マーケティングやコミュニケーションという枠組みの中でAIを活用するためにはどうすべきか。それを考える上で興味深い研究成果が、「NoMaps 2017」のカンファレンスセッションのひとつ、「AIからHIへ」で発表された。HIとはHuman Intelligence、「人間知」だ。コンテンツ制作会社、AI研究者、マーケター、それぞれがどのように人間知について考えたのか、なぜHIを見直すことがAI活用に必要なのか。
日本から消えた「中流」がコミュニケーションを見直すタイミング
このセッションのモデレーターを務めたのは、アビームコンサルティング デジタルマーケティングセクターのディレクター、本間充氏だ。本間氏は最初に「日本ではデジタルマーケティングという言葉が誤った使われ方をしている」と指摘した。
「本来デジタルマーケティングとは、ITを使ってマーケティングをデジタル化することを意味しています。しかし日本ではウェブなどのデジタルメディアを使ったマーケティングを指してデジタルマーケティングと呼ぶことが多いようです」(本間氏)
それに加えて、デジタルメディアを使う方が既存メディアを使うよりかっこいいという風潮もあると、本間氏は言う。しかし本来それぞれのメディアには異なる特性があり、優劣ではなくそのときどきに最適なメディアを活用すべきだ。
「たとえばデジタルネイティブと言っても、若者がLINEで恋の告白はしません。また、DMの開封率が低いというのは神話のように語られますが、それでも開封もせずに捨てる人はいないでしょう。一方でみなさんは毎日たくさんのメールを開封もせずに捨てていませんか?」(本間氏)
このようなメディアごとの特性をきちんと理解しなければならなくなった背景には、メディアが多様化しただけではなく、日本国内だけを見ても人々の生活様式が多様化しているという点が挙げられる。所得だけを見ても、平均値と中央値と最頻値がそれぞればらばらで、「一般的な中流家庭」という偶像はもはや描けないという。かつては性別と年齢でセグメントすればほぼ同じ収入、ほぼ同じ家庭環境に暮らしており、同じコンテンツに感動できたが、今は同じコミュニケーションで同じことが伝わる時代ではなくなったということだ。
「日本の中だけでも多様性が出てきて、同じ広告映像、同じ映画で感動しなくなりました。コミュニケーションそのものを見直さなければなりません。そこで注目したのがHIだという訳です」(本間氏)
現代社会に適した広告コミュニケーションを模索
岸本高由氏が所属するAOI TYO Holdings株式会社 Pathfinder室は、テレビ広告制作会社の研究開発部署だ。広告業界はコミュニケーションそのものがビジネスと言っていい。そのため、既存のコミュニケーション手法が通じなくなりつつある今、これを大きな課題と捉えている。同じ危機感を抱く企業が集い、2017年6月に結成されたのが、価値観・HIコンソーシアムだ。
「コンテンツ作成の視点から参加しているAOI TYO Holdingsのほか、CRMで顧客情報を扱ってきたシナジーマーケティング、ストックフォト業界大手のアマナ、色彩の専門家である大日本インキが参加しています」(岸本氏)
コンソーシアムの目的は、多様性あふれる現代社会における最適なコミュニケーションデザインの研究、開発だ。これまではプロフェッショナルの勘と経験、暗黙の了解に基づいてコンテンツを制作してきたが、一様なコミュニケーションで多くの消費者にメッセージを届けるのが難しくなったうえ、そうした匠の技は伝承が困難だ。
「作り手も、受け手も、自分たちがどのような価値観に共鳴するのかなんとなくしかわかっていません。作り手側と受け手側の行動を可視化し、機械学習(による分析)が可能な形、AIで活用できる形にするのが、コンソーシアムの今の目的です」(岸本氏)
ミッションをより具体的に説明すれば、クリエイティブと受け手側の価値観属性の相関関係を見つけ出し、これからの時代に最適なコンテンツを模索すること。そのための共有プラットフォームを作り、コンテンツクリエイティブにおけるさまざまな知見を蓄積、共有していくという。
変化を前提としてパーソナリティーを類型化する新指標を開発
AI側から研究成果を紹介してくれたのは、シナジーマーケティング株式会社 データマーケティング室副室長 研究企画チームの谷田泰郎氏だ。同社は「Societas(ソシエタス)」という指標を作り、新たなコミュニケーションネットワークづくりを進めている。
「世の中には多種多様な行動データがあります。これを社会知として使えるのではないかと考えたのがスタートでした。これだけ多様な人がいるのに、ひとはみな同じ社会に属していると感じていて、同じ世界観を共有しています。そこにはなんらかの普遍性があり、それをフレームワークとして捉えることができれば、データをつなぐハブのようなものを作れるのではないかと考えたのです」(谷田氏)
谷田氏らが取り組むのは、個性のデザインであり、人の心のデザインだという。ベテランの勘と経験ではなく、論理的な背景で構築した価値観の枠組みとしてSocietasに取り入れた。ベースとなっているのは、「人間は五感で考える(直観的)部分と、論理的に考える部分を持つ」という二重過程理論だ。
「最初はエモーションやフィーリングと言われるもので反応し、時間が経つにつれて次第に論理的に判断するというのが、二重過程理論です。これを行動データに近い側から捉えれば、AIと相性のいいデータを得られると考え、それに沿ってSocietasを構築していきました」(谷田氏)
さらに谷田氏らは消費者のパーソナリティーを先天的なものと後天的なものに分類した。先天的な価値観を基軸に8方向の分類を設定し、その上に職業や収入、家庭環境など後天的な特性を重ね、定量的データに落とし込んでモデル化したものがSocietasだ。ポイントは、変化しない先天的な要素と時と場合により変化する後天的な要素の両方を見ており、変化を前提としてパーソナリティーを分類している点にある。
「Societasに、過去のマーケティングやパーソナリティ分析で用いられてきたSchwarzの価値(編注:人間が求める価値を分類したマーケティング理論)、ブランドパーソナリティー研究におけるBig5(編注:万人に共通した性格特性は5つの要素の組み合わせとする考え方)、Cloningerが作成した気質と性格のモデルを重ねてみると、大きく外れていませんでした。これは現代社会で通じる新しいコミュニケーションモデルのデザインとして使えると感じました」(谷田氏)
Societasではパーソナリティーを12種類に類型化する。実際の広告制作現場でもすでに試験的に取り入れられ、効果を上げているという。当初は机上の空論だったものが、実際の行動データを使ったビッグデータ分析が可能になり、裏付けが得られた。その上で実際の制作現場で成果を上げ始め、谷田氏らは自信を深めたとのこと。
広告制作の現場で効果を上げる新たな統計的分類手法
谷田氏に代わって、Societasの具体的な適用事例を紹介してくれたのは、谷田氏と同じくシナジーマーケティング株式会社でデータマーケティング室 室長を務める後迫彰氏だ。シナジーマーケティングはCRMを提供しており、多くの顧客から膨大なデータを預かっている。それを統計分析することで顧客にベネフィットを提供できないか、そう考えたのは2011年頃のことだった。
「現場では職業や性別、年齢など統計に基づいたデモグラフィック分析で広告を作っていました。精度の限界を感じていても、それ以外に指標がなかったからです。既存のデモグラフィックを補う一項目として使ってもらいたい、そんな思いでSocietasを開発しました」(後迫氏)
Societasの内容については谷田氏から説明済みなので、後迫氏はすぐに適用事例の紹介に入った。最初に挙げたのは、ガス器具メーカーであるリンナイの事例だ。ガス器具は一般的に、各地のガス会社を通じて販売される。そのためメーカーとエンドユーザーとのエンゲージメントは強くない。なぜ他社製品ではなくリンナイ製品を選んだのか、どのような人がリンナイ製品を買っているのか、知ることは難しかった。
「Societasで分析したのは、消耗品や保守部品を販売するオンラインショップの会員情報です」(後迫氏)
一般消費者全体と、リンナイダイレクトチャネル会員との違いを分析した結果、リンナイのマーケティング担当者の肌感覚と合っており、納得感を持って共に取り組んでもらえたという。そこで分析をさらに深めて製品ごとの性向を探ったところ、デリシアという高級コンロの購買者が一般消費者と大きく違う傾向を示していた。
「この分析結果をもとに、機能を押し出していた製品パンフレットを改訂し、デリシアを手にすることで得られる世界観をアピールするものに作り変えました。その他の施策もSocietasを参考にし、高い成果を上げることができました」(後迫氏)
そのほかに数社、数製品の適用事例を紹介したのちに後迫氏は、「求めるのは嫌がられないマーケティング」だと述べた。顧客の価値観から課題解決の本質を理解し、最適な場所で最適な訴求を行なうべきだと言う。
「パーソナライズの手法としてペルソナがもてはやされた時期がありましたが、ペルソナの設定には職人技が必要でした。さらにペルソナは設定した人の先入観に左右されやすいという弱点がありましたが、Societasは数値分析で算出するので嘘がありません」(後迫氏)
TVCMにタグ付けをする試みも
Societasとは別のアプローチとして次に紹介されたのは、「CREATIVE GENOME」プロジェクト。AOI TYO Holdings Pathfinder室 HIサイエンティスト・エグゼクティブプロデューサーの佐々木淳氏。
「テレビの歴史と同じくらい古くからCMを作ってきて、今はVRやスマホなど新しいメディアに向けたコンテンツづくりに取り組んでいます。その中で出てきた疑問がありました。20世紀は映像の世紀と言われますが、果たして21世紀も同じように映像が中心になるのでしょうか」(佐々木氏)
21世紀という大きな枠組みで次のコミュニケーションを模索するために、自分たちのやるべきことをリフレームする必要を感じたと佐々木氏は言う。そもそもCM制作のミッションとは、広告主が伝えたいメッセージを、受け手側に伝わりやすいように映像化することにある。15秒や30秒の動画で視聴者の気分を高揚させたり楽しませたりして、ブランドや製品に対する態度変容をうながすことができれば成功だ。これを佐々木氏は「広告主のストーリーを映像に翻訳すること」と定義した。
「CMの技法を翻訳の技法として取り出し、ストーリーテリングや翻訳によって態度変容を促すにはどうすべきなのかをもう一度考え直すことにしました」(佐々木氏)
佐々木氏がそう考え始めたのは2012年頃、データ分析がすでに注目され始めていた。CMや広告の世界にも好感度調査の結果や視聴率など、数値データ化できるものはあるが、それよりも自分たちのストーリーテリングの手法に真摯に向かい合える指標を探すべきではないか。そう考えるようになっていった。
「ウェブやITの世界でエンゲージメントを高めるために、Cookieなどで足取りを追う手法がありますが、狙ったターゲットを狩りに行くアフォーダンス自体が20世紀らしいとも考えていました。21世紀の手法は、どうあるべきなのか。それを考えているうちに、ストーリーやコンテンツのデータ化がなされていないと気づきました」(佐々木氏)
クライアントがいて、ユーザーがいて、コンテンツがその仲介者となりユーザーの態度変容をうながしていく。これまでユーザーの類型化ばかりに気を取られ、コンテンツの分析や分類は十分に行なわれてこなかったと佐々木氏は指摘するのだ。
といっても、コンテンツの類型化は容易ではない。それぞれに表現手法は違い、単純に数値化できるものではないからだ。それでも「もやっとした気分を言語化、概念化すること」ができれば、ユーザーの世界観とコンテンツを組み合わせてもっとエモーショナルなエンゲージメントが可能になるはずだと佐々木氏は信じた。
「調べてみたら、動画配信サービスのNETFLIXや音楽配信サービスのPANDORAはコンテンツ側にタグを振っているのです。PANDORAはMusic Genomeプロジェクトとして、音楽に詳しい人が、人力で1曲に400ものタグをつけています」(佐々木氏)
こうした先達を参考に、佐々木氏らはCMコンテンツのタグ付けを始めている。当面の対象としているのは、広告業界のコンテストであるACC(一般社団法人全日本シーエム放送連盟)のアワードにノミネートされたCM。効果があったとされる優良コンテンツでなければ高い精度のデータを得られないからだ。
「1000本のCMにタグ付けすることを目指しています。それぞれのCMに25個のタグをつけ、どういう映像や音でどういう態度変容が起こるのかがデータ化されるはずです」(佐々木氏)
こうして作られたデータから、CMでは「何が伝わったか、それによって態度変容をうながすことができたか」の関連性が解明されようとしている。
これまでは受け手に感じさせる表現を探し出すのは勘と経験に頼ってきたが、コンテンツでの関連性がデータ化されれば、伝えたいメッセージから逆算して使える表現の類型を求められるようになる。十分なデータがそろい機械学習できるほどになれば、AIが表現案を提案できるようになる可能性もあるという。
「面白いのは、私たちが研究していたこれらの結果と、まったく別の場所で研究されていたSocietasを付き合わせてみたら、答えはだいたい重なっていたということです。こうしたことからも、私たちがやってきたことは間違っていなかったと感じました」(佐々木氏)
クリエイティブとは結局のところ、ゼロからイチを生み出す作業ではなく、過去の類型をどれだけうまく引用するかという作業に過ぎないと佐々木氏は言う。腕のいいクリエイターとは、多くのパターンを知っており、それらを組み合わせて引用するのがうまい。しかし類型化が進みAIが提案するようになれば、人間が思いつかない新しいCM表現が生まれる可能性があるのではないか、佐々木氏は未来をそう夢見ているようだ。
「AIはCMを見てもそれが伝える内容を理解できません。グルーピングはできるけれど、それぞれのグループが持つ意味を見出し、ラベル付けすることができないからです。概念の抽象化も、かなり先にならなければ実現しないでしょう。ということは、AIを表現世界で活かすためにはAIと補完関係にあるHIを再認識し、活用しなければならないのです」(佐々木氏)
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