたり,平均的な収入から考えれば十分に高かったり,何か特殊な技能を持っていたりすると言えるのに,です。
自分自身の認識というのは,時に少々厄介なことになってしまうようです。
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成功が本当ではないと思ってしまう人このようなことを思ってしまう人には,何か特徴があるのでしょうか。
まず,成功してもなかなかそれを自分に原因があると考えることができない傾向を挙げることができます。成功したのは自分に能力があったからだとか,自分が頑張ったからだと考えることを内的な原因帰属といいます。それに対して,うまくいったのは運が良かったからだとか,巡り合わせだとか,そういう運命だからとか,自分以外に原因を求めることを外的な原因帰属といいます。自分の何かが成功に結びついたわけではないと強く感じることが,成功が本物ではないと感じるひとつの要素になるというわけです。
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また,自分の能力に自信を持つことができない人も,成功に疑念を抱きやすいようです。うまくいった結果に能力が関与していないと考えると,「今回うまくいったことはたまたまそうなっただけで,次はダメなのではないか」と感じてしまいがちですので,今の成功が本物だとは思えなくなってしまうのかもしれません。
それから,「自分の能力のなさが見破られてしまうのではないか」という不安を抱える傾向を,特徴として挙げることができます。ここまで書いたように,今の成功が自分の能力のためではなくたまたま,偶然だと考えるのですから,「今は持ち上げてくれるけれど,いつか周囲もそのことに気づくのではないか」と不安になってしまうということです。
最後に,自分に高いハードルを課してしまう傾向です。何か課題を行うときに,何をもって成功とみとめるかは人によって異なります。学力試験をしても,ある人は「100点を取らないと失敗」と考えますし,別の人は「70点くらい取ればいい」と考えます。それは,その人のこれまでの状況にもよりますし,その人のものごとの捉え方にも影響を受けます。高いハードルは「失敗した」と感じる確率を高めてしまいますので,「いつもうまくいかない」と考えてしまうことにつながるというわけです。
CiNii 論文 - インポスター現象研究の概観インポスター現象研究の概観 藤江 里衣子 名古屋大学大学院教育発達科学研究科紀要 心理発達科学 56, 29-38, 20ci.nii.ac.jp
インポスター“imposter”という単語は「詐欺師」とか「偽者」という意味です。誰かになりすましたり,入れ替わったりする人物を,インポスターと呼びます(意図的な場合も非意図的な場合もあります)。
英語版Wikipediaには,歴史上確認されたインポスターたちのリストがあります。「自分は○○である」「自分は○○の子どもだ」「冒険家だ」「政治家だ」など(でも事実とは異なっていることが判明している),これまでの歴史の中にはさまざまなパターンのインポスターが登場しています。

List of impostors - Wikipediaen.wikipedia.org

インポスター現象

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ずっと隠してたオタク部屋に初めて彼女を入れた話 (新古書ファイター真吾 No.54)

2019年3月24日 05:38 note(ノート)
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WAKUWAKUたのしいかるた(改)

2019年3月24日 00:46 note(ノート)





























































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2019年3月24日 00:17 note(ノート)
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よはくのモンスター

2019年3月23日 17:12 note(ノート)
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自分らしく本を選ぶ

2019年3月23日 06:09 note(ノート)

こんにちは。2015年11月に神奈川県横浜市から鳥取県に引っ越した笹尾達也 (@TATSUYASASAO) です。
自分らしい買い物自分らしい買い物が出来た時、とても嬉しいですよね。数ある商品の中から、自分が必要としているモノや商品を買う時、自分は『自分らしさ』を大事に意識して買い物をします。特に書籍、洋服、音楽、雑貨などは。
古書(古本)を読む愉しみ 書店を訪ねて | TATSUYA SASAO鳥取からこんにちは。笹尾達也(@TATSUYASASAO)です。 ここ最近、本を読みたくて、 大倉山の「BOOK APARtatsuyasasao.com
好きな書店を訪ねて、本(新刊本、古本を問わず)を買うことが好きです。本を数多く買うわけでも、プレミアのついた本を買うコレクターというわけではないですが、自分なりに自分らしく本を買うのが好きなのです。

自分は読みたい本を買いたいと本を探すのはもちろんですが、棚に置かれている本に『自分らしさ』を探したりもしています。
白い表紙の雑誌
先日、鳥取県の湯梨浜町にある汽水空港さんという本屋さんを訪ねました。店内の本の中で、ピンとくる買いたい本を探すのは、本当に宝探しのようで楽しいです。お店の中をゆっくりまわって、目に止まったのは、白い表紙の二冊の古雑誌でした。発行された年も違うのですが、その二冊の組み合わせもしっくりきたのでした。
古本屋さんの買取を経て残した本に囲まれて
自宅に今ある本は、今まで自分が購入した本の中から、古本屋さんに不要な本を何回に分けて買取してもらって、手元に残った大好きな本ばかりです。自分が選んだ自分らしい本に囲まれているととても幸せです。
自分の小さな本棚 【楽天市場】キューブボックス 木箱 ボックス 収納 什器 シェルフ ディスプレイラック ルーター Sサイズ 本棚 収納ボックス ブックシェルフ 文庫本 雑誌 文芸書 新書 CD DVD BD 整理:イエノLabo.収納 什器 シェルフ ディスプレイラック ルーター Sサイズ 本棚 収納ボックス。キューブボックス 木箱 ボックス 収納item.rakuten.co.jp
自宅の自分の部屋には、本棚がいくつかありますが、最近、本を収納するのに楽天で見つけたのは、小さな木箱です。新しい本棚を探している時に見つけました。ひとつ980円税込で、合板でできています。文庫本、文芸書、新書が収納できて、縦に置くと雑誌が収納できます。自分は、設置場所に合わせて、6つ買いました。それら6つの木箱を置いたスペースには、自分の持っている本の中からさらに選んだお気に入りの本ばかりを並べています。
自分らしさを大事にした自分の本棚を置いた場所は、何より代え難い自分の場所です。これからも少しずつ本を買い足して居心地の良いささやかかな場所を大事にしていきたいです。
今日は、この辺で。それでは、また!

外部リンク

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【イチローみたいな定年】

2019年3月22日 23:04 note(ノート)


【イチローみたいな定年】1





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【イチローみたいな定年】3





【イチローみたいな定年】4





【イチローみたいな定年】5





【イチローみたいな定年】6





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せいろのフタって中華のあれね

2019年3月22日 20:56 note(ノート)
cat_oa-rp24814_issue_0c5124588214 oa-rp24814_0_e61a2c58614d_北欧1人旅を通して色々考えたこと e61a2c58614d

北欧1人旅を通して色々考えたこと

2019年3月22日 18:50 note(ノート)

3月後半に入り暖かくなってきた頃、僕はスウェーデンとフィンランドを回る約1週間の旅に出た。旅の目的は色々あるが、1番は「一人で色んなものを自分の眼で見たかった」が大きかった。
約1週間の短期旅行だったが、色々なことを考える良いきっかけになったので振り返り&備忘録としてここにまとめておく。
全ての意思決定は全て自分に委ねられている

帰りの航空券がトラブルによって乗り継ぎが出来なくなり、別のフライトを急いで探したり、道中インターネットに繋がらなくなって拙い英語で必死に道を聞き回ったり、知り合った科学者のスウェーデン人と一緒にディナーを摂ったり、旅は非日常の連続だった。
この非日常の中で、僕は全ての意思決定を全て自分で行うことができる。「何を当たり前のことを」と思われるかもしれないが、普段会社員として働いている自分にとっては、改めてそう考えるきっかけになった。日程を変えてもいい、行き先を変えてもいい、何なら帰りの航空券の行き先すら変えてもいいのだ。
日頃いかに自分の行動や考えがルーチン化されているという実感を覚えた。日常の波に揉まれて、坦々と作業に取り組むのはもったいない。だからこそ全ての意思決定は自分に委ねられている、そんな当たり前を大事にしたいと思った。
生活圏に浸透するテクノロジー

屋台で売っていたこの20SEKのホットドッグ。ウィンナーとパンのバランスがおかしい、このホットドッグもクレジットカードで購入した。スウェーデンとフィンランドはキャッシュレス大国であり、屋外の有料トイレですらクレジットカードで支払いを済ませることができる。
現に今回の旅では1円も現金を使うことがなかった。クレジットカードで支払いを済ませる方が手間や、お釣りの間違いといったミスが発生しない。自分にとってはまるで天国だった。これから日本でもQRコードやアプリケーションによる決済は更に普及するが、まだまだ時間が掛かるだろう...。
テクノロジーの浸透は時間が掛かるものだ。その時間の中で、人々は知識やリテラシーを身に着け進歩する。潮流の流れを俯瞰して見れた良い経験になった。この分野に関して、次は中国を訪れてみたいと思う。(深センとか)
日本という国にたまたま住んでいる感覚

海外に渡航したのは初めてではない。だが帰国してから妙な感覚を覚えた。それは日本という国に自分はたまたま住んでいるという感覚だ。
日本は島国である以上、他の国との交流が盛んな訳ではない。それに加えて「日本」は別に海外から特別な印象を持たれているわけではない、ただの国だ。夕食を共にしたスウェーデン人に日本に来たことある?と聞いたら、「無い、行く理由も特に思いつかないし」と返されたのは、面白かった。
日本は確かに母国だが、日本→外国というイメージから、日本もまた沢山ある国の1つであるという考えを持った。自分は一時的にたまたま日本に住んでいる、というこの変な感覚を今は少し大事にしたい。
やりたいことをやりたいようにやればいい

旅はあっという間に終わってしまった。20代の残り5年間もすぐ終わり、あっという間に30歳になるだろう。その先の時間はもっともっと早く過ぎてしまう。そんなことをぼんやりお風呂に入りながら考えていた。
「落ち着いたら」とか「ある程度キリが良いタイミング」とかで、やりたいことを先延ばしにするほど、人間の一生は長くない。だからこそやりたいことがあるなら、真っ先に行動を移すべきだ。思い立ったが吉日、良い言葉である。
この短い一生の中で、
1.やりたいことをやる
2.会いたい人に会う
3.そばに居たい人のそばに居る。

この3つは改めて大事にしたい。自分を大切にしてくれる人を、自分も大切にしたいなと思う。
最後に気に入っている旅行中の写真を投下しよう。次は夏ぐらいに旅に出たい。

外部リンク