スーザン・B・アンソニー、女性の参政権運動の活動家。
女性の参政権提唱の他に、アンソニーは奴隷制度の廃止と女性の労働権に関しても、大規模な運動に参加した。
クララ・バートン、南北戦争の時の看護婦でアメリカ赤十字の設立者。
バートンはアメリカ南北戦争中にバージニア州の前線にある病院を運営したなど、極めて重要な役割を果たした。1881年にはアメリカ赤十字を設立した。赤十字は現在も、世界中で人道救助を行っている。
ハリエット・タブマン、アメリカ奴隷解放運動家およびアメリカ南北戦争時の北軍武装スパイ。
タブマンは自身が逃亡奴隷であり、地下鉄道(奴隷亡命組織の秘密結社)を通して、何百もの奴隷の南部からの逃亡を助けた。南北戦争中は北軍の看護婦として働き、リスクを負いながらも、スパイとして活動した。これらの行動から、「人々のモーゼ」と呼ばれるようになった。
マリ・キュリー、女性初のノーベル賞受賞者(2回の受賞歴)
1903年、キュリーは放射能に関する研究でノーベル物理学賞を受賞し、1911年にはポロニウムとラジウムの研究で再びノーベル化学賞を受賞した。
ヘレン・ケラー、作家、活動家、そして聴覚と視覚の二重障害者としての初の文学士号取得者。
ケラーは障害者の権利や女性の参政権、そして妊娠中絶の自己決定権を提唱する影響力の強い女性だった。1980年のKellerの誕生100年を記念し、ジミー・カーター元米国大統領が6月27日をヘレン・ケラーの日としてペンシルベニア州の記念日に定めた。
サラ・ブリードラヴ、米国史上初の自力で億万長者になった女性。
黒人女性向け美容用品の製品を開発した後、ブリードラヴは大企業の起業家としてアメリカにおけるイノベーションの象徴としての位置を確立した。
アメリア・イアハート、大西洋を単独飛行で渡った女性初のパイロット
イアハートは米国からアイルランドまで15時間で渡り、新記録を立てた。1937年に赤道上世界一周に挑戦中に行方不明となった。
マーガレット・サンガー、産児制限を訴える活動家で「産児制限」という言葉を一般化させ、プランド・ペアレントフッドという医療サービスNGOを設立した。
1929年4月17日に撮影されたこの写真では、ボストンで産児制限について話することを禁じられたことに対する抗議として口を覆っている。サンガーが前もって用意していたスピーチを、ハーバード大学のアーサー・シュレジンジャー教授が読み上げ、サンガーは800人の聴衆の前の壇上で無言で立っていた。
マーガレット・バーク=ホワイト、米国初の女性従軍記者。
第二次大戦中、バーク=ホワイトは女性として初めて、戦闘地域への立ち入りを許可された。ドイツ軍がモスクワに侵攻してきた際、モスクワにいた唯一のフォトジャーナリストだった。1936年に、彼女の作品は史上初のLIFE誌のカバーとして掲載された。
ワレンチナ・テレシコワ、初めて宇宙を旅行した女性。
1963年6月16日、テレシコワはボストーク6号に乗り、宇宙へと飛び立った。70時間以上、宇宙に滞在し、48回軌道を周った。
インディラ・ガンディー、唯一のインドの女性首相。
1966年、ガンディーはインドで初の女性首相となった。インドで彼女に続く女性首相は、まだいない。1980年に再び首相に選ばれたが、1984年にボディーガードの2人に暗殺された。
田部井 淳子、エベレストに登った最初の女性。
1975年5月16日、田部井は、ネパールのエベレストの頂上に立った初めての女性となった。
マヤ・リン、アーティスト兼デザイナー兼ベトナム戦争戦没者慰霊碑の設計者
1982年11月13日に撮影されたこの写真では、当時23歳だったリンがベトナム戦争戦没者慰霊碑の除幕式に参加している。戦争記念碑デザインのコンペで選ばれた際、彼女は大学在学中の21歳だった。
マーガレット・サッチャー、女性初のイギリス首相。
1979年から1990年の間、イギリスの首相を務めた。任期が一番長い首相でもある。
ヒラリー・クリントン、アメリカの二大政党である民主党から指名を受けた、初の女性大統領候補。
ファーストレディーや政治家としてキャリアを積んだクリントンは、2016年7月28日に民主党による米国大統領候補指名を受諾した。
この記事は英語から翻訳・編集されました。