捨てられるはずの野菜をシート状にした「野菜シート」が有能すぎる

2018年3月19日 17:20 バズフィード

めちゃくちゃ「未来的」な野菜を発見した。

野菜がシート状になってるだと…!?
これは長崎県平戸市にある株式会社アイルが開発した「VEGHEET」(ベジート)という商品。
野菜をペーストにして乾燥させ、シート状に加工したもの。原料は野菜と寒天のみで、野菜の色味をそのまま活かした食材だという。

そして、これは人参と大根のベジート。

たしかに見るからに人参と大根の色をしている。

しかも捨てられるはずだった野菜が生き返る。

ベジートは形やサイズの違いで出荷されない「規格外の野菜」でできているため、生産者にも環境にもやさしい商品なのだという。
では実際の味はどうでしょうか? 食べてみた感触も気になります。

まずはそのまま食べてみた。

袋から出すと薄くてパリパリ。まるでスナック菓子のようです。食べてみると野菜の甘味がすごい!
そのままでもおやつ代わりに全然いける。野菜でできたシートなのでヘルシーだし、これはいい。

水で戻すと完全に野菜だ……!

水にさっと浸すと、まるで生春巻きのライスペーパーのように弾力がでてきます。
小さく畳んで食べると人参そのもの。

歯ごたえはもちもちとして生春巻きの皮みたい。
人参の甘みがすごいし、これは美味しい。

野菜嫌いの子どももこれならイケるのでは。

ひたすら折りたたんで食べる。これは大根味。大根そのままの味と香りがするが、甘みは増しているように感じる。
野菜嫌いの子どももこれなら食べられるんじゃないかと思った。

美味しく食べるレシピはこんな感じ。

出典: Instagram

人参のベジートを使った「ベジロール」。カロリーは約40kcalとのこと。見るからにヘルシーですね。

野菜オンリーのベジート巻。

出典: Instagram

大根のベジートで小松菜を巻いたものだそうです。すごく美味しそう。

パーティーにもぴったり。

出典: Instagram

ベジートを使ったベジロールパーティー。普通のライスペーパーよりもカラフルなのでパーティーにもぴったりですね。

で、これどこで売ってるの?

株式会社アイルによれば、3月16日から19日までイトーヨーカ堂大井町店で野菜シート(5枚入)が販売中。ニンジンとダイコンの2種で各350円です。

また長崎県平戸市のネット販売サイト「よかろ物産」でも手に入ります。

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トランスジェンダー女性がトラック運転手の仕事を選ぶ理由

2018年12月16日 21:01 バズフィード

ディアナ・ヴァッシャーは、トラック運転手という仕事を愛している。毎週、18輪トラックで3000マイル(約4828キロ)の距離を走っているが、その車内は心地よく過ごせるように改造してあり、キラキラ光るライトとピンク色の革製ハンドルカバーで彩られている。

「ドライバーはみんな、自分のトラックに名前をつけてる」とヴァッシャーは言う。「トラックはどの子も、女優みたいに気分屋なんだよ」

ヴァッシャーの愛車は、「グレタ、って感じ」なのだそうだ。

アメリカで働くトラック運転手の数は350万人に上る。その一人であるヴァッシャーは、冬の嵐の中も、夏の暑さの中も、過酷な11時間シフトのあいだずっと、アメリカ大陸を走り回っている。

トラックの運転は、多くの人たちが思っているより難しい。だからトラック運転手は、自分たちの仕事をほんとうに誇りに思っている。しかし、48歳のヴァッシャーにとって、トラックの運転には単なる仕事以上の意味がある。これは、トランスジェンダーでバイセクシュアルであることをオープンにしている彼女が、自分らしくいられる自由を与えてくれる仕事であり、ブルーカラーで高待遇という、数少ない職業のひとつなのだ。

「トランスジェンダーにとっては、理想的な仕事だと思う」と、ヴァッシャーは言う。「もし(トランスジェンダー女性が)自宅で女性として暮らすのが難しいのであれば、彼女たちをトラックに乗せればいい。そしたら自分の空間も持てるし、好きな服は着られるし、誰にも非難されたりしない。しかも、そうしている間にお金も稼げるんだから」(記事下のリンク先にて視聴できます)
米国のNPO団体「トランスジェンダーの平等を目指すナショナル・センター」(National Center for Transgender Equality)の調査によれば、職場環境の安全は、トランスジェンダーの人たちがもっとも懸念する点に挙げられることが多い。職場であからさまなハラスメントを受けたとか、差別されないように自分のジェンダーアイデンティティを隠している、といった回答は90%にのぼるという。

「家にいてウォルマートで働くより、トラックに乗っているほうが安全なんだ」と、ヴァッシャーは言う。そして、自分が男性シスジェンダーの同僚たちから一目置かれているのは、「トラックは誰でも運転できるもんじゃないから」だと言い添えた。

要は、ヴァッシャーの言葉を借りれば、トラックの中では「自分らしくいられる」ということだ。

運送業界におけるLGBTの数についての確かなデータはないのだが、自身も元女性トラックドライバーで、現在はペンシルバニア州にあるハバフォード大学でジェンダー研究を専門としているアン・バレイ教授は、トラック運転手をしているトランスジェンダーは近年増加していると主張する。

最近出版されたバレイ教授の著書『Semi Queer(セミトレーラー・クイア)』は、トランスジェンダーやクイアといったマイノリティであるトラック運転手たち66人のインタビューをまとめた詳細なエスノグラフィーだ。

調査を行う中でわかったのは、トランスジェンダーがトラックの運転という仕事に魅力を感じるのは、ある程度の安全があり(トラック運転手は独りで働く)、匿名性があり(トラック運転手は仲間とCB無線で通信する)、採用の際に差別されない(多くのトラック運転手は電話で採用される)からだということだ。

トランスジェンダーをはじめとするマイノリティのトラック運転手が増加している背景には、この業界で慢性的に運転手が不足していることもある。2016年から2017年にかけて長距離トラック運転手の数は1%減少した。これは、運転手が36000人減ったということだ。

これは、業界を支えてきた白人男性たちが引退する年齢になってきているからだと、全米トラック輸送協会(American Trucking Associations)の広報担当副会長、ショーン・マクナリーは言う。近年では運送会社も、資格持ちの運転手を探す場所を、「従来とは異なる」所にまで拡大しているという。

ヴァッシャーによれば、「会社は、こちらがパープルやピンク(訳註:トランスジェンダーや女性の意味)だって気にしない」という。大事なのは、商業用自動車運転免許(CDL)を持っていることと、DACレポートという、商業用トラック運転手の運転に関する詳細な記録のスコアが高いことだけだ。「CDLを持っていて、DACレポートのスコアが良ければ、仕事はもらえる」

トラック運転手減少の理由は、この仕事に従事している白人男性の高齢化だけではない。賃金はインフレ率に追いついておらず、一般的にはそれほど尊敬される職業でもない。一方で、運送業界に対する規制は厳しさを増しており、現在では多くの車両が、運転手の速度を制限したり、走行時間を記録したりする機器や、状況監視のためのドライブレコーダーを搭載している。

こうしたさまざまな制限があるために、ベテランのトラック運転手たちは業界を去っていきやすい。それで運送会社は、社会から取り残されていた(ゆえに、より搾取しやすい)労働者たちを、先を争って雇う状態になっている、とバレイ教授は著書の中で説明している。

それでもまだ、トラック運転手は圧倒的に白人(59%)の男性(94%)が多い。しかし、ますます高まる資格持ち運転手の需要を満たすために業界も多様化しており、現在は黒人とアジア系アメリカ人のトラック運転手が増えてきている。

加えて、「採用担当者は特に女性のトラック運転手を求めています。(なぜなら)女性のほうが、運転が安全で、信頼性も高いという認識があるうえに、そこには未開拓の労働市場があると考えられているからです」とバレイ教授は言う。

そして、多様性が高まる中で増えているのが、まともな賃金と、比較的人と関わらずに働ける環境に魅力を感じて参入してきたクイアやトランスジェンダーなど、マイノリティのトラック運転手たちだ。バレイ教授が話を聞いた、あるトランスジェンダー女性はこう語ったという。「もっと思い切ったことをしてもいい、人目についてもいいんだと思えるくらい、仲間の数が増えた」

しかし、非営利団体「REAL Women in Trucking(トラック業界のリアルな女性たち)」のデジレ・ウッド理事長は、多様性が増すとともに、女性トラック運転手の搾取も広がっていると訴える。公共データを分析したデロイトのレポートによると、男性トラック運転手の平均給与額が約42000ドルであるのに対して、女性トラック運転手の給与額は29000ドルを切っていた。

「こうした障害がある中を(トラック業界で)働き続けるのは困難です」とウッド教授は言う。

また、いまだに男性優位主義が重んじられているトラック業界では、セクシュアルハラスメントも横行している、とウッズ教授は指摘する。

ウッズ教授は、米国の著名ジャーナリスト、ダン・ラザーが2009年に制作したTV番組『Queen of the Road』で、業界に広がるハラスメントを暴露した人物でもある。そんな彼女が「REAL Women in Trucking」を設立したのは、女性や、他のマイノリティであるドライバーたちが、上司に話を聞いてもらえない時に苦情を訴えられる場所を作るためだった。

ヴァッシャーもこれまで苦労を重ねたが、ようやくArtur Expressという「最高の」運送会社で働くチャンスを得ることができたという。この会社で彼女が得ている年収は90000ドル近くだ。しかし、多くのトラック運転手──特にマイノリティのトラック運転手たち──が不当な扱いをうけており、安い給料で長時間働いていることは、ヴァッシャーも認識している。

バレイ教授の調査では、クィアやトランスジェンダーのトラック運転手たちの多くが、給油や食事のために停車する時でも、他者との接触を避けていることがわかっている。また彼らは、売春や薬物使用の拠点となっているとの噂があるトラック用サービスエリアは、回り道をして避けることもあるという。

「いつも不安に怯えている」と、ヴァッシャーは言う。彼女はトラック用サービスエリアでは、自分がトランスジェンダー女性であることを明かしたことはないという。「でも、私の友人には、どうも女性として通用しにくい人もいて、彼女は公の場では苦労している」

トラック用サービスエリアのシャワーやトイレが個室になっていることが多いのには助かっている、とヴァッシャーは言う。「中に入ればドアの鍵は閉まる。服を脱いでいるところも誰にも見られない。ほとんど人目につかない」

サービスエリアでの売春には、未成年女児の人身売買が関わっていることが多い。近年では「Truckers Against Trafficking(人身売買と戦うトラック運転手たち)」といった団体が結成され、トラック用サービスエリアでの売春をどのように見分け、通報すればいいのか、トラック運転手たちを訓練するという対策が取られている。そうした訓練を50万人以上のトラック運転手が受けており、専門家らは、これがトラック用サービスエリアの安全性向上に大きな役割を果たしているとしている。

それでも、シスジェンダー女性やトランスジェンダー女性は、サービスエリアにはびこるハラスメントや、さらには性的暴行の被害に遭っている。2018年9月には、ルイジアナ州のトラック用サービスエリアで、黒人女性のトラック運転手が遺体となって発見されるという事件があった。このニュースにトラック業界全体が衝撃を受けた。

「あの事件は、女性は被害に遭いやすいという警告になりました」バレイ教授はそう語る。

しかしヴァッシャーは、サービスエリアに駐車している間に直面する危険よりも、路上で直面する危険のほうが、はるかに大きいと主張する。つまり、サービスエリアにいる時よりも、事故で死ぬ可能性のほうがずっと高いというのだ。

「私たちが一番怖いことのひとつは、トラックを横転させる事故だね」と、彼女は言う。高速道路での走行スピードで事故を起こせば、ほぼ確実に死が待っている。しかも彼女のトラックは、言ってみれば重さ40トンの武器だ。それに比べると吹けば飛びそうな大きさである四輪自動車のドライバーたちを殺してしまう可能性がある。

これは、トラック運転手なら誰もが恐れている事態だ。そして、矛盾しているようだが、そうしたストレスの多い、難しい仕事であることが、業界を担う人員の中にトランスジェンダーが目立つようになってきていることから生じる社会的緊張を和らげてくれていると、ヴァッシャーは言う。

「もしかすると他のトラック運転手たちは、男性(だと彼らが思っている)なのに女性の服を着ている人たちに、何か思うところがあるのかもしれない」と、彼女は言う。「それでも彼らは、私たちを尊重してくれている。それは私たちがトラックを運転しているからなんだ」

この記事は英語から翻訳・編集しました。翻訳:半井明里/ガリレオ、編集:BuzzFeed Japan

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死に別れた「あの人」に会うため 20世紀初頭に作られた「心霊写真」11枚

2018年12月16日 21:01 バズフィード

ウィリアム・ホープの友人夫妻。運転席に見えるのは夫妻の亡き息子。1920年頃
20世紀はじめ、イギリスに「スピリチュアリスト」を名乗るウィリアム・ホープという人物が現れた。ホープは科学と超常現象が結びついた独自の力を身につけた、と主張した。死者の霊を写真に撮ることができるというのだ。

1922年、超常写真研究会の年次集会でホープが撮影した写真
ホープは人々と死者の世界を取り持つ霊媒師として一躍名をはせ、心霊写真家集団「クルー・サークル」(Crewe Circle)を立ち上げて評判を呼ぶ。

愛する人を亡くした人々がホープのスタジオへ来て写真を撮ってもらうと、できあがった写真には故人がぼんやりとした幽霊のように現れた。

だが、それもつかの間、1920年ごろには多くの人がホープの「特殊な能力」を疑うようになっていく。呼び出された死者の姿が写っていると考えられていた写真も、やがて撮影のトリックだったことが暴かれてしまう。

ホープが撮影した数々の写真は現在、イギリスのブラッドフォードにある国立メディア博物館に収蔵されている。その「心霊写真」は、写真作品としても、また今でいう「フェイクニュース」の先駆けともいえるユニークな位置づけからも、価値あるものと言える。

同博物館の主任学芸員ジェフ・ベルナップ氏に話を聞き、ホープの写真について、また当時の人々がトリック写真を信じた文化的背景について解説してもらった。

20世紀初頭の当時は、写真が誕生してすでに80年ほどが経っていました。死者の魂や幽霊が写り込んだとされる心霊写真も、じつは19世紀半ばから後半ごろから存在するします。

ですが、ホープが台頭した当時、スピリチュアリズムへの関心と信仰は高まっていました。第一次世界大戦で家族や友人など身近な人が戦地へ出かけ、そのまま帰らぬ人となったケースが多くあったからです。

亡き夫の死を悲しみ、かたわらに立って写真に収まる女性。夫は白布にくるまれ、花に囲まれている。1920年頃

(左)老夫婦の間に若い「幽霊」の姿が見える。1920年頃

(右)降霊会の様子。添えられた説明には「テーブルが宙に浮いている」とある。1920年頃
当時、心霊写真を信じるかどうかについてはさまざまな見方が入り混じっていました。どんな時代でもそうですが、物事を疑って見る人もいましたし、自分の感覚しか信じないのはどうか、目に見えない世界だってあるかもしれない、そういう世界を信じる心も必要ではないか、という人もいました。

そのため、スピリチュアリズムに関心を持ったのはいわゆる“騙されやすい人”ばかりではありません。科学に親しんでいる人たちも、超常現象を示す証拠を突き止めようと考え、科学的な手法を用いて未知なるものを解明しようとしました。こうしてホープの写真の真偽を調べた人たちが、やがてその嘘を見抜いたわけです。

透ける布をまとった女性の顔が3人の上に写っている。1920年頃

(左)2人の女性と「幽霊」。1920年頃

(右)写真の裏に「なぜこの子はいつも前方に出てくるのですか」「天にいる霊からの伝言はありますか」と書かれている。写真の女性たちがホープに聞きたかったことなのかもしれない。ホープの求めで、女性の一人が確認の署名を残している。
カメラの前に現れた霊が写った、というのがホープの説明です。が、現在では、二重露光を使ってこうした写真を撮っていたことがわかっています。まず被写体となる人を撮影したネガを作り、その人の大切な故人の顔が入った別のネガと重ねます。

これはたいてい故人が写った写真を使いました。そうして写真を加工して、亡くなった人が幽霊のように写った写真を作りだしていたのです。

私が非常に興味深いと思うのは、カメラに対する信頼と、人々が写真は真実だと考えていた心理をホープが利用していた点です。当時の人たちはカメラを信用していて、われわれ人間の目には見えないものをカメラは写し出せるのだと思っていました。

人が写真をそうとらえていることを、ホープはうまく利用していたのです。

ウェールズの「霊媒師」、ジョー・トーマス。トーマスは白布をまとった女性が誰なのかには触れていないが、何らかの形でホープと手を組んでいたことがうかがえる。1920年頃
私たちが第一次世界大戦後のあの時代から学べることは多くあります。当時、亡くなってしまった大切な人とつながりたいという思いを多くの人が抱き、悼み悲しむ気持ちを社会全体が共有していました。

それがスピリチュアリズムへの関心の高まりにつながりましたが、それ自体への関心に加えて、宗教上の信仰や文化的な事象としての側面、さらには科学的な側面もあったのです。私たちの文化と社会が、目に見えないものをいかに信じようとするか、理解しようとするかを示す例だと言えます。

(左)男性の周囲に霊の存在をうかがわせる何かが写っている。1920年頃

(右)2人の男性と「幽霊」。1920年頃



この記事は英語から翻訳・編集しました。翻訳:石垣賀子 / 編集:BuzzFeed Japan

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自然界の幾何学模様をみて一緒にゾワゾワしよう

2018年12月16日 21:01 バズフィード

自然界には「フラクタル」と呼ばれる幾何学模様が存在する。

一般的に、複雑な形状をしているものでも、拡大すればするほど細部の複雑さがなくなり形が滑らかになっていくが、これに対して、フラクタルはどれほど拡大しても同じ形状を持ち続ける幾何学模様のことを指す。

フラクタルは、雲、海岸、雪の結晶、貝殻やヒトの肺組織など、自然界の様々な場所で観察することができる。

実はこのフラクタル、私たちの前頭葉に何らかの刺激を与えることが研究で明らかになった。フラクタルを見ると少しゾワっとしたり、安らぎを覚えたりするそうだ。

直接見ずに前を通り過ぎるだけでも、同様の効果があるという。

実際に、自然界のフラクタル図形を見てみよう。

代表的なのは雪の結晶。

どんなに枝別れしても、輪郭は複雑なまま。

これは「1枚」の葉っぱ?それとも……

全体と部分とが同じ形をしている。これはフラクタルの特徴で、「自己相似性」という。

カリフラワーの仲間、ロマネスコ。

トゲトゲがどこまでも続いているよう…。

上空から見たコースト山脈。

永遠に続きそうならせん状の貝殻の模様。

この形状は「対数螺旋(たいすうらせん)」と呼ばれる。

裏側から見たノラニンジン。

増え続けてる?

どこまでも枝別れするミャンマーの川。

目まいがしそうなほど美しい網目の葉脈。

塩類平原に現れる網目模様。

アロエの中心。

吸い込まれそう。

ナベナ属チーゼルの、絶妙に重ならない葉っぱ。

だんだん気持ちよくなってきた。

紫キャベツの断面。

白波の模様もフラクタル。

めのうの断面。

めのうとは鉱物の一種。

自然に生成されたものとは思えない。
この記事は英語から翻訳・編集しました。 翻訳:髙橋李佳子

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100年前、多くの人の命を奪った「スペイン風邪」にまつわる写真たち

2018年12月16日 21:01 バズフィード

左:スペイン風邪のアウトブレイクから我が身を守るため、インフルエンザ予防用のマスクを着用する警察官。1918年11月4日撮影。

右:インフルエンザ予防用のマスクを着用する赤十字社のメンバー。1918年ごろ撮影。
第一次世界大戦の真っ只中だった1918年、致死性のインフルエンザウイルスが地球全体に広がっていた。世界人口のおよそ3分の1がこのウイルスに感染し、全世界で約5000万人が死亡して、事態はようやく収束した。

アメリカ疾病管理予防センター(CDC)によれば、このあまりにも深刻なパンデミックにより、アメリカ人の平均寿命は約12年短くなり、男性が36.6歳、女性が42.2歳になったという。

このパンデミックは「スペイン風邪」として知られているが、実はこの名称が大きな誤解を招く原因になっている。第一次世界大戦に参加していた兵士の多くは栄養失調やケガに苦しみ、おまけに狭苦しい場所で寝起きしていた。そのため、この致死性のインフルエンザに非常にかかりやすかった。

ドイツやイギリス、アメリカなどの各国政府は母国の士気を落とすまいとして、インフルエンザによる死者の実数を検閲し、その発表を差し止めていた。実数を発表していたのは、第一次世界大戦当時、中立を守っていたスペインだけだった。そのため、スペインがこのパンデミックによる被害がもっとも大きかったという誤った印象を与えることになってしまった。第一次世界大戦中のアメリカ人死傷者の半分近くは、スペイン風邪によってもたらされたと推定されている。

これらの写真たちが伝えるのは、この恐ろしいパンデミックが猛威を振るうなかで営まれていた人々の暮らしだ。

カリフォルニア州オークランドで仮設病院として使われていた市民公会堂。アメリカ赤十字社の看護師が、ボランティアで患者の治療にあたった。1918年撮影。

左:「無知は戦争よりも大きな破滅をもたらす」と題された、イリノイ州保健局のチラシ。

右:インフルエンザの恐ろしさを警告するチラシ。シカゴで1920年ごろに配布。

インフルエンザを予防するためのマスクを着用する日本の女学生たち。1920年2月17日撮影。

スペイン風邪が猛威を振るうさなか、インフルエンザ予防用のマスクを着用する女性。1919年2月27日撮影。

左:1918年型インフルエンザウイルスの感染者に見られた出血性肺炎のレントゲン写真。

右:1918年型インフルエンザウイルスの粒子をとらえた透過型電子顕微鏡(TEM)画像。ネガティブ染色法を用いて撮影。

1918~20年に公共交通機関の車両内に貼られていた、インフルエンザ予防のための警告。結核予防連盟(Anti-Tuberculosis League)が掲示したものだ。

オープントップ・バスの2階座席に、抗インフルエンザ薬物をスプレーするイギリス人男性。1920年3月2日撮影。

左:ニューヨーク州エリー郡で、陸軍病院として使用されていた軍事施設「フォートポーター」で治療を受けるアメリカ人兵士。1918年撮影。

右:米兵用マスクの束を運び出すアメリカ赤十字社・ボストン支部の看護師。そのかたわらでは、別の看護師がマスクづくりに精を出す。1919年撮影。

ベルギー西部フランドル地方にある戦線の近くで働くイギリス赤十字社の看護師。ドイツ軍のガス攻撃に備えて、ガスマスクを着用している。医師と看護師は、自分たちが治療している兵士と同様に、「戦争という現実」に直面していた。

ガスマスクを携えて塹壕を通り抜けるアメリカ人看護師。1918年、フランスで撮影。

スペイン風邪が猛威を振るうなかで試合する野球選手。1918年撮影。

ガーゼのマスクで顔を保護するシアトル警察の警官。1918年撮影。

左:インフルエンザ予防用のマスクを着用するエレベーター係。1918年、ニューヨーク市で撮影。

右:インフルエンザ予防用のマスクを着用する街路清掃人。1918年10月、ニューヨーク市で撮影。

インフルエンザのエピデミックは1928~29年にも発生した。その当時、インフルエンザ予防用のマスクを着用する2人の女性。

スペイン風邪の患者を手当てする看護師。1918年、マサチューセッツ州ローレンスで撮影。

アメリカ赤十字社の看護師と患者。1918年、ワシントンDCの救急ステーションで撮影。



この記事は英語から翻訳・編集しました。翻訳:阪本博希/ガリレオ、編集:BuzzFeed Japan

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じいちゃん、ばあちゃんのコスプレの破壊力が半端ないwww

2018年12月16日 17:01 バズフィード

めちゃくちゃ気合い入ってるな〜

ちょw 頼むからやめてくれwww

こんなミキミニかわいすぎるでしょw

一瞬かわいいと思ってしまった自分が悔しい。

そんな服、どこに眠らせてただんだよ。

そんな目で見ないで…

もうちょっと何かあっただろwww

よーく見てくれ。うしろの恐竜、杖ついてるんだわ。

ばあちゃん、Tシャツに「みんな大嫌い」ってw ダメだろ。

この記事は英語から翻訳・編集しました。翻訳:千葉雄登

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サクッとろっ……無印良品、あの定番商品のちょい足しアレンジが至高すぎるので、今すぐ試すべき

2018年12月16日 16:55 バズフィード

無印良品が生み出した、大ヒット商品「不揃いバウム」。

出典: Instagram

ファミマにも売ってますよね。

しっとりずっしり優しい甘さで食べるとホッとします。

そのまま食べても美味しいのですが、こんなちょい足しアレンジがあります。

出典: Instagram

一瞬で「あ、これ絶対美味しいやつだわ」って本能に訴えかけてくるビジュアル。

用意するものはこれ。

・不揃い かぼちゃバウム 1本

・A)クリームチーズ 大さじ3

・A)粉チーズ 小さじ1

・A)グラニュー糖 大さじ1

クリームチーズは、個包装のものを使いました。常温に戻しておきましょう。

クリームチーズ、粉チーズ、グラニュー糖をまぜて……

バウムにのせてトースターへ

焼いてる途中の匂いが、すでに最高……。

「あ、なんか海外で過ごすクリスマスの匂いがする」「いい匂い……何作ってるの」「甘くて優しい……」と大人たちがトースターの前に集まってきました。

チーズのしょっぱさとバウムの甘さのバランスが最高……。

トースターで焼いているので、表面はサクッとしています。でも中はしっとりしてて、口の中ぱさつきません。

パルメザンチーズのしょっぱさと、バウムの甘さのバランスが絶妙。暖炉のある家でお母さんが作ってくれる味がする……。

レシピではかぼちゃバウムを使っていましたが、バターバウムでも美味しかったですよ。

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“消えた”伝説のアスリート・溝口和洋の名言集「人々から忘れられても、私は何とも思わない」

2018年12月16日 15:01 バズフィード

日本人が不利とされる陸上競技のやり投げで、数々の伝説を残すも、時代と共に姿を消した選手がいる。溝口和洋ーー1989年に当時の世界記録まであと6cmにまで迫り、欧米で開催されるワールドグランプリを転戦、日本人として初めて総合2位となったアスリートだ。

その人生をまとめたのが、ノンフィクション作家である上原善広さんの『一投に賭ける 溝口和洋、最後の無頼派アスリート』(角川書店)。2016年度のミズノスポーツライター賞を受賞しているこの作品から、溝口さんという特異な人物、そして今も色あせないその名言を紹介する。

《私は、やり投げをやっていたのではない。「細長い八〇〇gの物体を、できるだけ遠くに投げる」競技をしていたのだ。やり投げという競技をシンプルに突き詰めれば、自然とそうなってしまうのだ。》(P12)

スポーツ界の常識やモラルを逸脱し、酒・たばこ・女性を好んだ溝口さんの競技人生には、さまざまなゴシップがつきまとった。気に入らない記事を書いた記者を見つけると、追いかけ回して“制裁”することもあったという。その言葉は非常に“感覚的”で、大宅壮一ノンフィクション賞受賞者の上原さんをしても、一冊の本にまとめるまでに18年を要した。この作品の中には溝口さんの一人称の形式で、真偽が不明な言及や、作中の時間の経過に伴う発言の食い違いがあり、この記事で紹介する溝口さんの名言も、上原さんによる「翻訳」を介していると思われる。

《「常識」とされてきたトレーニングと技術を一度、バラバラに解体し、一つずつ試しながら再構築した結果は、私の肉体となり、記録となって現れることになる。》(P39)

“例えば、ヒトはなぜ「後ろ向きで走ると遅くなる」と思うのだろうか”と疑った溝口さんは、“わかっていても、その本当の理由を答えられる人は少ないだろう”“もしかしたら、後ろ向きで走る方が速いかもしれない”として、実際に後ろ向きに走って確かめたと述べる。すべてをやり投げにつなげるその姿勢は時に極端で、“セックスの動きもやり投げに応用できないか”と考えるほどだった。

“何が限界なのかは、もちろん人によって違う。わかりやすくたとえると、他の選手の三倍から五倍以上の質と量をやって、初めて限界が見えてくると私は考えている。”(P49)

なぜ、溝口さんはここまで極端な思想を持つに至ったのか。それは、日本人が不利とされる陸上の投てき(投げる)競技で、真に世界と競うためだった。筋肉をつけることこそがそのカギであると信じ、行き着いたのが、ハードなウエイト・トレーニング。12時間“ぶっとおし”でトレーニングした後、2、3時間休んで、さらに12時間練習することもあった。“これだけやってようやく人間は、初めて限界に達する”と溝口さん。しかも、ここからさらに走る、跳ぶ、投げる練習を加えた。

《ウェイトは筋肉を付けると同時に、神経回路の開発トレーニングでなければならない。筋肉を動かすのは筋肉ではない。脳からつながっている神経が動かすのだ。》(P44)

溝口さんはただ筋肉をつけるだけでなく、それを末梢までコントロールできることにこだわり、“世界初の技術をつくる”として独自のトレーニング方法を開発した。“簡単にいうと、耳や大胸筋を動かせる人がいるが、それは耳や大胸筋に神経回路ができているから可能なのだ。早い話がこれを全身の隅々にまで行きわたらせ、やり投げに応用していけば良い”(溝口さん)。

《「投げる前はリラックスしろ」というのは全くの誤解だ。これは全ての競技に通じることだと思う。》《真のリラックスとは、「力は入っているのだが、自分では意識していない状態」のことを指す。》(P56)

この“リラックス”の例として、溝口さんはロック・クライミングの選手を挙げる。指先に全体重を支える力が込められていながら、しなやかな動きをするためだ。“「実際には力を入れた状態だが、力が入っていないように感じる」これが本当のリラックスだ。よほど強力な筋力がないとできない”ーー溝口さんがウエイトトレーニングを重視したことには、このような背景もある。

《トレーニングは私の存在意義そのものだったからだ。それがなければ、生きている意味がない。だからいくら気落ちしても、自然と体はトレーニングしてしまうのだ。》(P89)

期待されながらも、1988年のソウル五輪の結果は“予選落ち”。気に入らない選手に対して“やりで突き殺したろか”などと思うほど勝ち気だった溝口さんにとって、初めての“挫折”だった。それでも、試合後すぐにトレーニング・ルームに直行。精神的には“ぽっかりと穴が開いたようになっていた”というが、後に奮起。そのきっかけは、“「溝口はやるでッ」と言ってくれていた全国の人たちが、「アカンかったやないか」と言われているのだ。その人たちに、私は借りができた。これを返さないといけない”というファンへの想いだった。

《あとは長年やってきた、自分の感覚と可能性を信じるだけだ。もし信じられなかったら、そういう練習をしていなかったということだ。》(P115)

屈辱のソウル五輪の翌年、溝口さんはシーズンを北九州招待陸上大会からスタート。本格的な復帰戦として、オリンピック並みの調整をして臨んだ、二投目、85m22で当時の日本記録・自己ベストを更新。記者とも「ソウル以後は毎晩のように呑んでいたと聞いていますが」「さすがに今はもう、呑んでないですよ」と和やかにやりとりをするなど、人間的な変化も見られる(ただし、呑んでいないというのはウソであった)。

《「一瞬に賭ける」という言葉がある。この言葉の本当の意味は、実際に多くの一瞬をへたうえで、さらに他の誰も達したことのない高みにある“一瞬”に賭けることにある。誰も達したことのない高みに達することができた者だけが、唯一その「一瞬に賭ける」ことが許されるのだ。》(P125)

1989年のワールドグランプリ初戦・カリフォルニアの競技場で、溝口さんはこの“一瞬”に賭けた。二投目ですでに大会新を更新しており、連戦であることを考慮すると、残りは棄権が順当だった。しかし、いつ訪れるかわからない一瞬を呼び寄せるために、競技を継続。そして“運命の四投目”、いつもどおり“バクチ”を打って全力の助走をした投てきは高い軌跡を描き、溝口さんいわく“究極の「一瞬」を捉えた”。当初、87m68(当時の世界新記録に該当)とアナウンスされたこの記録は、しかしながら再計測になり、87m60へと変更。“幻の世界新”となる。溝口さんらは人種差別を疑い抗議をするが、裁定は覆らなかった。この記録はもちろん日本新記録でもあり、現在まで破られていない。写真はこの年、溝口さんのライバルだったスティーブ・バックリー。

《日本記録なんか、どうでもいい。記録には二つしかない。世界記録と、自己ベストだ。》《自己ベストは選手本人には意味あることだが、日本記録など、外国では誰も知らない。例えば隣国の、韓国や中国のやり投げの最高記録を知っている日本人がいったい何人いるだろうか。だから日本記録など、何の役にも立たない。》(P154)

世界を強く意識したトレーニングを続けてきた溝口さんは、世界記録(98m48)保持者のヤン・ゼレズニー(写真)には“選ばれし人間”と賛辞を贈る。

《どのような分野でも、一つのことを極めるには、人間の情やしがらみといった、余計な部分を断ち切る覚悟がいる。》(P20)

溝口さんは“それは具体的には、友人であったり、女であったり、また時には世話になったコーチであったりする”と述べ、特に女性に対して自身に差別的な見方があったことを認める。作中では実際に、“無頼派”と呼ばれるほど周囲の人間を顧みず、孤独を深める姿が記されており、特にマスコミや日本陸上連盟(JAAF)への批判が繰り返される。同時に上原さんはあとがきで当時の溝口さんを“繊細で傷つきやすい性格”とも評している。その一端は、試合前に眠れなくなる様子や、競技場で日本語で応援されて気を散らす様子、マスコミに“叩かれる”ことを警戒する様子などからもうかがえる。

《やり投げを好きだと思ったことは一度もない。しかし、やり投げが私のすべてだったことは確かだ。》(P224)

1990年のシーズン前に、右肩を負傷。“強くなる奴は潰れない”を信念にしてきた溝口さんだが、ついに激しいトレーニングのつけが回ってきた。このケガは完治することなく、溝口さんは96年に、34歳で引退。この前後でボランティアながら複数の投てき選手を指導。その中にはハンマー投げのアテネ五輪金メダリストである室伏広治さん(写真)も含まれていた。室伏さんは溝口さんを「一番影響を与えられた人」に挙げるなどしており、後進に大きな刺激を与えたことがうかがえる。

《私には自分に堂々と誇れる過程と結果がある。だから人々から忘れられても、私は何とも思わない。》(P224)

溝口さんは現在、和歌山県の白浜町でトルコキキョウの栽培を営んでいる。トロフィーや表彰状の類いは、陸上競技界のアジア人として初めて表紙に掲載された国際陸上競技連盟(IAAF)のワールドグランプリのパンフレットでさえ、すべて捨ててしまったそうだ。本人は“私についてはもう、多くの人が私の存在を忘れているようだ。私はそれで良いと思っている”と述べている。しかし、上原さんはあとがきに“忘れられたと思っているのは、実はあなただけだ”と記す。伝説的な存在である溝口さんに寄せられる期待は、今もなお大きい。

この記事で紹介しきれなかったエピソードはこちらから確認してほしい。

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農家、プロレスラー、居酒屋経営… あの紅白出場グループは今

2018年12月16日 11:01 バズフィード

「ココロオドル」のヒットで2004年のNHK紅白歌合戦にも出場した、ヒップホップグループのnobodyknows+。

メンバーの5人は、農家や居酒屋など、それぞれに仕事を持ち、兼業ミュージシャンとして活動している。


2000年代のヒット曲を集めたDJ和のミックスCD「ラブとポップ」に「ココロオドル」が収録されたことで再び注目を集める彼らに、「ヒットのその後」を聞いた。

契約が終わって…

――2009年にソニーとの契約終了を終えてからの歩みをお聞かせください。

DJ MITSU:スタジオ業務をしたり、中日ドラゴンズ関連の楽曲をつくったりしてきました。

ノリ・ダ・ファンキーシビレサス:ソニーやめて、プロレスラーになって、先週引退しました(取材は10月23日)。

DJ MITSU

うっかりプロレスラーに

――えっ。情報量が多すぎる。まずプロレスを始めた理由は。


ノリ:地元・名古屋の今池商店街が街おこしでプロレスをやることになって、最初はゲスト解説で呼ばれたんですけど。

「リングに上がれば」と言われて、そのまま惰性でデビューしました。本当にうっかりです。騙されました。


――うっかりプロレスラーに(笑)ではなぜ、引退されたのでしょう。


ノリ:ずっと騙され続けてきたことに気づいたんです。というのはまあ冗談ですが、体力の問題もあるし、いつまでも続けられるものでもないですから。

農業もやっているので、そちらをしっかりやりたいという思いもありました。

ノリ・ダ・ファンキーシビレサス
――プロレスと並行して農業もされていたんですね。


最初は野菜の移動販売をしていました。まったく知らない世界なので、農家の人に教えてもらおうと思って。

そうしたらそっちの方が楽しくなってきて、農家になっちゃいました。一般的な野菜をつくってます。いまの時期だったら白菜、キャベツ、レタスとか。

4度の改名の果てに

――ホクロマン半ライス!!!さんは非常にたくさん改名されてますね。ちょっと整理したいのですが、HIDDEN FISH→漫☆画次郎→ちびまるお→魚太郎☆サラダ味→ホクロマン半ライス!!!という流れで合ってますでしょうか。


ホクロマン半ライス!!!:合ってます! 年末にnobodyknows+主催の「出張ネバーランド」っていうイベントをしていて、そのネタで変えてます。

――一番定着した名前は。


ホクロマン:どれだろう。そもそも呼ばれたことがないから、わからないですね。一度「まるちゃん」って呼ばれたことがありますけど。

結局みんな、本名にちなんで「ナシ」って呼んでる(笑)

ホクロマン半ライス!!!
――また変わる可能性もある?

ホクロマン:どうですかね。ノリ次第で。


ノリ:僕らが飽きたら変える。彼に決定権はないんで。


――お仕事は。


ホクロマン:ソニーやめた後フラフラして、MITSUさんがつくった「SOULGROUND」ていうお店で働いてました。

そこで4〜5年、社員をやって、結婚のタイミングで独立して。いまは名古屋にある「ホルモン酒場 ちから」のオーナーをやってます。

「SOULGROUND」時代は、ドラゴンズのスタジアムMCも2年ぐらいやってましたね。

居酒屋やアパレルも

――ヤス一番?さんは最後にクエスチョンマークがつくんですよね。モーニング娘。のマル的な…。

ヤス一番?:どういう理由でつけたのかもわからない(笑)

ラッパーやりながら、「わかば屋」という名古屋の居酒屋のオーナーをやってます。来年で10年目ですね。

――オススメのメニューはありますか。


ヤス:鳥と魚ですね。

ヤス一番?
――Crystal Boyさんのお仕事は。


Crystal Boy:BPM-CLOTHING STORというセレクトショップのオーナーです。

いろんな目線で作曲できる

――みなさんそれぞれに、音楽以外の分野でもご活躍されています。兼業ミュージシャンとしての生活はいかがですか。


DJ MITSU:楽しいですね。いまは多い時で週2、3回ライブをやっている感じ。あまりに音楽だけってなってくると、目的が変わってきちゃうところがある。

そういう意味では、仕事をやりながら、いろんな人の目線で歌詞が書けたり、曲ができたりっていうのはすごく意味があるなあと。ずっと続けていけるんじゃないかな、と思ってますね。

――CDが売れない時代にあって、音楽専業でやっていける人の数は限られてきているのでしょうか。


DJ MITSU:限られてますよね。そこにしがみつくために、いろんなことをしなきゃいけなかったりとか。

Crystal Boy

「今日だって畑に行きたい」

――むしろほかにお仕事があることで、音楽に対して純粋に取り組める面もある?

DJ MITSU:はい。何が純粋かわからないですけど。そこで音楽に打ち込める時間があれば、なおいいですし。

ノリ:まあずっと名古屋にいるんで、兼業とかあまり考えずに必然的にやってる感じはありますね。農家の仲間はみんな知っていて、応援もしていただいてますし。

本当は今日だって畑に行きたいぐらいなんですけど(※取材当日は都内でライブ出演があった)。正直言って、痛いぐらい。でも、みんながいいよって言ってくれるから、こっちに来られたり。

「ココロオドル」を収録した「ラブとポップ」は40万枚以上を売り上げている

音楽は鳴り続ける

――ホクロマンさん、ヤス一番?さん、Crystal Boyさんはどうでしょう。


ホクロマン:働かないと食べていけないので、普通にやってることですね。

さっきまでライブに見とった人が、店にご飯を食べに来て、今度はこっちが「いらっしゃいませー」みたいな。

変な気持ちにはなるんですけど、そういうのが普通だなと思って。

ヤス:ウチの店も、マズくても来てくれるんで、ありがたいですよ(一同笑) 昔の栄光だけで食べてますから。「本当にマズイ」って書いといてください(笑)

Crystal Boy:大好きでやってたハズなのに、毎日音楽をやりすぎて流れ作業と変わらなくなりかけてた時があって。いまはすごく感謝してライブができてるんで、楽しいですね。


――いまもココロおどってますか?

全員:おどってますよ!

nobodyknows+

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愛するヤギ60匹はどこへ?2ヶ月後には子どもが生まれてくる予定だった

2018年12月16日 11:01 バズフィード

突然ですが、60匹の妊娠したヤギが盗まれた。

嘘みたいな出来事が起きたのは電流の流れるフェンス、50kg以上ある猟犬によって守られた北カリフォルニアにある牧場。その損失は数百万円にのぼる。

牧場のオーナーの1人、ダニエル・アレン氏によると事件が起きたのはサンクスギビングの日(11月22日)前後のこと。11月21日、彼は猟犬と動物たちを残して牧場を後にしていた。2日後に牧場へと戻ると、ヤギたちが消えていた。

彼によると11月21日から23日の間のどこかで泥棒は牧場へと侵入、フェンスに流れる電流を止め、フェンスに穴を開けてヤギを盗み出したと見られている。猟犬はエサで手懐けられたのではないかとアレン氏は考えている。

「この出来事に打ちひしがれています。ヤギをここまで育てるのに、どれだけ時間がかかったか…」とアレン氏はBuzzFeed Newsの取材へ答えている。

彼にとって苦楽を共にしてきたヤギは家族のような存在だ。ヤギにはそれぞれオレオ、オラフといった名前を付けて可愛がっていた。

ヤギにはそれぞれを識別するためのタグが付けられているが、簡単に取り外すことができてしまう。そのため、発見することは容易ではない。

ヤギは1匹200ドル(約2万円)ほどで取り引きされる。2ヶ月後にはヤギの子どもたちが続々と生まれてくる予定だったという。

無事にヤギを取り戻すことへ貢献した人には褒賞を準備していると彼は語り、なんとか無事に帰ってくることを願っている。

「私にとって彼女たちは犬や猫と同じような存在、とても大切な存在です。そんな大切な存在が一気にいなくなってしまった、60匹も」

この記事は英語から翻訳・編集しました。翻訳:千葉雄登

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